2013年10月12日土曜日

Lesson 116

朝と夜の復習のために。
For morning and evening review:

(101) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-101.html
 私のための「神の意志」は完全な幸せです。
God's Will for me is perfect happiness.

         「神の意志」は私の完璧な幸せです。
         God's Will is perfect happiness for me.
          そして、私が苦しむことがあるとすれば、「神の意志」から離れた
          (自我に基づいた)別な意志があるという信念からだけです。
          And I can suffer but from the belief there is another will apart from His.


(102) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-102.html
私は、私の幸せのための「神の意志」を共有しています。
I share God's Will for happiness for me.

          私は、「父の子」である私のための私の「父の意志」を共有しています。
          I share my Father's Will for me, His Son. 
          「父」が私に与えてくれたものが、私が望むもののすべてです。
          What He has given me is all I want.
          「父」が私に与えくれたものが存在するもののすべてです。
          What He has given me is all there is.



毎時: 『私のための「神の意志」は完全な幸せです。』
On the hour: God's Will for me is perfect happiness.
毎時30分後: 『私は、私の幸せのための「神の意志」を共有しています。』
On the half hour: I share God's Will for happiness for me.

2013年10月10日木曜日

Lesson 115

朝と夜の復習のために。
For morning and evening review:

(99) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-99.html
救いがここでの私の唯一の役割です。
Salvation is my only function here.

          ここでの私の役割は、私が犯したすべての(自我に基づいた)過ちに関して
          世界をゆるすことです。
          My function here is to forgive the world for all the errors I have made.
          というのは、こうすることによって、私は世界全体と一緒にそれらの
          (自我に基づいた)過ちから解放されるからです。
          For thus am I released from them with all the world.


(100) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-100.html
私の役割は「神」の救いの計画にとって不可欠です。
My part is essential to God's plan for salvation.

          私は世界を救うための「神」の計画にとって不可欠です。
          I am essential to the plan of God for the salvation of the world. 
          というのは、「神」は私がこの世界を救うことができるように
          「神」の計画を私に与えたからです。
          For He gave me His plan that I might save the world.


毎時: 『救いがここでの私の唯一の役割です。』
On the hour: Salvation is my only function here.
毎時30分後: 『私の役割は「神」の救いの計画にとって不可欠です。』
On the half hour: My part is essential to God's plan for salvation.

Lesson 114

朝と夜の復習のために。
For morning and evening review:

(97) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-97.html
私はスピリットです。
I am spirit.

          私は「神の子」です。
          I am the Son of God.
          いかなる肉体も私を封じ込めることはできず、
          「神」が創造しなかった制限を私に課することはできません。
          No body can contain my spirit, nor impose on me a limitation God created not.


(98) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-98.html
私は「神」の救いの計画における私の役割を受け容れます。 I will accept my part in God's plan for salvation.

          私の役割は「神の言葉」を受け容れる以外の何であり得るでしょうか。
          「神」は現在そうである私、そして、永遠にそうである私を創造されたのです。
          What can my function be but to accept the Word of God,
          Who has created me for what I am and will forever be?


毎時: 私はスピリットです。
On the hour: I am spirit.
毎時30分後: 私は「神」の救いの計画における私の役割を受け容れます。
On the half hour: I will accept my part in God's plan for salvation.

Lesson113について

☆翻訳者より☆

復習レッスン113もとても深いレッスンです。

自我的には、とても心地よくないレッスンです。

なぜなら、レッスン113もまた、自我の企みを明らかにし、私たちを自我ではない本質的な私たち自身への「目覚め」へと向かわせるものだからです。

自我は、さまざまな理由をつけて、レッスンをさせないように、あるいはレッスンを忘れさせようとさせるはずです。

時に、「めんどくさい」と感じさせ、時に「忙しいからそれどこではない」と思わせ、「時にこんなレッスンやっても仕方ない」と思わせたりもするかもしれません。

レッスン113に限らず、レッスン91以降は、本格的に自我の解体を進めるレッスンであるがゆえ、自我はレッスンを無視させたり、抵抗させたり、「神の使者」を繰り返し何度も読むことで理解が深まることを避けさせたりします。

人によっては、他のもっと楽でいい方法があるのではないかと「ネットなどで目先耳障りのいい本や自我を満足させてくれそうなセミナーなどに逃避させようとしたりする」こともあるかもしれません。

人によっては、「リアルレッスンが次々やってくる場合に、それを自我の解体のゆるしのチャンスととらえれず、自分自身を被害者だと思わせる自我の罠に嵌まったり、不安定になったりする」こともあるかもしれません。

人によっては、自我がレッスンの内容を頭や理屈で理解させようとして、「わかったフリをさせて無意識では実は拒絶している」という『自我の巧妙な罠』がきたりすることもあるかもしれません。


逆に言えば、自我にとっては、レッスン113も1日やりきられたら、それだけ自我の解体が進んでしまい、私たちは「自我ではありえず、想像主と常に一体である」「幸せ以外の選択肢がありえない」という自我を外した目覚めの体感に近づいてしまうので、自我はなんとしてでもレッスンから遠ざけたいでしょう。


心静かに、こうした自我の企みを一旦脇において、今日の復習レッスンを行う時、「自我的に満足できないということは、自我以外の選択肢へと確実に導かれている」という事がわかるかもしれません。

私たち一人一人の今日1日がどうあろうとも、それを越えたところで同じレッスンをしている仲間たちが見えないところで私たちを助けてくれています。

そして、自分自身がレッスンに向き合うということは、他の仲間を知らず知らず助けることにもなります。

どうか今日のレッスンも私たち一人一人が受け取り尽くせますように。
 
 

Lesson 113

朝と夜の復習のために。
For morning and evening review:

(95) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-95.html
私はひとつの「自己」であり、私の「創造主」と一体です。
I am one Self, united with my Creator.

        静けさと完璧な安らぎは私のものです。なぜなら、私は一つの「自己」であり、
        完全な全体であり、すべての創造物および「神」と一つだからです。
        Serenity and perfect peace are mine, because I am one Self, 
        completely whole, at one with all creation and with God.


(96) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-96.html
救いは私のひとつの「自己」からやってきます。
Salvation comes from my one Self.
       
        私の一つの「自己」から、「彼」の叡智は今も私の心の中にありますが、
        私の救いのための「神」の完璧な計画が完璧に達成されるのが見えます。
        From my one Self, Whose knowledge still remains within my mind,
        I see God's perfect plan for my salvation perfectly fulfilled.


毎時: 私はひとつの「自己」であり、私の「創造主」と一体です。
On the hour: I am one Self, united with my Creator.
毎時30分後: 救いは私のひとつの「自己」からやってきます。
On the half hour: Salvation comes from my one Self.

Lesson 112

朝と夜の復習のために。
For morning and evening review:

(93) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-93.html
光と喜びと安らぎが私の中に住んでいます。
Light and joy and peace abide in me.

        私は光と喜びと安らぎの家です。
        I am the home of light and joy and peace.
        私は「神」と共有する家の中へとそれらを歓迎します。

        なぜなら、私は「神」の一部だからです。
        I welcome them into the home I share with God, because I am a part of Him.


(94) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-94.html
私は「神」が私を創造されたままです。
I am as God created me.

        私は、「神自身」と同じように「不変性」によって創造されたように、永遠にあり続けます。
        I will remain forever as I was, created by the Changeless like Himself.
        そして、私は「神」と一つであり、「神」は私と一つです。

        And I am one with Him, and He with me.


毎時: 光と喜びと安らぎが私の中に住んでいます。
On the hour: Light and joy and peace abide in me.
毎時の30分後: 私は「神」が私を創造されたままです。
On the half hour: I am as God created me.

Lesson 111

朝と夜の復習のために。
For morning and evening review:

(91) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-91.html
奇跡は光の中で見えます。
Miracles are seen in light.

        私は暗闇の中では見ることはできません。
         I cannot see in darkness.
        神聖性と真実の光に私の心を明るくさせてください。
        そして、私に内面にある罪のなさを見させてください。
        Let the light of holiness and truth light up my mind, and let me see the innocence within.


(92) http://mmiracles-light.blogspot.jp/2013/10/lesson-92.html
奇跡は光の中で見えます。そして、光と強さはひとつです。
Miracles are seen in light, and light and strength are one.

        私は、私への「神」の贈り物である強さを通して見ます。
        I see through strength, the gift of God to me.
        私の弱さは、「神」の贈り物が追い払ってくれる暗闇です。
「神」はそれと
        取り換えるために「ご自身」の強さを与えてくださることによってこれをしてくださいます。
        My weakness is the dark His gift dispels, by giving me His strength to take its place.



毎時:奇跡は光の中で見えます。
On the hour:  Miracles are seen in light.

毎時の30分後に:奇跡は光の中で見えます。そして、光と強さはひとつです。
On the half hour: Miracles are seen in light, and light and strength are one.

Lesson111-120の復習レッスンについて

☆翻訳者からのメッセージ☆

これからの10日間、序文(Review Introduction)にしたがってレッスンを行います。

序文については、毎日レッスン前に読み返した方が、レッスンの意図を再確認できるかもしれません。

また、レッスンの元の文章(レッスン91~110)は必ず読み返した上でレッスンをするという事はこの復習レッスンから受け取り尽くすために不可欠な要素になるかと思います

実際にやってみると、仕事が休日の時で音が鳴っても大丈夫な時であれば、スマホや携帯のタイマーより、百円均一ショップのキッチンタイマーの方が、30分毎のタイマー作動、リセット、再度作動の作業が楽だったりする場合もあります。

もちろん、仕事の日はバイブ等にしないと問題あるお仕事の方が圧倒的に多いでしょうし、またお仕事によっては携帯やスマホも持ち歩けない方もいるでしょう。

置かれた環境の中で、あくまでもできる範囲でやりきったなら、とてもパワフルなレッスンで、自我の勝手なおしゃべりや干渉が静かになり、毎日心が不思議な静けさや穏やかさぬ満ちていくのを感じられると思います。

この世界中には同じ日に同じレッスンをやっている人々がおり、自分が毎時、あるいは毎時30分にレッスンの言葉を思い出している時、自分と同じようにレッスンの言葉に意識を合わせている人が必ずいます。

このレッスンは、自分一人の孤独な作業ではなく、同じ言霊で同じ想いを共有している人が必ずいます。

そして、それは見えないところで小さなシンクロの波紋を作ります。

同じレッスンをしている誰かがレッスンの言霊を心で発する度に、それはその人の中だけで終わらず、同じ時にそのレッスンを発する誰かの意識につながり共鳴し、まるで波紋が拡がるように、それぞれの言霊をさらに強めていきます。

レッスンの言霊に意識を向ける度に、その言霊を通して自分の本質の「愛そのものでしかない自分」を思い出す度に、見えないところで誰かもまた「愛そのものでしかない自分」を思い出すことを助けています。

また誰かが「愛そのものでしかない自分」を思い出す度に、自分もまた「愛そのものでしかない自分」を思い出すのを助けられるというシンクロの渦、その中に入る事ができるはずです。

今世では、まだ会ったこともなく、顔も名前も知らない人たちの間でも、それは当たり前のように起こります。

自分が毎時と毎時30分にレッスンの言葉に意識を向けるなら、それは、自分以外人々にも影響と学びを与え、またその人々から影響と学びを与えられる。

そのシンクロの中で働く聖霊の力は、とてつもないものになると思います。

自我とは、「私」という繋がっていない分離を選択し、信じ込むということ。

でも、同時にレッスンをやっている人々にシンクロが起こった時、分離という自我の力はどんどん弱くなっていきます。

それは、私たちが、遥か昔いにしえの時代に体験していた祭(祈りの分かち合い)を思い出すことでもあります。

どうかこの復習レッスンを全ての方が受け取り尽くせますように。

REVIEW III Introduction 

 私たちの次の復習は今日始まります。
Our next review begins today.
10日間連続して練習するために、毎日最近学んだレッスンを2つ復習します。
We will review two recent lessons every day for ten successive days of practicing.
これらの特別な練習時間には特別なやり方に従いますが、できるだけきっちりとこれに従うことを強くお勧めします。
We will observe a special format for these practice periods, that you are urged to follow just as closely as you can.

もちろん、ここで最も望ましいこととして提案されていることに、毎日、毎時、取り組むことは不可能であるかもしれないことを私たちは理解しています。
We understand, of course, that it may be impossible for you to undertake what is suggested here as optimal each day and every hour of the day.
指定された時間には不可能であるためにひとつの練習時間を抜いたとしても、学びが阻害されることはありません。
Learning will not be hampered when you miss a practice period because it is impossible at the appointed time.
また、数字という観点においてかならず追いつくために過剰な努力をする必要はありません。
Nor is it necessary that you make excessive efforts to be sure that you catch up in terms of numbers.
儀式的(にレッスンをしなくてはいけないという義務感からレッスンに取り組むこと)は私たちの狙いではなく、私たちの目標を挫折させることになるだけです。
Rituals are not our aim, and would defeat our goal.

しかし、(練習に意識を)与えることを依頼されている時間を練習に捧げたくないという理由で練習時間を飛ばしてしまうと、学びは阻害されるでしょう。
But learning will be hampered when you skip a practice period because you are unwilling to devote the time to it that you are asked to give.
このことにおいて、自分自身を騙さないでください。
Do not deceive yourself in this.
意欲のなさは、あなたにはコントロールできない状況があるのだという外套(=自我に基づく言い訳)の背後にきわめてもっともらしく隠すことができるものです。
Unwillingness can be most carefully concealed behind a cloak of situations you cannot control.
練習にうまく適していない状況と、あなたの意欲のなさをカモフラージュで隠すために確立する状況を見分けることを学んでください。
Learn to distinguish situations that are poorly suited to your practicing from those that you establish to uphold a camouflage for your unwillingness.

