師の言葉より・・・。
レッスンそのものはたった1分~15分程度のもので、1日の中の時間にすればさほど多くの時間ではありません。
しかし、わたしたちは、仕事や家事、子育て、人との付き合いなどなど、日常の多くのことで頭がいっぱいで、レッスンが面倒くさいとかその時間をなかなか捻出できないと感じるかもしれません。
さらに、毎日決まった時間や時間指定のレッスンというのは、無理だと思うことも多々あるかもしれません。
しかし、他のことを押しのけてもレッスンの時間を捻出するということは、Jのために、神のために時間を空けることになります。
時間をつくりだせるかは、どれだけ強くなにをおいても観たいと思っているかというあなたの意志次第なのです。
これまでの人生において、あなたは自我の考えること、自我でやりたいこと、自我からやらなければならないと思っていることを優先させてきましたが、うまくいったでしょうか。
奇跡のコースに出逢った今、これまでやってきてうまくいかなかったパターンをまずは手放してみて、レッスンを通して神のために時間を空けること、やってみる価値はあるでしょう。
「神の都合に合わせる」こと。
これは奇跡のコースだけでなく、たとえば、神道の例大祭などでも同じことが言えます。
一般的な人々の都合に合わせれば、仕事のことを考えてみても、土日に執り行うのが合理的だと考えられます。
しかし、実際には、多くの場合、予め決められた日時で、平日も休日も関係なく行われます。
自我からすれば合理的でないと考えられますが、神の視点から見ればここでも、あなたはなにをおいても神に合わせる(自我を放棄する)覚悟がありますか・・・、と問いかけられているのではないでしょうか。
あなたは自我を保ち続けたいですか、それとも、なにをおいても観たいでしょうか。
なにをおいても観たいのなら、なによりもJの言葉を最優先させるのが最短なのです。