理由が何であれそれをしたくないという理由で失ってしまった練習時間は、あなたがあなたの目標に関して意識を変えたならばすぐに実行されるべきです。
Those practice periods that you have lost because you did not want to do them, for whatever reason, should be done as soon as you have changed your mind about your goal.
救いを練習することにおいて協力する気持ちがないのは、あなたがそれよりも大切にしている(自我の考える)目標を救いが邪魔をする場合に限ります。
You are unwilling to cooperate in practicing salvation only if it interferes with goals you hold more dear.
それらの(自我に基づいた)目標に与えていた価値を撤回するとき、練習時間がそれらの(自我に基づいた)目標に対するあなたの嘆願の代替物になることを許してください。
When you withdraw the value given them, allow your practice periods to be replacements for your litanies to them.
それらはあなたに何も与えてはくれませんでした。
They gave you nothing.
しかし、あなたの練習はあらゆるものをあなたに差し出すことができます。
But your practicing can offer everything to you.
そういうわけですから、練習が差し出してくれるものを受け容れ、心安らかでいてください。
And so accept their offering and be at peace.

これらの復習に使うべきやり方は次のようなものです。
The format you should use for these reviews is this:
一日2回、5分間、あるいはあなたが望むならばそれよりも長い時間を、課されている思いについて熟考することに捧げてください。
Devote five minutes twice a day, or longer if you would prefer it, to considering the thoughts that are assigned.
毎日の練習のために書き記されているそのレッスンの見方や説明文を読み直してください。
Read over the ideas and comments that are written down for each day's exercise.
それから、それらのレッスンの見方や説明文について考え始めてください。あなたの心に、それらのレッスンの見方や説明文を、あなたが必要としているもの、一見問題のように思われること、そしてあなたの心配のすべてと関連付けさせながら考え始めてください。
And then begin to think about them, while letting your mind relate them to your needs, your seeming problems and all your concerns.

それらの見方をあなたの心の中に置き、心が選択するままにそれらを心に使わせてください。
Place the ideas within your mind, and let it use them as it chooses.
心は、その思いをあなたに与えた「存在」によって決断を助けられて、それらの見方を賢明に使うだろうことを信頼してください。
Give it faith that it will use them wisely, being helped in its decisions by the One Who gave the thoughts to you.
あなたの心の中にあるもの以外の何を一体信頼することができるでしょうか。
What can you trust but what is in your mind?
これらの復習において、「聖霊」が使う手段は失敗しないということを信頼してください。
Have faith, in these reviews, the means the Holy Spirit uses will not fail.
あなたの意識の叡智があなたの援助にやって来るでしょう。
The wisdom of your mind will come to your assistance.
最初に方向を与え、それから、何も言わずに信頼して背もたれに背中を預けてくつろぎ、あなたが与えた思いを心に使わせてください。
Give direction at the outset; then lean back in quiet faith, and let the mind employ the thoughts you gave as they were given you for it to use.

それらの思いはあなたの心が使うようにとあなたに与えられたものです。
You have been given them in perfect trust;
それらの思いは完璧な信頼の中であなたに与えられました。
in perfect confidence that you would use them well;
すなわち、あなたはそれらを上手に活用するだろうという完璧な自信において、そして、あなたはそれらのメッセージを見てあなた自身のために活用するだろうという完璧な確信においてあなたに与えられました。
in perfect faith that you would see their messages and use them for yourself.
それと同じ信頼と自信と確信をもってそれらの思いをあなたの心に差し出してください。
Offer them to your mind in that same trust and confidence and faith.
それは失敗することはありません。
It will not fail.
それはあなたの救いのために「聖霊」によって選ばれた手段です。
It is the Holy Spirit's chosen means for your salvation.
それは「聖霊」に信頼されているのですから、「聖霊」の手段はあなたの手段になる価値もあることは確実です。
Since it has His trust, His means must surely merit yours as well.

一日の最初の(朝起きてすぐの)5分間をこの復習にささげ、また、目を覚ましている一日の最後の(眠りにつく)5分間を復習に捧げるならば、あなたにとっての恩恵がさらなるものになることを強調したいと思います。
We emphasize the benefits to you if you devote the first five minutes of the day to your reviews, and also give the last five minutes of your waking day to them.
これができない場合には、少なくとも、練習時間を二つに分け、1回目は午前中に、2回目は就寝前の一時間の中で行うように努めてください。
If this cannot be done, at least try to divide them so you undertake one in the morning, and the other in the hour just before you go to sleep.

一日を通して行う練習も等しく重要ですが、おそらくは、朝夕2回の練習よりもより大きな価値さえあるかもしれません。
The exercises to be done throughout the day are equally important, and perhaps of even greater value.
あなたは指定された時間にだけ練習をする傾向があります。
そして、他のことがらに取りかかりますが、そこで学んだことをそれらに適用することをしません。
You have been inclined to practice only at appointed times, and then go on your way to other things, without applying what you learned to them.
その結果、ほとんど学びが補強されず、その潜在的な贈り物がどれほど偉大なものであるかを証明する公正な機会を学びに与えていません。
As a result, you have gained little reinforcement, and have not given your learning a fair chance to prove how great are its potential gifts to you.
ここに、それをしっかりと使うもう1回の機会があります。
Here is another chance to use it well.

これらの復習においては、長めの練習の合間に学びを無為に休ませないようにする必要があることを私たちは強調します。
In these reviews, we stress the need to let your learning not lie idly by between your longer practice periods.
毎日2つのレッスンの見方を、毎時、短い時間であっても真剣に復習するようにしてください。
Attempt to give your daily two ideas a brief but serious review each hour.
ひとつ目のレッスンの見方を一時間の最初に、2つ目のレッスンの見方をそれから30分後に使ってください。
Use one on the hour, and the other one a half an hour later.
それぞれにほんの数秒かけるだけでよいのです。
You need not give more than just a moment to each one.
それを繰り返し、あなたの心が沈黙と安らぎの中で少しの間休息することを許します
Repeat it, and allow your mind to rest a little time in silence and in peace.
それから、他のことに向かいます。しかし、その思いを保持するように努め、あなたが一日中安らぎを保つためにもその思いを役立たせてください。
Then turn to other things, but try to keep the thought with you, and let it serve to help you keep your peace throughout the day as well.

心が動揺したならば、その日のレッスンの見方について再び考えてください。
If you are shaken, think of it again.
これらの練習時間は、毎日学ぶことをあなたがするすべてのことに適用する習慣を形成するのに役立つように計画されています。
These practice periods are planned to help you form the habit of applying what you learn each day to everything you do.
思いを繰り返して、それからその思いを停止しないでください。
Do not repeat the thought and lay it down.
その有用性はあなたにとって無限です。
Its usefulness is limitless to you.
それは、あらゆる形で、あらゆるときに、あらゆる場所で、いかなる種類のものであれあなたが助けを必要としているときはいつでも、あなたに奉仕するように意図されています。
And it is meant to serve you in all ways, all times and places, and whenever you need help of any kind.
そのような訳ですから、その日の仕事にもそれを持っていき神聖なものにしてください。そして、それを「神の子」にふさわしく、「神」及びあなたの「自己」にとっても受容可能なものにしてください。
Try, then, to take it with you in the business of the day and make it holy, worthy of God's Son, acceptable to God and to your Self.

毎日の復習の課題は、毎時に使う思いと、それから30分後に使う思いを再び述べることによって終わります
Each day's review assignments will conclude with a restatement of the thought to use each hour, and the one to be applied on each half hour as well.
それらを忘れないでください。
Forget them not.

これらのレッスンの見方一つ一つに関するこの2番目の機会は、非常に大きな前進をもたらしてくれるでしょう。それは非常に大きな前進であるために、これらの復習によって得られる学びの収穫も非常に偉大なものとなり、私たちはさらに固められた地面をこれまでよりもしっかりとした足取りで、そしてさらに強くなった信頼をもって歩き続けることでしょう。
This second chance with each of these ideas will bring such large advances that we come from these reviews with learning gains so great we will continue on more solid ground, with firmer footsteps and with stronger faith.

        あなたは『ほんの少ししか学んでいないこと』を忘れないでください。
        Do not forget how little you have learned.
        あなたは『今どれだけ多くのことを学ぶことができるか』を忘れないでください。
        Do not forget how much you can learn now.
        神があなたに与えてくれたこれらの思いを復習しながら、あなたの神があなたを必要としてい
        ることを忘れないでください。
        Do not forget your Father's need of you,  As you review these thoughts He gave to you.

学びのプロセス(教師のためのマニュアルより抜粋)

師の言葉より・・・。

レッスン100を超え、あまりにもリアルレッスンが続いたり、自我に揺さぶりをかけられて、本当にレッスンができているのだろうか、落ちこぼれでJからも見放されるのではないかという自我のささやきが時に聞こえてくるかもしれません。

下記は、奇跡のコース「教師ためのマニュアル」から、学びのプロセスについて書いてある部分を抜粋してあります。

この部分から、Jはすべてお見通しだということがなんとなくわかるかもしれません。

奇跡のコースは、それぞれの人にオーダーメードのものになっており、同じレッスンをやっていても、一見表れる変化は進捗度合いが異なるように感じるかもしれません。

しかし、どの人も、レッスン100の段階で見える世界と、レッスン200の段階で見える世界とは、全く次元の違うものになります。

奇跡のコースの学習者たちは、ほとんど、自我の取り消しというゆるしのプロセスを誤解してしまう部分があり、いとも簡単に不可思議な力がつくものだと考えてしまいます。

しかし、すべての人がまだ道の途中であり、ゴールにはいたっていないのです。

奇跡のコースは深い深いものです。

目覚めへのプロセスにおいて、途中になにがあろうとも、いつもJが見ていてくれているということが以下より感じていただけるかもしれません。


◆教師のためのマニュアルより◆

知覚することは学習の結果である。

事実、知覚することが学習だといえる、原因と結果は決して別々にはならないのだから。


神の教師たちはこの世界を信用している。

それというのもこの世界は、この世界が作り上げた(自我の)法則によって支配されているのではないことが分ってきたからである。


それはその人たちの内にありながらも、自分のものではあらざる御力によって支配されている。


これこそすべてのものを安全に護ってくれる御力。

この御力を通して神の教師たちは許された世界をながめるのである

このような御力をいったん経験したら、自分自身の取るに足らない(自我に基づいた)力などもう二度と信用することは不可能となる。

いったいだれが、偉大な鷲のような力が与えられているというのに、ちっぽけなスズメの翼で飛んでみようとなどするだろうか。


そしてだれが、神の賜物が目の前に置かれている時に、自我のみすぼらしい捧げ物のほうを信頼しようとするだろう。

何がその人たちに心を入れ替えようという気にさせるのだろうか。


A. 信用の発達過程

まずその人たちは「取り消しの時期」とでも呼べるときを過ごさなければならない。

これには必ずしも苦しみが伴わなくてもいいのだが、普通そうした体験になりがちだ。


まるでいろいろなものが取り上げられていくように思えるが、それはそうしたものに価値がないと気づいたにすぎないのだということが、最初はほとんど理解されない。

ものごとを違う見方で見ざるを得ない立場におかれた者でなければ』、どうして『その価値のなさ』を知覚できるだろうか。

その人はまだ、内面的に完全に転換できるところまできていない。

したがって、その計画は時には外面的な境遇の変化を必要とすることもある。

こうした変化はいつも役に立つ。

神の教師がそれだけ習ったとき、次の段階へと進むことになる。


つづいて、神の教師は「区別する時期」を通っていかなければならない。


これは、『やや難しいのが常』、なぜなら自分の生活のなかでの変化は、いつも役立つということが分ってきたので、今ではすべてのことを、それがもっと役に立つのかそれとも妨げになるのか、ということに基づいて決める必要がでてくるからである。

その人は、自分がいぜん大切にしていた(自我に基づいた)ものごとのほとんどとまでいかなくても、そのうちの多くが、『自分の習ったことを新しい状況がもちあがるにつれてそれに置き換えるという能力を、じゃまするだけだ』と分ってくる。

『本当に価値のないもの』を大切にしてきたために、『失うことや犠牲を恐れて』、習ったことから結論を導き出すことができずにいる。

『すべての物事や出来事や出会いや境遇が役に立つ』、ということを理解するには『かなりの学習を要する』。

そうしたことがどれほど役立つかという範囲でのみ、この錯覚の世界において、そうしたことにもある程度の真実味があるといってもいい。

「価値」ということばは、他のものには何一つあてはまらない。

三番目に神の教師が通り抜けなければならないところを、「放棄する時期」とよんでもいい。


もしこれを、『望ましいものをあきらめることだと解釈したなら、ものすごい葛藤を生じる』ことになるだろう。

このような苦悩を完全に免れる神の教師はほとんどいない。

しかしながら、『価値のあるものを価値のないものから選り出す』ということは、つぎの明白な一歩を取らない限り、何の意味もない。


だから、神の教師が自分自身にとって一番ためになることを、真理のために犠牲にするようにと頼まれているように感じそうな、二つのことが重なる段階がありそうだ。

その人は今のところ、そんな要求がいかに全く不可能なことか悟っていない。

このことはその人が『実際に価値のないものを本当に手放したときにのみ』分ってくる。

こうすることで、その人は悲しみを予想していたのに、かわりに気が楽になって嬉しくなったり、何かを自分に要求されていると思っていたのに、賜物を授けられていることがわかってくるのである。
ここで「腰を落ち着ける時期」がくる。これは静かなときで、神の教師はしばらく程よい平安のうちに一休みできる。

ここで自分の習ったことを統合することになる。

ここで自分の学習してきたことの転移価値が見えはじめる。

それの可能性は文字どおり驚異的であり、その神の教師はいまこそ自分の進んでいる過程において、そこから抜け出せる道が見えてきた時点にいる。

「自分の望まないものを手放し、自分の望むものを取っておくこと」そうした明白なことはなんと簡単なことだろう。


そしてなんと容易に行なえることか。

神の教師にはこうした休息するための時期が必要だ。

その人はまだ自分で思っているほど遠くまできてはいない。

しかし進む準備ができたら、力強い仲間たちと連れだって行くことになる。


今しばらく休んで、出発する前にみんなを集めている。ここからは一人で進むのではないのである。

次の段階はまさしく「心が動揺する時期」となる。

今となって、神の教師は何が大切で何が大切でないのか、自分には本当によく分ってはいなかったと判断せざるを得ない。


実際には今のところ、自分は価値のないものは望んでおらず、価値のあるものを望んでいるということが分っただけだ。

しかしその違いを自分に教えるのに、自分自身で区別しようとしたことは無意味だった。

『犠牲についての想念がその人自身の考え方の中心となっている』ので、それがその人に全く判断できなくさせている。

自分では、快く進んですることを学んだと思っているが、こんどは何のためにそうするのかが分っていないことが見えてくる

だからこれから、もしかするとそこに達するまでには、長い長い時間がかかるかもしれないが、その状態になんとか達しなければならない。

判断することを全面的にやめるようにしなければならないし、どのような境遇にあっても自分の本当に望むことだけを求めるようにならなければいけない。

こうした方向にむかうそれぞれの段階をかなり重点的に強化してなかったなら、確かに難しいことだといえるだろう。


そして最後に「達成したといえる時期」がある。

ここで、学習してきたことが統合される。

今こそ、以前はただの影にすぎないと見なされていたことが、堅実に習得したものとなり、平穏なときだけでなく、ありとあらゆる「緊急事態」においても頼りにできるようになる。

実のところ、平穏な状態がその結果であり、正直な学習と一貫性のある思考と十分な転移の成果である。

これが本当の平安といえる段階、ここにこそ天国の状態が余すところなく反映されているのだから。

ここからは天国への道は開いているし容易である。

事実、それはここにある。もし心がすでに平安に満たされているなら、いったいだれがどこかよそに「行こう」とするだろうか。

そしてだれが平穏をなにかもっと望ましいものに変えようとなどするだろうか。

いったい何がこれ以上に望ましいものとなり得るだろうか。

復習の際のLesson26について

☆翻訳者より☆

このレッスン26、ずっと前にやったレッスンですが、かつて一度やった時と、今あらためてやり直してみるのとで、また感じ方が違うかもしれません。

もちろん、やはり、一冊の本や一回のスピリチュアルカウンセリングのセッション以上のものが、たったこれだけの文章に集約されていると思います。

世の中的には、半沢直樹が家政婦のミタを越える記録的な視聴率だったようですが、「やられたらやり返す、倍返しだ」というメッセージの対極にある見方です。

自我には、「やられたらやり返す、倍返しだ」という見方が響きます。

そして今日の見方は、自我にとっては受け入れ難い見方です。

もう一度、何度か読み返してみると、とてつもなく深い内容だという事がわかるかと思います。

もし、今日のレッスンの本質を、頭でなく深いところで受け取ったなら、それだけで人生は次元が違う別のものに変わるぐらい深いものだと思います。

奇跡のコースの伝えることは、究極な真実からすると、あなたは「傷けられえない存在」として本質的には存在していると伝え続けています。

しかし、生まれ落ちてから親や学校や社会との関わりの中で、この真実から正反対の誤った観念(=自我)が植え付けられていきます。

歴史をみても、何千年と繰り返されてきた人間の歴史です。
すなわち、私たちは「傷けらうる存在」として、自分を守らなければならない「やらなければやられる」と無意識で思うようになり、その時、自我の中に無意識の攻撃性が生まれます。

人間関係であれ、仕事であれ、経済的問題であれ、将来あるいは人生そのものであれ、私たちが心配し、また傷つくことを怖れるのは、その本質的な原因について、その真実が今日のレッスンで伝えられています。

自我の見方を選択すれば怖れはいつも付きまとい続けます。
でも、自我以外の道を選択できる、それを選択し続けるためのトレーニングが奇跡のコースです。

このタイミングでこのレッスンを再度してみて、真摯にその意図するところを、今のタイミングであなたにどうしても伝えたいことを受け止めようとしたなら、、魂からの目覚めを何回もノックしているJの存在を感じられるかもしれません。

「あなたは、あなたの存在そのものは、他人から、押し寄せる出来事から、人生そのものから・・・本当は傷けられえないほど尊い存在なのだよ」というJのメッセージ。

会社や家族や出来事や環境や過去の、被害者ではない選択、自分の魂の真実。


今日のレッスンは以下の感じです。

「私は   について心配しています。」
   ↓
あなたの心配の原因となっている結末を具体的思い浮かべて言います。
   ↓
「私は    が起こることを恐れています。」

「私は    が起こることを心配しています。」

「私は    が起こることを不安に思っています。」

「私は    が起こることを危惧しています。」

「私は    が起こることを嫌だと怖れています。」

(5つや6つの、あなたを悩ませる最悪の可能性が出てくるはず)
   ↓
次のことを自分自身に向かって言います。

「そんな思いは私自身に対する攻撃です。」

今日のレッスンは1回2分×6回とされています。

明日は、もう一度、これからの自分自身が何を選択するかについての、あのレッスンを再度復習します。

復習の際のLesson21について

☆翻訳者より☆

過去にすでに一度やったレッスンですが、再度レッスン21をやります。

ご存知の通り、レッスン21から数日のレッスンは、怒涛のように内面を深く見つめていくレッスンです。

数あるレッスンの中でも、自分の中のまさしく感情や観念を深く見るレッスンです。

具体的にはレッスン21は『怒り』についてです。

そして、自我の判断から「誰々のこれこれについてこれは怒って当然だ」という怒りの奥にある『攻撃性の正当化』という強固な観念を「もう一度」、解体するためのレッスンです。

レッスン21は怒りそのものより、怒りの奥にある『攻撃性の正当化』という私たちの自我の奥底にある強固な観念をみていくレッスンです。

会社で、職場で、家庭で、夫婦関係や親子関係で、私たちの自我は「自分が怒る理由」の正当性をいつも探しているかもしれません。

つまり、自我から見て、その自我が「こうであるべき」と思っている自我のルールと違うものに遭遇した時、攻撃性を持つのは正当であるという『観念』を当然だと思って生きています。

《私は物事を違った目で見ることを決意しています。》とたとえレッスンの数分でも受け入れるいうのは、強固な怒る・責めることの正当性という自我の観念を一瞬でも手放さなければなりません。

このレッスンの深さは、過去に一度やった時よりも、深く染みるかもしれません。

レッスン111以降のレッスンを受け取り尽くすために、知らず知らず目をそむけていたある一面、あるいは見ることさえしてこなかったある一面をもう一度見ていきましょう。

特に、レッスン91以降から、レッスンが辛かったり、自我の抵抗が強く出てレッスンに向き合う気持ちの停滞を感じている人もいるかもしれません。

一方で、レッスンそのものが楽しくなってきたり、レッスンから、あるいは聖霊から、「受けとるとはこういうことなんだ」という新鮮な体験をし始めている方もいるでしょう。

この違いは、個人的な資質の違いではありません。個人的な資質よりもむしろ、この奇跡のコースの前提の理解がされているかいないかということにあるようです。

ポイントは「神の使者」です。

神の使者を2・3回と複数回以上読んでいる人は、レッスンから受け取りやすくなっているようです。

個人的な生きやすさや、自己肯定感、ある種の目覚めの片鱗、シンクロの増加などを経験し、まさに奇跡のコースが「奇跡」だということが体感的にわかるという体験です。
(現時点とレッスン200を超えてからでは、同じような体験でもまた次元や見ている世界が違ってきますが・・・)

一方で、神の使者をあまり読んでないという方や、一回しか読んでないという方はちょっとレッスン91~レッスン110が苦しかったり、自我がかえって強くなったりしている方が多いようです。
(自我はレッスンをされて自我の解体が進むと困るので・・・)

神の使者は一回だけ読んでもなんだかよくわからないというのが正直な感想だと思います。

そして、読むのにも自我が邪魔して、眠くなったり、やめたくなったり、ついつい別のことをしたくなります。

しかし、二回目、三回目と読み返してみると、やっとどれほど深い事が書いてあるのかがわかります。

ある瞬間、ふと感動や感嘆がやってきます。(この感覚はもちろん個人差はあります)

そういう意味ではモーツァルトの音楽に似ています。(何度も触れてやっとその凄さがわかるという点において)

また、神の使者を一度も通しで最後まで読んでないという方は、レッスン120以降やテキスト編の理解が苦しくなると思います。なので、必ず2・3回は読むようにしていただけたらと思います。

翻訳者からの提案 Lesson111に入る前に・・・

☆翻訳者より☆

レッスン111以降を受けとり尽くすために・・・。

これからのレッスンを吸収していく上で、レッスン19~レッスン27の復習と、テキストを集中的に読み進める時期を設けることを強くお勧めします。

レッスン27までと、テキスト編をある程度理解していないと先々のレッスンの内容が理解しきれなくなるかもしれないからです。

レッスンの内容といっても頭や理屈で理解するという意味ではありません。

レッスンを通して伝えられることが「理屈でなく、身体感覚としてわかる」という意味です。

レッスン91を越えたあたりから、むしろ「自我が本来的に解体される危機感を感じ」「自我の主張や自我そのものに飲み込まれる」事が増えた方もいらっしゃると思います。

いわゆる、『自我が暴れる』というものです。

これは、「レッスンがうまく出来てないということ」ではありません。

むしろ、レッスンが見えないところで、さらに動き始めているからこそ、自我がかえって、レッスンに対する抵抗や、日常生活において自我の主張、自我そのものにまた引き戻そうとする自我の抵抗であり、実はレッスンがじわじわと効いてきていることなのです。

けれども、ここで「自我の仕組み」や、「このレッスンの背景」の理解を充実させておくことが、大切なタイミングとなります。

レッスンに対しての自我の悪あがきを「自我の観察者」として「自我」を見抜き、「自我そのものに飲み込まれ、自我そのものになりきらない」ことが必要になります。

何度も繰り返されてきたように、自我は私たち自身ではなく、私たちが自身だと思い込んできた過去のパターンでしかありません。

テキストを読むに当たっては、何回か読み返しても「内容を理解し尽くせる」とは思わないというスタンスが大切になります。

つまり、一読して、「わかったような気にならない」ように気をつけるという事がポイントになります。

「神の使者」ゲイリー・レナード著を何回も呼んだりした方は、一度目に読んだ時と二度目に読んだ時、そして、その後読んだ時に、「ええぇ!こんな事が書いてあったんだ!」とビックリされた方もいるかと思います。

つまり、最初読んだ時は単なる頭で理解しようとしてしか読んでいなかったことに気付き、どれほど深いエッセンスが詰まっていたかが、その時の自分ではわからなかった、ということに愕然とし、また中身のとんでもない深さを知れば知るほど、感動を越えた感嘆を感じたはずです。

テキストはさらにその深さが半端じゃないです。

もちろん、自我はテキストに対して、あらんかぎりの大抵抗をします。

わかったふりをさせようとするかもしれません。

自我の狭い理屈で、反論や反感を抱かせようとするかもしれません。

眠たくさせるかもしれません。

読むのを遠ざけようと、スルーさせようとするかもしれません。

けれども、集中的にテキストに触れるということは、レッスン111以降のレッスンから受け取れる深さが段違いに変わります。

テキストは、この時期に何度も読み返すとよいかとは思います。

Lesson 110

私は神が私を創造されたままです。
I am as God created me.

 私たちは今日の新しい見方を時々繰り返します。
We will repeat today's idea from time to time.
というのは、あなたがそれを真実であると信じれば、この一つの思いはあなたとこの世界を救うのに十分だからです。
For this one thought would be enough to save you and the world, if you believed that it is true.
その真実性は、あなたはあなた自身の中に実在性のある変化は何も作らなかったことを意味し、また、宇宙を変えて「神」が創造されたものを怖れと悪、悲惨と死と取り換えることもしていないということを意味します。
Its truth would mean that you have made no changes in yourself that have reality, nor changed the universe so that what God created was replaced by fear and evil, misery and death.
もしもあなたが、「神」があなたを創造したままであるとすれば、怖れには何の意味もなく、悪は実在せず、悲惨と死は存在しません。
If you remain as God created you fear has no meaning, evil is not real, and misery and death do not exist.

したがって、今日の新しい見方は、完璧な修正によってあなたの心を癒し、心がいかなる時においてであれ、いかなる場所においてであれ犯した間違いのすべてを癒してくれる完璧なヴィジョンを与えるために、あなたが必要としていることのすべてなのです。
Today's idea is therefore all you need to let complete correction heal your mind, and give you perfect vision that will heal all the mistakes that any mind has made at any time or place.
今日の新しい見方は過去を癒し、未来を自由にするのに十分なものです。
It is enough to heal the past and make the future free.
それは現在をありのままに受け容れさせるのに十分なものです。
It is enough to let the present be accepted as it is.
それは、時間を世界のすべてが時間から脱出するための手段にしてしまうのに十分なものです。
そして、時間が経過する中でもたらすように見えるあらゆる変化から脱出するための手段にしまうのに十分なものです。
It is enough to let time be the means for all the world to learn escape from time, and every change that time appears to bring in passing by.

あなたが、「神」があなたを創造されたままであるとすれば、外見は真実に取って代わることはできず、健康が病気に変ることはなく、死が生命の代替物になることもなく、怖れが愛の代替物になることもありません。
If you remain as God created you, appearances cannot replace the truth, health cannot turn to sickness, nor can death be substitute for life, or fear for love.
あなたが、「神」があなたを創造したままであるならば、こうしたことのすべては起こっていません。
All this has not occurred, if you remain as God created you.
贖罪に世界を光で照らさせて過去から解放するためにはこれ以外の思いは必要ではありません。
You need no thought but just this one, to let redemption come to light the world and free it from the past.

この一つの思いにおいて過去のすべては解除され、現在は救われて時間のない未来へと静かに延長されるでしょう。
In this one thought is all the past undone; the present saved to quietly extend into a timeless future.
あなたが、「神」があなたを創造されたままであるならば、あなたの心が「神の心」から分離したことはなく、あなたの心と他の心の間に分裂もあったことはなく、あなた自身の心の中に統合だけがあったのです。
If you are as God created you, then there has been no separation of your mind from His, no split between your mind and other minds, and only unity within your own.

今日の新しい見方の癒しの力は無限です。
The healing power of today's idea is limitless.
それはすべての奇跡の出生地であり、世界の意識に対する真実の偉大な回復者です。
It is the birthplace of all miracles, the great restorer of the truth to the awareness of the world.
今日の新しい見方を感謝しながら練習してください。
Practice today's idea with gratitude.
これがあなたを自由にするためにやって来る真実です。
This is the truth that comes to set you free.
これが、「神」があなたに約束した真実です。
This is the truth that God has promised you.
これが、その中ですべての悲しみが終わる「言葉」です。
This is the Word in which all sorrow ends.

5分間の練習を、「テキスト」から以下の引用文で始めてください。
For your five-minute practice periods, begin with this quotation from the text:

        私は「神」が私を創造されたままです。「神の子」はいかなる苦しみも体験することは
        不可能です。
         I am as God created me. His Son can suffer nothing.
        そして、私は「神の子」です。
         And I am His Son.

それから、この言葉をしっかりと心の中において、「神自身」の神聖な「子」である「自己」をあなたの心の中に発見してください。
Then, with this statement firmly in your mind, try to discover in your mind the Self Who is the holy Son of God Himself.

あなたの中の「キリスト」であり、「神の子」であり、世界に対する兄弟である「彼」をあなたの中に探し求めてください。「彼」は永遠に救われた「救い主」であり、彼は「彼」の兄弟であると告げる「言葉」を求めてほんのかすかであれ「彼」に触れる人は誰でも救う力をもっています。
Seek Him within you Who is Christ in you, the Son of God and brother to the world; the Savior Who has been forever saved, with power to save whoever touches Him, however lightly, asking for the Word that tells him he is brother unto Him.

あなたは「神」が創造したままです。
You are as God created you.
今日は、あなたの「自己」に敬意を表してください。
Today honor your Self.
今日は、「神の子」の本質の代わりにあなたが作った(自我の)偶像を崇拝しないでください。
Let graven images you made to be the Son of God instead of what he is be worshipped not today.
あなたの心の奥深いところで、あなたの中の神聖な「キリスト」があなたによってあなたとして認められるのを待っています。
Deep in your mind the holy Christ in you is waiting your acknowledgment as you.
そして、あなたの内なる「キリスト」が認められず未知のままである間は、あなたは道に迷い自分自身を知ることはありません。
And you are lost and do not know yourself while He is unacknowledged and unknown.

今日は「彼」を探し求めてください。そして、「彼」を発見してください。
Seek Him today, and find Him.
「彼」はあなたが作ったすべての偶像からのあなたの「救い主」となるでしょう。
He will be your Savior from all idols you have made.
というのは、「彼」を発見したとき、あなたの(自我の)偶像がいかに無用のものであるか、そして、あなたがあなたであると信じていたイメージがいかに誤ったものであるかをあなたは理解するからです。
For when you find Him, you will understand how worthless are your idols, and how false the images which you believed were you.
今日、私たちは(自我の)偶像を手放すことによって、そして、「神」に向かって両手を広げ、心と意識を開くことによって真実に向かって大きく前進します。
Today we make a great advance to truth by letting idols go, and opening our hands and hearts and minds to God today.

私たちは一日中、今日出会うすべての人たちに対する感謝いっぱいの心と、愛情に満ちた思いを  もって、「彼」を思い出します。
We will remember Him throughout the day with thankful hearts and loving thoughts for all who meet with us today.
というのは、そのようにして私たちは「彼」を思い出すからです。
For it is thus that we remember Him.
そして、私たちは、「神の子」、私たちの神聖な「自己」、私たち一人一人の中にいる「キリスト」を思い出せるように、次の言葉を言います。
And we will say, that we may be reminded of His Son, our holy Self, the Christ in each of us:

        私は「神」が私を創造されたままです。
         I am as God created me.

できるだけ頻繁にこの真実を宣言しましょう。
Let us declare this truth as often as we can.
これがあなたを解放する「神の言葉」です。
This is the Word of God that sets you free.
これが「天国」の門を開く鍵であり、あなたを「神」の安らぎと「神」の永遠性の中に入れてくれる鍵です。
This is the key that opens up the gate of Heaven, and that lets you enter in the peace of God and His eternity.

どうしようもないとき

師の言葉より・・・。

レッスン90以降、自我が解体されることに本格的に危機感を感じ、レッスンとリンクして、ハードなリアルレッスンに直面することもあるかもしれません。

そんなときには、もう本当に駄目だと感じることもあるかもしれません。

でも、もう駄目だと思っているのはあなたの本質ではなく、自我がそう思わせているだけです。

それを真に受けて、自分が「もうだめだ」と感じていると思っているとき、自分=自我に錯覚してしまい、自我のワナに嵌められているということを見抜くようにします。

「もうだめだ」と感じさせている自我はそもそもあなたの本質ではない自我が勝手に言ってそそのかしているので、その自我に付き合い、その自我の言葉に対して「なんとかしよう」とすると、ますます自我のワナにはまります。

自我のワナに嵌まっているときは自分を自我と思い込んでいますから、自我に騙されたままで自我から聖霊にお願いしても、そもそも自我は聖霊を信用してませんから(自我は自我以外は、神であれ、聖霊であれ、レッスンであれ、人であれ、けして信用してたまるかと思っています)、聖霊とコミュニケーションすることを自我自体が拒否しています。

なので、まず、「もうだめだ」と感じた時点で、今、自分はまた自我に騙されかけていると、自我の企みを見抜き、「自分の本質は神の一部であって、いつも不安で怖れていて疑り深い自我ではない。聖霊よ、私が自我なんかではなく、神の一部(私はキリスト意識そのもの)であることにとどまらせてください。自我が不安や怖れや疑いという形で私を騙そうとしても、それに騙されないで、神の一部としての安らぎが私であることを思い出させ続けてください」というようにします。

もちろん、自我は、それに対して、「聖霊や神やレッスンなんて信用できない。この怖れや不安や疑いやこりゃだめだという感覚こそがお前自身なのだ」とそそのかし続けますが、その誘惑に乗らないようにする意思は必要です。

そして、諦めずに、やすらぎや静けさが訪れるまで、くり返しゆるしを行いつづけます。

Lesson 109

私は神の中で休息します。
I rest in God

私たちは今日、休息を依頼します。
そして、この世界の外見によって揺るがされることのない静けさを依頼します。
We ask for rest today, and quietness unshaken by the world's appearances.
さまざまな(自我という幻想の)夢が衝突して生まれるありとあらゆる混乱の真っただ中で、私たちは安らぎと静寂を依頼します。
We ask for peace and stillness, in the midst of all the turmoil born of clashing dreams.
私たちは危険や悲しみを目にしているように思われますが、安全と幸せを依頼します。
We ask for safety and for happiness, although we seem to look on danger and on sorrow.
そして、私たちには、私たちが要請するものによって私たちの依頼に応える思いがあります。
And we have the thought that will answer our asking with what we request.

『私は神の中で休息します。』
"I rest in God."
この思いは、あなたが探し求める休息と静けさ、安らぎと静寂、安全と幸せをあなたにもたらしてくれるでしょう。
This thought will bring to you the rest and quiet, peace and stillness, and the safety and the happiness you seek.
 『私は神の中で休息します。』
"I rest in God."
この思いにはあなたの中にあって眠っている真実を覚醒する力があります。この真実のヴィジョンは外見を超越して、すべての人、そして、存在するすべてのものの中にある同じ真実を見ます。
This thought has power to wake the sleeping truth in you, whose vision sees beyond appearances to that same truth in everyone and everything there is.
ここに、この世界すべてにとっての苦しみの終わりがあります。そして、これまでにここに来たすべての人、そしてこれからやって来てしばらく留まることになるすべての人にとっての苦しみの終わりがあります。
Here is the end of suffering for all the world, and everyone who ever came and yet will come to linger for a while.
ここに、「神の子」がその中で生まれ変わり、自分自身を認識する思いがあります。
Here is the thought in which the Son of God is born again, to recognize himself.

『私は神の中で休息します。』
"I rest in God."
この思いは、あなたがまったく動じることなく嵐や争い、過去の悲惨事や苦痛、喪失や死を通り抜けて、「神」の必然性へとあなたを連れて行ってくれるでしょう。
Completely undismayed, this thought will carry you through storms and strife, past misery and pain, past loss and death, and onward to the certainty of God.
それが癒すことのできない苦しみはありません。
There is no suffering it cannot heal.
それが解決することができない問題はありません。
There is no problem that it cannot solve.
そして、「神」の中で休息するあなたの目の前で真実に変貌しない外見はないでしょう。
And no appearance but will turn to truth before the eyes of you who rest in God.

今日は安らぎの日です。
This is the day of peace.
あなたは「神」の中で休息し、この世界は憎しみの風によって引き裂かれていますが、あなたの休息はまったく乱されることはありません。
You rest in God, and while the world is torn by winds of hate your rest remains completely undisturbed.
あなたの休息は真実の休息です。
Yours is the rest of truth.
外側で見えるものはあなたの邪魔をすることはできません。
Appearances cannot intrude on you.
あなたはすべての人たちに、あなたと一緒に休息するようにと呼びかけます。
彼らは、あなたが「神」の中で休息しているがゆえに、あなたの声を聞いてやってきます。
You call to all to join you in your rest, and they will hear and come to you because you rest in God.
彼らにはあなたの声以外の声は聞こえません。なぜなら、あなたはあなたの声を「神」に与え、そして今、「神」の中で休息し、あなたを通して「神」が語ることを許すからです。
They will not hear another voice than yours because you gave your voice to God, and now you rest in Him and let Him speak through you.

「神」の中にあって、あなたにはいかなる心配も懸念もなく、いかなる重荷もなく、いかなる焦りもなく、いかなる苦痛もなく、未来に対するいかなる怖れもなく、過去についてのいかなる後悔もありません。
In Him you have no cares and no concerns, no burdens, no anxiety, no pain, no fear of future and no past regrets.
あなたは無時間性の中で休息し、時間はあなたに触れることなく過ぎていきます。
というのは、あなたの休息はいかなる形においてもまったく変わることはないからです。
In timelessness you rest, while time goes by without its touch upon you, for your rest can never change in any way at all.
今日、あなたは休息します。
You rest today.
そして、目を閉じながら静寂の中に沈んで行ってください。
And as you close your eyes, sink into stillness.
休息と息抜きのこれらの時間に、心の半狂乱の空想はすでに過ぎ去った熱情の夢にすぎなかったということをあなたの心に告げて安心させてください。
Let these periods of rest and respite reassure your mind that all its frantic fantasies were but the dreams of fever that has passed away.
心を静かにさせて、感謝の中でその癒しを受け容れさせてください。
Let it be still and thankfully accept its healing.
あなたが「神」の中に休息している今、これ以上恐ろしい夢がやって来ることはありません。
No more fearful dreams will come, now that you rest in God.
今日は時間をさいて夢から抜け出し、安らぎの中に入ってください。
Take time today to slip away from dreams and into peace.

今日、あなたが休息のために一時間をとるたびに、疲れた心は突然喜びに満たされ、翼が折れた鳥が歌いだし、長いあいだ乾いていた川が再び流れ始めます。
Each hour that you take your rest today, a tired mind is suddenly made glad, a bird with broken wings begins to sing, a stream long dry begins to flow again.
あなたが休息するたびに、この世界は再び生まれ変わります。
そして、一時間ごとに、あなたはこの世界があなたと一緒に休息できるように「神」の安らぎをこの世界にもたらすためにやってきたことを思い出してください。
The world is born again each time you rest, and hourly remember that you came to bring the peace of God into the world, that it might take its rest along with you.

今日、あなたが5分間休息するたびに、この世界は覚醒に近づきます。
With each five minutes that you rest today, the world is nearer waking.
そして、休息だけが存在する唯一のものである時が、すべての疲れ果てた心に近づいてきます。
これらの心はあまりにも疲れ果ててこれ以上一人で自分の道を進んでいくことができないのです。
And the time when rest will be the only thing there is comes closer to all worn and tired minds, too weary now to go their way alone.
そして、彼らは鳥がさえずり始めるのを聞き、小川が再び流れ始めるのを目にして、希望が再び生まれ、エネルギーが回復して足取りも軽やかになって道を歩き始め、進み始めるとその道は突然歩きやすい道に思われるのです。
And they will hear the bird begin to sing and see the stream begin to flow again, with hope reborn and energy restored to walk with lightened steps along the road that suddenly seems easy as they go.

今日、あなたは「神」の安らぎの中で休息します。そして、休息している状態からあなたの兄弟に呼びかけ、あなたと一緒に彼らも休息するようにと引き寄せます。
You rest within the peace of God today, and call upon your brothers from your rest to draw them to their rest, along with you.
今日、あなたはあなたの信頼に忠実であるでしょう。そして、誰も忘れることなく、すべての人をあなたが休息する神聖な聖域である、あなたの安らぎの無限のサークルの中に入れるでしょう。
You will be faithful to your trust today, forgetting no one, bringing everyone into the boundless circle of your peace, the holy sanctuary where you rest.
寺院のドアを開き、世界のはるか遠いところからあるいは近くから人々が来ることを許してください。彼らは遠いところにいるあなたの兄弟であり、近くに住むあなたの兄弟です。
彼らにここに入ってあなたと一緒に休息するように指示してください。
Open the temple doors and let them come from far across the world, and near as well; your distant brothers and your closest friends; bid them all enter here and rest with you.

今日、あなたは「神」の安らぎの中で、静かに恐れることなく休息します。
You rest within the peace of God today, quiet and unafraid.
兄弟の一人一人がやってきて自分の休息をとり、それをあなたに差し出します。
Each brother comes to take his rest, and offer it to you.

私たちはここで一緒に休息します。というのは、こうして私たちの休息は完全なものとなり、今日私たちが与えるものを私たちはすでに受け取ったのです。
We rest together here, for thus our rest is made complete, and what we give today we have received already.
時間は私たちが今日与えるもののガーディアンではありません。
Time is not the guardian of what we give today.
私たちは、まだ生まれていない者たちに、通過していった者たちに、一つ一つの「神の思い」に、これらの「思い」がその中で誕生しその中で休息している「意識」に与えます。
We give to those unborn and those passed by, to every Thought of God, and to the Mind in which these Thoughts were born and where they rest.
そして、『私は「神」の中で休息しています』と自分自身に告げるたびごとに、彼らに彼らの休息の場所を思い出させるのです。
And we remind them of their resting place each time we tell ourselves, "I rest in God."

To Give And To Receive Are One In Truth. 

To Give And To Receive Are One In Truth.

“与える”ことと“受けとる”ことは同じことであり、同時に起こります。

与える(原因)ものだけを受けとる(結果)ことができるのです。

これは、どんな状況、どんな人間関係においても真実です。

やすらぎと愛(天意)だけを受けとるために、次のことを思い出します。

あなたにやすらぎと愛(天意)だけを差し出し、結果として、やすらぎと愛(天意)のみを受けとります。

Lesoon 108

与えることと受け取ることは真実においてはひとつです。
To give and to receive are one in truth.
 
ヴィジョンというのは、今日の新しい見方に依存しています。
Vision depends upon today's idea.
光が今日の新しい見方の中にあります。というのは、それは一見正反対のもののすべてを和解させるからです。
The light is in it, for it reconciles all seeming opposites.
光とは、ありとあらゆるあなたの(自我に基づいた)葛藤や間違った思いが解決されて完全に真実である一つの概念になったもので、安らぎから生まれたものに他なりません。
And what is light except the resolution, born of peace, of all your conflicts and mistaken thoughts into one concept which is wholly true?
その概念すらも姿を消すことになるでしょう。なぜなら、その背後にある「思い」が代わりに現れてそれに取って代わるからです。
Even that one will disappear, because the Thought behind it will appear instead to take its place.
そして、あなたは今や永遠に安らぐことになります。というのは、その時、(自我という幻想の)夢が終わるからです。
And now you are at peace forever, for the dream is over then.

真のヴィジョンを可能にする真の光は、肉体の目が見る光ではありません。
True light that makes true vision possible is not the light the body's eyes behold.
それはきわめて高いレベルで統一されているために暗闇がまったく知覚されない心の状態です。
It is a state of mind that has become so unified that darkness cannot be perceived at all.
このようにして、同じであるものが一つのものとして見られ、一方、同じでないものは気づかれないままなのです。というのは、それはそこに存在しないからです。
And thus what is the same is seen as one, while what is not the same remains unnoticed, for it is not there.

これが正反対のものを示さない光であり、ヴィジョンは癒されているがゆえに癒す力をもっています。
This is the light that shows no opposites, and vision, being healed, has power to heal.
これがあなたの心の安らぎを他の心にもたらす光であり、あなたの心の安らぎを分かち合って他の心があなたと一つであり彼ら自身と一つであることを喜ぶのです。
This is the light that brings your peace of mind to other minds, to share it and be glad that they are one with you and with themselves.
これが癒す光です。なぜなら、一つの意味しか生じない一つの参照枠に基づいた一つの知覚をもたらすからです。
This is the light that heals because it brings single perception, based upon one frame of reference, from which one meaning comes.

ここでは、与えることと受け取ることの両方が、どちらが先に見られるかにも、どちらが二番目の場所にいるように見えるかにもその真実が依存していない、一つの「思い」の異なった側面と見なされます。
Here are both giving and receiving seen as different aspects of one Thought whose truth does not depend on which is seen as first, nor which appears to be in second place.
ここでは、その「思い」が完璧なままであるようにするために、両者は一緒に起こると理解されています。
Here it is understood that both occur together, that the Thought remain complete.
そして、この理解の中に、すべての正反対のものがそれによって和解される土台があります。
なぜなら、それらは、この「思い」を統一する同じ参照枠から知覚されるからです。
And in this understanding is the base on which all opposites are reconciled, because they are perceived from the same frame of reference which unifies this Thought.

完全に統一された一つの思いは、すべての思いを統一するのに役立ちます。
One thought, completely unified, will serve to unify all thought.
これは、一つの修正がすべての修正のために十分であるのと同じことです。あるいは、一人の兄弟を完全にゆるすことは救いをすべての心にもたらすのに十分であるのと同じことです。
This is the same as saying one correction will suffice for all correction, or that to forgive one brother wholly is enough to bring salvation to all minds.
というのは、これらは、真実を知っている「存在」によって方向づけられるならばあらゆる種類の学びに妥当する一つの法則のいくつかの特別な事例にすぎないからです。
For these are but some special cases of one law which holds for every kind of learning, if it be directed by the One Who knows the truth.

与えることと受け取ることは同じであると学ぶことには特別な有用性があります。なぜなら、それは簡単に試すことができ、真実であることがわかるからです。
To learn that giving and receiving are the same has special usefulness, because it can be tried so easily and seen as true.
そして、この特別な事例が、あらゆる状況で試してみて常にうまくいけば、その背後にある見方を一般化して疑惑や複視(物が二つに見えること)という他の領域にも当てはめることができます。
And when this special case has proved it always works, in every circumstance where it is tried, the thought behind it can be generalized to other areas of doubt and double vision.
そして、そこからそれは延長して、そうしたもののすべての根底にある一つの「思い」に遂に到達するでしょう。
And from there it will extend, and finally arrive at the one Thought which underlies them all.

今日、私たちは与えることと受け取ることという特別な事例について練習します。
Today we practice with the special case of giving and receiving.
私たちはこの単純なレッスンを一見して明らかなものについて活用します。なぜならば、それは私たちが見逃しようのない結果を出すからです。
We will use this simple lesson in the obvious because it has results we cannot miss.
与えることは受け取ることです。
To give is to receive.
今日、私たちは安らぎをすべての人に差し出し、安らぎが非常な速さで私たちに戻ってくるのを見ます。
Today we will attempt to offer peace to everyone, and see how quickly peace returns to us.
光は静けさであり、その安らぎの中でヴィジョンが私たちに与えられ、私たちは見えるようになります。
Light is tranquility, and in that peace is vision given us, and we can see.

そういうわけで、今日のための練習は、次の言葉を言うことから始めます。
So we begin the practice periods with the instruction for today, and say:

        与えることと受け取ることは真実においては一つです。
        To give and to receive are one in truth.
        私は、私が今与えていることを受け取るでしょう。
        I will receive what I am giving now.

それから、目を閉じてください。そして、5分間、それを自分のものとするために何をすべての人に差し出すかについて考えます。
Then close your eyes, and for five minutes think of what you would hold out to everyone, to have it yours.
たとえば、あなたは次のように言うかもしれません。
You might, for instance, say:

        すべての人に、私は静けさを差し出します。
        To everyone I offer quietness.       
        すべての人に、私は心の安らぎを差し出します。
        To everyone I offer peace of mind.       
        すべての人に、私は優しさを差し出します。
        To everyone I offer gentleness.

一つ一つの文章をゆっくりと言ってください。それから少しの間休止して、あなたが与えた贈り物を受け取ることを期待して待ちます。
Say each one slowly and then pause a while, expecting to receive the gift you gave.
そして、あなたがそれに与えたのと同じ量があなたのところにやってきます
And it will come to you in the amount in which you gave it.
あなたは与えたものと厳密に同じだけ返ってくることを発見することでしょう。というのは、それがあなたの依頼したものだからです。
You will find you have exact return, for that is what you asked.

また、あなたの贈り物を与える人について考えるのも役に立つかもしれません。
It might be helpful, too, to think of one to whom to give your gifts.
彼は他の人たちを代表する人であり、あなたは彼を通してすべての人に与えるのです。
He represents the others, and through him you give to all.

今日の私たちの単純なレッスンは、あなたに多くのことを教えるでしょう。
Our very simple lesson for today will teach you much.
これ以降は、結果と原因はこれまでよりもはるかによく理解されることになり、私たちは今やずっと急速な進歩を遂げることになります。
Effect and cause will be far better understood from this time on, and we will make much faster progress now.
今日の練習をあなたの学びにおける急速な前進と考えてください。あなたが、“与えることと受け取ることは真実においては一つです”と言うたびに、前進のスピードはさらに速くなり、より確実なものとなるでしょう。
Think of the exercises for today as quick advances in your learning, made still faster and more sure each time you say, "To give and to receive are one in truth."

Lesson 107

真実は私の心の中にある過ちのすべてを修正します。
Truth will correct all errors in my mind.

真実以外に何が(自我の)幻想を修正することができるでしょうか。
What can correct illusions but the truth?
そして、過ちとはその正体が認識されないままの(自我の)幻想に他ならないのではないでしょうか。
And what are errors but illusions that remain unrecognized for what they are?
真実が入った場所からは(自我に基づいた)過ちは姿を消します。
Where truth has entered errors disappear.
(自我に基づいた)過ちはただ消えてなくなり、それによって(自我に基づいた)過ちを思い出すことができる痕跡もありません。
They merely vanish, leaving not a trace by which to be remembered.
(自我に基づいた)過ちは消えてなくなります。なぜなら、信じられなければ、(自我に基づいた)過ちには生命はないからです。
They are gone because, without belief, they have no life.
したがって、(自我に基づいた)過ちは姿を消して無になり、それらがそもそもそこからやってきた場所に戻ります。
And so they disappear to nothingness, returning whence they came.
(自我に基づいた)過ちは塵からやってきて塵へと去っていきます。というのは、真実だけが残るからです。
From dust to dust they come and go, for only truth remains.

(自我に基づいた)幻想のない心の状態がどのようなものであるか、あなたに想像することができるでしょうか。
Can you imagine what a state of mind without illusions is?
それがどんな感じがするか想像することができるでしょうか。
How it would feel?
それはおそらく一分、あるいはそれよりも短い時間だったかもしれませんが、あなたの安らぎがいかなるものによっても中断されなかったとき、あなたは愛されていて安全であると確信していた時があったことを思い出してみてください。
Try to remember when there was a time,–perhaps a minute, maybe even less–when nothing came to interrupt your peace; when you were certain you were loved and safe.
それから、その瞬間が時間の終焉にまで延長され、永遠へと延長されたならばそれはどのようなものであるか、心に描こうとしてみてください。
Then try to picture what it would be like to have that moment be extended to the end of time and to eternity.
それから、あなたが抱いた静けさの感覚を百倍に増大させ、それから、さらに百倍に増大させてみてください。
Then let the sense of quiet that you felt be multiplied a hundred times, and then be multiplied another hundred more.

そして今、あなたは、真実がやってきたときあなたの心がどのような状態の中で休息するかについて、誠にかすかにそれを感じさせるだけかもしれませんが、ヒントを与えられました。
And now you have a hint, not more than just the faintest intimation of the state your mind will rest in when the truth has come.
(自我に基づいた)幻想がなければ怖れも、疑いも、攻撃もあり得ません。
Without illusions there could be no fear, no doubt and no attack.
真実がやってくると、すべての(自我がそう思い込ませていた)苦痛は終わります。というのは、つかの間の思いや生命のない考えがあなたの心の中にぐずぐずととどまる余地はないからです。
When truth has come all pain is over, for there is no room for transitory thoughts and dead ideas to linger in your mind.
真実はあなたの心を完全に占有し、はかないものに対するすべての信念からあなたを解放します。
Truth occupies your mind completely, liberating you from all beliefs in the ephemeral.
真実がやってきたために、それらのものの居場所はなくなり、したがって、それらはどこにもありません。
They have no place because the truth has come, and they are nowhere.
それらのものを見つけることはできません。というのは、今や、永遠に、真実がすべての場所にあるからです。
They can not be found, for truth is everywhere forever, now.

真実がやってくると、真実は少しの間だけとどまるということはなく、姿を消すこともなく、何か他のものに変わることもありません。
When truth has come it does not stay a while, to disappear or change to something else.
真実は移動することも形を変えることもなく、来ては去り去ってはまた来るということもありません。
It does not shift and alter in its form, nor come and go and go and come again.
真実はこれまでも常にそうであったように今もなお、あらゆる必要性において頼りになるものであり、この世界が提示する目に見えるものが生み出す、一見すると困難や疑いの中にあるときにさえ、完璧な信頼をもって信頼できるものです。
It stays exactly as it always was, to be depended on in every need, and trusted with a perfect trust in all the seeming difficulties and the doubts that the appearances the world presents engender.
真実があなたの心の中の(自我に基づいた)過ちを修正するとき、それらのものはただ吹き飛ばされます。
They will merely blow away, when truth corrects the errors in your mind.

真実がやってくると、真実はその翼の中に完璧な不変性と、苦痛に直面してもたじろぐことなく着実にかつ確実に苦痛の彼方を見る愛の贈り物に、避難所を与えます。
When truth has come it harbors in its wings the gift of perfect constancy, and love which does not falter in the face of pain, but looks beyond it, steadily and sure.
ここに癒しの贈り物があります。というのは、真実には防御は必要ではなく、したがって、いかなる攻撃も不可能だからです。
Here is the gift of healing, for the truth needs no defense, and therefore no attack is possible.
(自我に基づいた)幻想を修正するために真実へと連れて行くことは可能です。
Illusions can be brought to truth to be corrected.
しかし、真実は(自我に基づいた)幻想のはるか彼方に立っているために、真実を(自我に基づいた)幻想のところへと連れて行き(自我に基づいた)幻想を真実に変えることはできません。
But the truth stands far beyond illusions, and can not be brought to them to turn them into truth.

真実は来ては去っていくことはせず、今こうして見えてたかと思うと次には別なように見えて変わるような、捕獲を避け、把握を免れようとすることもありません。
Truth does not come and go nor shift nor change, in this appearance now and then in that, evading capture and escaping grasp.
真実は隠れません。
It does not hide.
真実は開放的な光の中に立ち、明らかにアクセス可能です。
It stands in open light, in obvious accessibility.
誰であれ真の意味で真実を探求して成功しないということはあり得ません。
It is impossible that anyone could seek it truly, and would not succeed.
今日は真実のためにあります。
Today belongs to truth.
真実に与えられるべきものを与えてください。そうすれば、真実はあなたが与えられるべきものを与えてくれるでしょう。
Give truth its due, and it will give you yours.
あなたは苦しんで死ぬことにはなっていなかったのです。
You were not meant to suffer and to die.
あなたの「父」はこれらの夢がなくなることを意図しています。
Your Father wills these dreams be gone.
真実にそれらすべてのことを修正させてください。
Let truth correct them all.

私たちは、私たちが持っていないものを依頼することはしません。
We do not ask for what we do not have.
私たちは自分に属するものを、私たち自身のものとして認識するために依頼するだけです。
We merely ask for what belongs to us, that we may recognize it as our own.
今日、私たちは真実から生まれた確信という幸せな感じの中で練習します
Today we practice on the happy note of certainty that has been born of truth.
今日は、(自我に基づいた)幻想のふらふらとした不安定な足取りは、私たちの取り組み方ではありません。
The shaky and unsteady footsteps of illusion are not our approach today.
私たちは、私たちが生きていて、希望を抱き、呼吸し、考えていることを確信していると同じくらい、成功を確信しています。
We are as certain of success as we are sure we live and hope and breathe and think.
今日、私たちは真実と一緒に歩いていることを疑わず、私たちが今日行うすべての練習の中に真実が入ってくることを期待しています。
We do not doubt we walk with truth today, and count on it to enter into all the exercises that we do this day.

この冒険にあなたと一緒に行く「彼」に、あなたが「彼」と一緒に行くとき「彼」があなたの自覚の中にいてくれるようにと依頼することによって開始してください。
Begin by asking Him Who goes with you upon this undertaking that He be in your awareness as you go with Him.
あなたは肉と血と骨でできているのではなく、「彼」にも生命の贈り物を与えた同じ「思い」によって創造されたのです。
You are not made of flesh and blood and bone, but were created by the selfsame Thought which gave the gift of life to Him as well.
「彼」はあなたの「兄弟」であり、非常にあなたと似ているために、あなたの「父」は「あなた方」が「二人とも」同じであることを知っています。
He is your Brother, and so like to you your Father knows that You are both the same.
 一緒に行ってくれるようにとあなたが依頼する存在はあなたの「自己」です。そして、あなたがいる場所に「彼」がいないということがいったいあり得るでしょうか。
It is your Self you ask to go with you, and how could He be absent where you are?

あなたは「彼」から離れていることができるとあなたに告げる、あなたの心の中のすべての(自我に基づいた)過ちを、真実は修正します。
Truth will correct all errors in your mind which tell you you could be apart from Him.
今日、あなたは「彼」に話しかけ、「彼の」役割を、あなたを通じて果たさせるという誓約をします。
You speak to Him today, and make your pledge to let His function be fulfilled through you.
「彼の」役割を共有することは「彼の」喜びを共有することです。
To share His function is to share His joy.
次の言葉をあなたが言うとき、「彼の」信頼はあなたと共にあります。
His confidence is with you, as you say:

        真実は私の心の中にあるすべての(自我に基づいた)過ちを修正します。
        Truth will correct all errors in my mind,        そして、私は私の「自己」である「彼」の中で休息します。
        And I will rest in Him Who is my Self.

それから、「彼」にあなたを優しく真実へと導かせてください。真実はあなたを包み込み、あなたに安らぎを与えてくれるでしょう。その安らぎはとても深く静かであるために、あなたはいつもの世界に戻ることをためらうでしょう。
Then let Him lead you gently to the truth, which will envelop you and give you peace so deep and tranquil that you will return to the familiar world reluctantly.

しかしそれでも、あなたは再びこの世界を見ることを喜ぶでしょう。
And yet you will be glad to look again upon this world.
というのは、あなたは、あなたと共に行く真実がこの世界へと運んでいく変化の約束をもたらすからです。
For you will bring with you the promise of the changes which the truth that goes with you will carry to the world.
変化はあなたが与えるわずか5分間の贈り物の一つ一つと共に増大し、それらがあなたの心の中で修正されるのを許すとき、この世界を取り巻く(自我に基づいた)過ちは修正されるでしょう。
They will increase with every gift you give of five small minutes, and the errors that surround the world will be corrected as you let them be corrected in your mind.

あなたの今日の役割を忘れないでください。
Do not forget your function for today.
あなたが自信をもって、“真実が私の心の中の(自我に基づいた)過ちのすべてを修正します”と自分自身に告げるたびごとに、あなたはこの世界全体に代わって話しているのであり、あなたを解放するのと同じようにこの世界を解放する「彼」に代わって話しているのです。
Each time you tell yourself with confidence, "Truth will correct all errors in my mind," you speak for all the world and Him Who would release the world, as He would set you free.

Lesson 106

じっと静かに真実に耳を傾けさせてください。
Let me be still and listen to the truth.

それがどんなに大声で呼びかけるように思われても、あなたがエゴの声を脇に置くならば、
If you will lay aside the ego's voice, however loudly it may seem to call;
あなたが本当に欲しいものは何も与えてくれないエゴのつまらない贈り物を受け容れないならば、
if you will not accept its petty gifts that give you nothing that you really want;
救いがなんであるかをあなたに告げてくれかなった心に対して開かれた心で耳を傾けるならば、
if you will listen with an open mind, that has not told you what salvation is;
その時、あなたにも真実の強力な「声」が聞こえるでしょう。それは、力がありながらも静かで、静かでありながら強く、「その」メッセージにおいて完全な確信に満ちているでしょう。
then you will hear the mighty Voice of truth, quiet in power, strong in stillness, and completely certain in Its messages.

耳を傾けて、あなたの父なる神が託した「声」を通してあなたに語りかけるのを聞いてください。この「声」は意味のないものの雷鳴を沈黙させ、見ることができない人たちに安らぎに至る道を示してくれます。
Listen, and hear your Father speak to you through His appointed Voice, which silences the thunder of the meaningless, and shows the way to peace to those who cannot see.
今日はじっと静かにして、真実に耳を傾けてください。
Be still today and listen to the truth.
死者の声によって騙されないでください。その声は彼らが生命の源を発見したとあなたに告げ、それをあなたに信じてもらおうとあなたに差し出すでしょう。
Be not deceived by voices of the dead, which tell you they have found the source of life and offer it to you for your belief.
彼らの声に注意を払わずに、真実に耳を傾けてください。
Attend them not, but listen to the truth.

今日は、恐れることなくこの世界の声を避けて迂回してください。
Be not afraid today to circumvent the voices of the world.
彼らの意味のない説得を軽やかに歩いて通り過ぎてください。
Walk lightly past their meaningless persuasion.
彼らの言うことを聞かないでください。
Hear them not.
今日は、じっと静かにして真実に耳を傾けてください。
Be still today and listen to the truth.
あなたの幸せを手に持って、歓迎の気持ちと愛をもって提供する神について沈黙のすべてのものを通り過ぎてください。
Go past all things which do not speak of Him Who holds your happiness within His Hand, held out to you in welcome and in love.
今日は「神」の声だけを聞き、これ以上待たずに「神」に到達してください。
Hear only Him today, and do not wait to reach Him longer.
今日は、一つの「声」だけを聞いてください。
Hear one Voice today.

今日は、神の言葉の約束が守られます。
Today the promise of God's Word is kept.
耳を傾け、沈黙していてください。
Hear and be silent.
「神」はあなたに語りかけられるでしょう。
He would speak to you.
神はあなたが夢の中でかつて夢見たことのある、そして、願ったことのある奇跡よりも千倍も幸せで素晴らしい奇跡をもってやって来ます。
He comes with miracles a thousand times as happy and as wonderful as those you ever dreamed or wished for in your dreams.
神の奇跡は真実です。
His miracles are true.
神の奇跡は夢が消えてもなくなることはありません。
They will not fade when dreaming ends.
その代わりに、神の奇跡は夢を終わらせ、永遠に持続します。というのは、それらは、あなたの別名である「神の大切な子」のところへ神からやってくるからです。
They end the dream instead; and last forever, for they come from God to His dear Son, whose other name is you.
今日、奇跡のためにあなたの準備を整えなさい。
Prepare yourself for miracles today.
今日は、あなたの父なる神の、あなたとあなたの兄弟に対するいにしえの誓約が守られることを許してください。
Today allow your Father's ancient pledge to you and all your brothers to be kept.

今日は神の言葉を聞いてください。そして、地上にかかっているヴェールを持ち上げ、眠っていて見ることができない人たちのすべてを覚醒させる「言葉」に耳を傾けてください。
Hear Him today, and listen to the Word which lifts the veil that lies upon the earth, and wakes all those who sleep and cannot see.
「神」はあなたを通して彼らに呼びかけられます。
God calls to them through you.
「神」は彼らに語りかけるためにあなたの声を必要としています。というのは、あなたの「自己」を通して呼びかける彼の父なる神以外に、「神の子」に到達することができる存在はいないからです。
He needs your voice to speak to them, for who could reach God's Son except his Father, calling through your Self?
今日は「神」の声を聞いてください。そして、「神」が今日語る「言葉」を聞こうとして待っている一般大衆のすべてに語りかけるためのあなたの声を「神」に差し出してください。
Hear Him today, and offer Him your voice to speak to all the multitude who wait to hear the Word that He will speak today.

救いのために準備をしてください。
Be ready for salvation.
救いは今ここにきており、今日あなたに与えられるでしょう。
It is here, and will today be given unto you.
そして、あなたはあなたの父なる神の名において、あなたに代わってあなたの機能を選んだ存在から、あなたの機能を学ぶでしょう。
And you will learn your function from the One Who chose it in your Father's Name for you.
今日は耳を傾けてください。そうすれば、あなたを通して世界中に響き渡る「声」が聞こえることでしょう。
Listen today, and you will hear a Voice which will resound throughout the world through you.
すべての奇跡をもたらす者は、まずあなたが最初に奇跡を受け取り、かくして、あなたが受け取ったものを喜んで与える人になる必要があるのです。
The bringer of all miracles has need that you receive them first, and thus become the joyous giver of what you received.

このようにして救いは始まり、このようにして奇跡は終わります。すべてのものがあなたのものであり、すべてのものを与えきる時、救いは永遠にあなたのもとにとどまります。
Thus does salvation start and thus it ends; when everything is yours and everything is given away, it will remain with you forever.
そして、教訓が学ばれます。
And the lesson has been learned.
今日、私たちは与える練習をします。あなたが今理解している方法によってではなく、本来のあり方による与え方です。
Today we practice giving, not the way you understand it now, but as it is.
毎時間の練習は、あなたが光に満ちた存在になることを依頼する次の言葉で始めてください。
Each hour's exercises should begin with this request for your enlightenment:

       
        私はじっと静かにして真実に耳を傾けます。
        I will be still and listen to the truth.        与えること、そして受け取ることとは、何を意味するのでしょうか。
        What does it mean to give and to receive?

依頼してください。そして、答えを期待してください。
Ask and expect an answer.
あなたの依頼は、その答えがあなたによって受け取ってもらうことを長い間待っている依頼です。
Your request is one whose answer has been waiting long to be received by you.
それはそのためにやってきた聖職から始まり、「与えるということは失うための一つの方法である」という考えからこの世界を解放するでしょう。
It will begin the ministry for which you came, and which will free the world from thinking giving is a way to lose.
こうして、この世界は理解して受け取る準備ができるでしょう。
And so the world becomes ready to understand and to receive.

今日はじっと静かにして真実に耳を傾けてください。
Be still and listen to the truth today.
耳を傾けることに5分間を費やすごとに,千人の意識が真実に対して開かれ、彼らにはあなたが聞いている神聖な「言葉」が聞こえるでしょう。
For each five minutes spent in listening, a thousand minds are opened to the truth and they will hear the holy Word you hear.
そして、一時間が経過したとき、あなたは再びちょっと一息ついて、あなたと一緒に真実が与えられることを依頼するさらなる千人の意識を解放するでしょう。
And when the hour is past, you will again release a thousand more who pause to ask that truth be given them, along with you.

今日、神聖な「神の言葉」が、与えるためにあなたがそれを受け取ることを通して保たれます。その結果、あなたは耳を傾け「神」からそれを学ぶことによって、与えるとは何を意味するかを世界に教えることができます。
Today the holy Word of God is kept through your receiving it to give away, so you can teach the world what giving means by listening and learning it of Him.
今日は、あなたに思い出させるためにできるだけ頻繁にあなたに与えられる以下の言葉を聞き、受けとる選択を強化することを忘れないでください。
Do not forget today to reinforce your choice to hear and to receive the Word by this reminder, given to yourself as often as is possible today:

        じっと静かにして、真実に耳を傾けさせてください。
        Let me be still and listen to the truth.        今日、私は「神」のメッセンジャーです。
        I am the messenger of God today,        私の声は神の声であり、受け取ったものを与えるためにあります。
        My voice is His, to give what I receive.

与えることと受け取ること 

師の言葉より・・・。

『真に与えられる贈り物には喪失は伴いません。』

この真実は、わたしたちが怖れを抱きやすいもの“お金”に対してもあてはまります。

あなたがお金を使うと、貯金だったりお財布の中身が“減って”しまうように感じるかもしれません。

でも、本当はそうではないのです。

すべてが存在しているので、あなたがお金を使ったところで減りもしなければ増えもしないのです。

あなたが千円なにかのためにお金を使うことは、千円分誰かの役にもたっていて、あなた自身も千円分のなにかを得て、そこには本当は誰にとっても“楽しさ”しか存在しません。

自然界の海の寄せてはかえす波のように、たまたまこの世界ではお金という形をとっていますが、単なるエネルギーを交換しているだけなのです。

このようにお金はエネルギーの交換として循環しているので、正に、“金は天下の回り物”なのです。

こんなお話があります。

森のなかで自然とともに暮らし、お金がまったく必要ない修行僧たちがいました。

あるとき修行僧たちの師(仏陀)が、「ふもとへ行って“貧しいひとたちに”托鉢(お経などを読んでお金をもらうこと)をしてきなさい」といいました。

弟子たちは、当然のことながら、貧しい人からお金をいただいたら、更に貧しくなってしまうと師に問いました。

師は一言、「貧しい人は、お金をださないから貧しいんだよ」と。

あなたが手に入れたいと思うのなら、減ったり失ったりすることを怖れずに与えつづけなさい。

All That I Give Is Given To Myself. 

All That I Give Is Given To Myself.

受けとりたいと思う以上のものをだれかに与えることはできません。

あなたが愛(天意)、やすらぎ、ゆるしを求めているのなら、だれかに贈れるのはそれらだけです。

 
「神」の贈り物は、与えても決して減ずることはありません。

「神」の贈り物は、与えられることによって増えるだけです。

愛(天意)をさしだすことこそが、あなたが愛(天意)を受けとれる唯一の方法なのです。


与えるものがあなたに与えられます。

あなたは、すべての状況、すべての出会いにおいて、あなたが求めているものを与えているでしょうか。

Lesson 105

神のやすらぎと喜びは私のものです。
God's peace and joy are mine.

「神」のやすらぎと喜びはあなたのものです。
God's peace and joy are yours.
今日、私たちはそれらが私たちに属することを知っているがゆえにそれらを受け容れます。
Today we will accept them, knowing they belong to us.
そして、これらの贈り物は私たちがそれらを受けとるとき増えるということを理解するように努めます。
And we will try to understand these gifts increase as we receive them.
これらの贈り物は、「与える人が贈り物を与えると失い、贈り物をもらう人は与える人が失うことによってより豊かになる」という、この世界が与えることができる贈り物と同じではありません。
They are not like to the gifts the world can give, in which the giver loses as he gives the gift; the taker is the richer by his loss.
そのようなものは「贈り物ではなく、罪悪感を持ってなされる取引」です。
Such are not gifts, but bargains made with guilt.
『真に与えられる贈り物には喪失は伴いません。』
The truly given gift entails no loss.
別な人が失うがゆえに誰かが得をするというのは不可能なことです。
It is impossible that one can gain because another loses.
これは制限と不足を暗示します。
This implies a limit and an insufficiency.

いかなる贈り物もこのような形では与えられません。
No gift is given thus.
このような“贈り物”はより高い利潤を求めての入札であり、全額返さなければならない利子つきのローンであり、一時的な貸し付けであり、借金の担保として意図されたもので、「贈り物をもらった人が受けとった人よりも多くの学を返済しなければならないもの」です。
Such "gifts" are but a bid for a more valuable return; a loan with interest to be paid in full; a temporary lending, meant to be a pledge of debt to be repaid with more than was received by him who took the gift.
与えることが何を意味するかについてのこの(集合無意識としての自我の共同幻想の)奇妙な歪曲は、あなたが見ている世界のあらゆるレベルに浸透しています。
This strange distortion of what giving means pervades all levels of the world you see.
それは、「あなたが与える贈り物から意味をすべて取り去り、あなたがもらう贈り物には何も残されていない」ということになります。
It strips all meaning from the gifts you give, and leaves you nothing in the ones you take.

この「奇跡のコース」が設定している主要な学びの目標は、与えることについてのあなたの見解を逆転することにあります。
A major learning goal this course has set is to reverse your view of giving, so you can receive.
というのは、『与えることは怖れの源となり、そのために、受けとることができる唯一の手段をあなたは避けようとする』からです。
For giving has become a source of fear, and so you would avoid the only means by which you can receive.
「神」のやすらぎと喜びを受け容れてください。そうすれば、あなたは贈り物を見るための別な方法を学ぶでしょう。
Accept God's peace and joy, and you will learn a different way of looking at a gift.
「神」の贈り物は与えられても決して減ずることはありません。
God's gifts will never lessen when they are given away.
「神」の贈り物は与えられることによって増えるだけなのです。
They but increase thereby.

「神」のやすらぎと喜びをあなたに対する「神」の贈り物として受け容れるとき、「天国」のやすらぎと喜びが増大するのと同じように、あなたが「神」の喜びとやすらぎを自分のものとして受け容れるとき、あなたの「創造主」の喜びは大きくなります。
As Heaven's peace and joy intensify when you accept them as God's gift to you, so does the joy of your Creator grow when you accept His joy and peace as yours.
真に与えることは創造です。
True giving is creation.
それは、限りないものを限りないものへ、永遠を無時間性へ、愛を愛自身へと延長することです。
It extends the limitless to the unlimited, eternity to timelessness, and love unto itself.
真に与えることはすでに完全であるすべてのものに加えますが、さらに多くを加えるという単純な意味においてではありません。というのは、それはその前には少なかったということを暗示するからです。
It adds to all that is complete already, not in simple terms of adding more, for that implies that it was less before.
真に与えることは、自分自身がいっぱいに満たされているものに、それが持っているすべてのものを与えるという目的を果たさせることによって加え、すべてを自分のものとして確保します。
It adds by letting what cannot contain itself fulfill its aim of giving everything it has away, securing it forever for itself.

今日、「神」のやすらぎと喜びをあなたのものとして受け容れてください。
Today accept God's peace and joy as yours.
「神」が自己完成を定義される意味において、「神」が「自身」を完成させることを許してください。
Let Him complete Himself as He defines completion.
「神」を完成させるものは「神の子」も完成させるに違いないとあなたは理解するでしょう。
You will understand that what completes Him must complete His Son as well.
「神」は失うことによって与えることはできません。
He cannot give through loss.
それはあなたも同様です。
No more can you.
今日、喜びとやすらぎという「神」の贈り物を受け取ってください。そうすれば、「神」は「神」に対するあなたの贈り物についてあなたに感謝されることでしょう。
Receive His gift of joy and peace today, and He will thank you for your gift to Him.

今日、私たちの練習時間はちょっと異なった形で始まります。
Today our practice periods will start a little differently.
「神」の平等の法則のもとにおいて、彼らの権利であるやすらぎと喜びをあなたによって否定されている兄弟について考えることによって、今日は開始してください。
Begin today by thinking of those brothers who have been denied by you the peace and joy that are their right under the equal laws of God.
ここにおいて、あなたはやすらぎと喜びをあなた自身に否定しました。
Here you denied them to yourself.
そして、ここにおいて、あなたは戻ってきて、それらをあなた自身のものとして宣言しなければなりません。
And here you must return to claim them as your own.

少しの間、あなたの“敵”について考えてください。そして、心に思い浮かぶひとりひとりに次のことを告げてください。
Think of your "enemies" a little while, and tell each one, as he occurs to you:

        私の兄弟よ、私が「神」のやすらぎと喜びを私のものとして持つことができるように、私はあな
        たにやすらぎと喜びを差し出します。
        My brother, peace and joy I offer you, that I may have God's peace and joy as mine.

このようにして、あなたは、あなたに対する「神」の贈り物を認識し、今日の成功を妨げるすべておものから心を解放するために、自分自身の準備をします。
Thus you prepare yourself to recognize God's gifts to you, and let your mind be free of all that would prevent success today.
今や、あなたは「神」があなたに与えられたやすらぎと喜びという贈り物を受け容れる準備ができました。
Now are you ready to accept the gift of peace and joy that God has given you.
今や、あなたは、あなた自身に否定してきた喜びとやすらぎを体験する準備ができました。
Now are you ready to experience the joy and peace you have denied yourself.
今や、あなたは“「神」のやすらぎと喜びは私のものです”と言うことができます。というのは、あなたが受け取りたいものをあなたは与えたからです。
Now you can say, "God's peace and joy are mine," for you have given what you would receive.

私たちが提案するように心の準備をするならば、今日あなたは成功するに違いありません。
You must succeed today, if you prepare your mind as we suggest.
というのは、あなたはやすらぎと喜びのドアのかんぬきを外したために。あなたのものであるものが遂にあなたのところに来ることができるからです。
For you have let all bars to peace and joy be lifted up, and what is yours can come to you at last.
そういうわけですから、“「神」のやすらぎと喜びは私のものです”とあなた自身に告げてください。そして、少しの間、目を閉じて、あなたの言葉は真実であることを「神の声」に保証してもらってください。
So tell yourself, "God's peace and joy are mine," and close your eyes a while, and let His Voice assure you that the words you speak are true.

今日は、可能なときはいつでも、「神」とこのようにして5分間を費やしてください。しかし、「神」にそれ以上の時間を与えることができないときでも、少ない時間には価値がないとは考えないでください。
Spend your five minutes thus with Him each time you can today, but do not think that less is worthless when you cannot give Him more.
少なくとも、1時間ごとに、「神」が与えることを意図されているものをあなたに与えてくださるように、そして、あなたが受け取るようにと意図されていることをあなたに与えてくださるようにと「神」に呼びかける言葉を言うことを思いだしてください。
At least remember hourly to say the words which call to Him to give you what He wills to give, and wills you to receive.
今日は、「神」が意図することに干渉しないという決意をして下さい。
Determine not to interfere today with what He wills.
そして、兄弟が彼に対する「神」の贈り物を否定するようにとあなたを誘惑するように思われたならば、それはあなた自身に「神」の贈り物をあなたのものとして受け取らせるもうひとつの機会にすぎないと見なしてください。
And if a brother seems to tempt you to deny God's gift to him, see it as but another chance to let yourself receive the gifts of God as yours.
それから、感謝をこめてあなたの兄弟を祝福し、次の言葉を言います。
Then bless your brother thankfully, and say:

        私の兄弟よ、私が「神」のやすらぎと喜びを私のものとして持つことができるように、私はあな
        にやすらぎと喜びを差し出します。
        My brother, peace and joy I offer you, that I may have God's peace and joy as mine.

Lesson 104

“私は真に私に属するものだけを求めます。”
I seek but what belongs to me in truth.

今日の新しい見方は、喜びとやすらぎは単なる無益な夢ではないという思いを継続します。
Today's idea continues with the thought that joy and peace are not but idle dreams.
それらはあなたがあなたであるがゆえにあなたの権利です。
They are your right, because of what you are.
それらは「神」からあなたのもとへやってきます。「神」は意図されることを必ずあなたに与えます。
They come to you from God, Who cannot fail to give you what He wills.
しかし、「神」の贈り物を受けとる場所が準備されなければなりません。
Yet must there be a place made ready to receive His gifts.
 
「神」の贈り物は、自分で作った贈り物を受けとってきた心によっては、喜びをもって歓迎されることはありません。心は、「神」の贈り物が属する場所に、「神」の贈り物の代替物としてそれらの贈り物を作ったのです。
They are not welcomed gladly by a mind that has instead received the gifts it made where His belong, as substitutes for them.

今日、私たちは「神の贈り物」が属する神聖な祭壇に私たちが置いた、自分で作った意味のない贈り物のすべてを取り除きます。
Today we would remove all meaningless and self-made gifts which we have placed upon the holy altar where God's gifts belong.
「神の贈り物」は真実においては私たち自身の贈り物です。
His are the gifts that are our own in truth.
「神の贈り物」は時間が存在する以前に私たちが継承してきた贈り物であり、時間がなくなって永遠になったときでも私たちの贈り物であるでしょう。
His are the gifts that we inherited before time was, and that will still be ours when time has passed into eternity.
「神の贈り物」は今、私たちの内部にある贈り物です。というのは、「神の贈り物」には時間(という概念)がないからです。
His are the gifts that are within us now, for they are timeless.
そして、私たちはそれらのものを所有するために待つ必要はありません。
And we need not wait to have them.
それらのものは、今日、私たちに属するのです。
They belong to us today.

したがって、私たちは「神の贈り物」を今持つことを選択します。そして、私たちが作ったものの代わりにそれらを選ぶとき、私たちの意志を「神」が意図されるものと一体にすることにすぎないということを知り、同じものはひとつであると認識します。
Therefore, we choose to have them now, and know, in choosing them in place of what we made, we but unite our will with what God wills, and recognize the same as being one.
今日の長めの練習、つまり、あなたの救いのために毎時間5分間を真実に与える練習は、以下の言葉で開始してください。
Our longer practice periods today, the hourly five minutes given truth for your salvation, should begin with this:

        私は、真に私に属するものだけを求めます。
        I seek but what belongs to me in truth, 
        そして、喜びとやすらぎは私が相続した遺産です。
        And joy and peace are my inheritance.

それから、この世界の葛藤を脇に横たえてください。それらの葛藤が差しだすのは、(自我に基づいた)幻想によって作られ、(自我に基づいた)幻想によって立証され、(自我に基づいた)夢の世界においてだけ求められる贈り物や目標なのです。
Then lay aside the conflicts of the world that offer other gifts and other goals made of illusions, witnessed to by them, and sought for only in a world of dreams.

こうした(自我に基づいた)もののすべてを私たちは脇に横たえ、「神」が私たちに与えてくださったものを認識できるようにしてください。それらの代わりに、真に私たちのものである贈り物を求めます。
All this we lay aside, and seek instead that which is truly ours, as we ask to recognize what God has given us.
私たちは心の中で、「神」の祭壇の前に神聖な場所を切り拓きます。この場所においてはやすらぎと喜びの「神」の贈り物は歓迎され、「神」によって与えられたものを発見するためにこの場所に私たちはやってきます。
We clear a holy place within our minds before His altar, where His gifts of peace and joy are welcome, and to which we come to find what has been given us by Him.
真に私たちに属するものは「神」が与えてくれるものであることを自覚して、私たちは、今日、自信をもってそこへやってきます。
We come in confidence today, aware that what belongs to us in truth is what He gives.
そして、私たちはそれ以外のいかなるものも望むことはありません。というのは、他のいかなるものも真実においては私たちに属さないからです。
And we would wish for nothing else, for nothing else belongs to us in truth.

このようなわけで、私たちは今日、「神の意志はすでになされていること」、そして、「喜びとやすらぎは神の永遠の贈り物として私たちに属するということ」をただ認識することによって、「神」のための道を切り拓きます。
So do we clear the way for Him today by simply recognizing that His Will is done already, and that joy and peace belong to us as His eternal gifts.
私たちは、「神」が贈り物を横たえた場所でそれらを探しに来る時間以外にも、それらを見失うことのないようにします。
We will not let ourselves lose sight of them between the times we come to seek for them where He has laid them.
これを思いださせてくれる次の言葉を、できるだけ頻繁に思いだすようにします。
This reminder will we bring to mind as often as we can:

        私は真に私に属するものだけを求めます。
        I seek but what belongs to me in truth.
        喜びとやすらぎの「神の贈り物」だけが私の望むものです。
        God's gifts of joy and peace are all I want.

笑いの神

師の言葉より・・・。

笑いのなかには神がやどります。

心からの笑いは、起こそうと思って起こるわけではありません。

そこには神や聖霊がはたらいているのです。

あなたはレッスンを始めて以降、ひとりでいるときも誰かとともにいるも、笑っている瞬間がふえてはいませんか。

レッスンによって、自我の解体が少しずつ少しずつ進み、あなたがぎゅっと握りしめていたものを手放すことによって、あなたのなかに「間」だったり、本来のひょうきんさやおもしろさというものが外側にあふれているかもしれません。

あなたの内側の怖れ・怒り・攻撃などがレッスンを通して、ゆるしを通して、ひとつずつ消えていき、それが喜びに取って代わっているのです。

あなたの外側の現実というのは、内側にある原因によってつくりだされるので、あなたの内側に楽しさしかなければ、楽しい現実だけを見ていくことになります。

また、握りしめているものが少なくなれば、特別にこの瞬間だけが楽しいということはなく、すべての瞬間に最良のことが起こっていると見るようになるため、だれとどこでなにをしていてもその瞬間のみを味わい尽くして均一に楽しいと感じるようになるかもしれません。

いたるところに神や聖霊のまなざしはあり、あなたのまわりには喜びや楽しさが満ちあふれているのです。

悟りや目覚めというのは、どこか遠くにあって辿りつくわけではなく、いまこの瞬間もあなたが目を向けさえすればできるのです。

Lesson 103

“神は、愛そのものであるために、同様に幸せです。”
God, being Love, is also happiness.

幸せは「愛そのもの」のなかにあるひとつの属性です。
Happiness is an attribute of love.
幸せは「愛そのもの」から離れていることはできません。
It cannot be apart from it.
また、「愛そのもの」がないところで幸せを体験することはできません。
Nor can it be experienced where love is not.
「愛そのもの」には制限がなく、あらゆるところに存在します。
Love has no limits, being everywhere.
したがって、喜びもまたあらゆるところに存在します。
And therefore joy is everywhere as well.
しかし、心は、愛には隙間があり、その隙間から罪が入って喜びの代わりに苦痛をもたらすことができると信じているために、これがそうであることを否定することができます。
Yet can the mind deny that this is so, believing there are gaps in love where sin can enter, bringing pain instead of joy.
この奇妙な(自我の)信念は、「愛そのもの」を制限されたものとして再定義し、いかなる制限も制反対もないものに対立を入れることによって、幸せというものを制限しようとします。
This strange belief would limit happiness by redefining love as limited, and introducing opposition in what has no limit and no opposite.

したがって、怖れは愛と関連付けられ、怖れの結果は、自分が作ったものは実在すると考える心の遺産となります。
Fear is associated then with love, and its results become the heritage of minds that think what they have made is real.
真実においては何の実在性もないこれらのイメージが、「神は愛そのものであるために喜びであるに違いないこと」を忘れて、「神に対する怖れ」を証明し、それを示そうとします。
These images, with no reality in truth, bear witness to the fear of God, forgetting being Love, He must be joy.
今日、この基本的な過ちを、私たちは再び真実の前へと連れ出します。そして、私たちは自分自身に次のことを教えます。
This basic error we will try again to bring to truth today, and teach ourselves:
       
        「神」は愛そのものであるために、幸せでもあります。
        God, being Love, is also happiness.
        「神」を恐れることは喜びを恐れることです。
        To fear Him is to be afraid of joy.

今日の練習をこの連想から始めてください。この連想は、「神は恐れである」という誤った信念を修正します。
Begin your periods of practicing today with this association, which corrects the false belief that God is fear.
それはまた、幸せは、「神」が「神」であるために、幸せはあなたに属することをも強調します。
It also emphasizes happiness belongs to you, because of what He is.

今日は目を覚ましている毎時間、このひとつの修正があなたの心の中に置かれることを許してください。
Allow this one correction to be placed within your mind each waking hour today.
それから、真実が恐れに取って代わり、喜びが苦痛の代わりになるものとしてあなたが期待するものになるとき、それがもたらす幸せのすべてを歓迎してください。
Then welcome all the happiness it brings as truth replaces fear, and joy becomes what you expect to take the place of pain.
「神」は愛そのものであるために喜びはあなたに与えられるでしょう。
God, being Love, it will be given you.
一日を通して頻繁にこの期待を強めてください。そして、あなたの不安のすべてを、以下の優しくも完全に真実である確信によって鎮めてください。
Bolster this expectation frequently throughout the day, and quiet all your fears with this assurance, kind and wholly true:

        「神」は「愛」そのものであるために幸せでもあります。
        God, being Love, is also happiness.
        そして、私が今日求めるのは幸せです。         

        And it is happiness I seek today.
        私が失敗するはずはありません。なぜなら、私は真実を求めているからです。   

        I cannot fail, because I seek the truth.

Lesson 102

私は、私の幸せを願う神の意志を共有しています。
I share God's Will for happiness for me.

あなたは苦しみたくはありません。
You do not want to suffer.
苦しめば、(その苦しみの先に)何かをあなたに与えてくれるとあなたは考えているかもしれません。そして、(苦しみや苦労の先には)それはあなたが望んでいるものを与えてくくれる(とさえ)いまだに少しは信じているかもしれません。
You may think it buys you something, and may still believe a little that it buys you what you want.
しかし、この信念が今ではぐらついていることは確かです。少なくとも、それに疑問を発し、それは実在的には意味をなさないと疑うに十分なだけぐらついているはずです。
Yet this belief is surely shaken now, at least enough to let you question it, and to suspect it really makes no sense.
それはまだなくなったわけではありませんが、かつてこの(自我に基づいた)信念をあなたの心の暗い隠された秘密の場所にしっかりと固定させていた根っこはありません。
It has not gone as yet, but lacks the roots that once secured it tightly to the dark and hidden secret places of your mind.

今日、私たちは(この寄生のコースのレッスンをやる前とくらべて)弱くなっているその握り締めていたものをさらに緩くして、苦しみには目的がなく、原因もなく、(苦しんだ先に)何かを達成する力もないということを実感するように努めます。
Today we try to loose its weakened hold still further, and to realize that pain is purposeless, without a cause and with no power to accomplish anything.
苦しみ(のその先には)は何も得ることはできません。
It cannot purchase anything at all.
それは何も差し出すことはなく、(実在の世界では)存在しません。
It offers nothing, and does not exist.
そして、それがあなたに差し出すとあなたが考えているすべてのものは、それ自体と同じように存在性を欠いています。
And everything you think it offers you is lacking in existence, like itself.
あなたは(苦しんだ先には何が価値や意味があるはずだという自我が見せてきた幻想という)何も無いものに対して奴隷だったのです。
You have been slave to nothing.
今日は、幸せな「神の意志」と喜んで一緒になってください。
Be you free today to join the happy Will of God.


ここ数日間、練習時間を「神の意志」があなたの中に置いた幸せにたどり着く助けになるようにと計画されている練習に捧げることを続けていきます。
For several days we will continue to devote our periods of practicing to exercises planned to help you reach the happiness God's Will has placed in you.
ここにあなたの家があり、ここにあなたの安全があります。
Here is your home, and here your safety is.
ここにあなたの安らぎがあり、ここにはいかなる怖れもありません。
Here is your peace, and here there is no fear.
ここに救いがあります。
Here is salvation.
ここに、遂に休息があります。
Here is rest at last.

今日の練習時間を、あなたのための「神の意志」を受け容れることによって開始してください。
Begin your practice periods today with this acceptance of God's Will for you:

        私は、私の幸せを願う「神の意志」を共有します。
        そして、今、それを私の本来的に備わっている機能として受け容れます。

        I share God's Will for happiness for me, and I accept it as my function now.

それから、あなたの心の奥深いところでこの(本来的に備わっている幸せを神と共有できるという)機能を探求してください。というのは、それはそこにあって、あなたの選択だけを待っているからです。
Then seek this function deep within your mind, for it is there, awaiting but your choice.
それがあなたの選択であるということ、そして、あなたは「神の意志」を共有していることを学んだ時、それを必ず見つけることができます。
You cannot fail to find it when you learn it is your choice, and that you share God's Will.

幸せであってください。というのは、ここでのあなたの唯一の機能は幸せだからです。
Be happy, for your only function here is happiness.
「神の愛」は「自身の子」を「神自身」と同じくらいに愛に満ちた存在として創造しましたが、あなたには「神の子」に対して、その「神」よりもより少ない愛しか持たないという必要性はありません。
You have no need to be less loving to God's Son than He Whose Love created him as loving as Himself.
今日は、一時間ごとの5分間の休憩の他に、頻繁に間を取って、あなたは今や幸せをあなたの(本来的に備わった)一つの機能として受け容れたということを自分自身に告げてください。
Besides these hourly five-minute rests, pause frequently today, to tell yourself that you have now accepted happiness as your one function.
これをするとき、必ず「神の意志」と一緒になるようにしてください。
And be sure that you are joining with God's Will in doing this.