2013年10月10日木曜日

天国と地獄

師の言葉より・・・。

死を迎えたときに行く(移動する)場所が「あちらの世界(あの世)」です。

多くの人々は、あちらの世界には天国と地獄があるという概念を持っていたり、耳にしたことがあると思います。

実際のところは、地獄というものはありませんが、あちらの世界というものも、神の実在の世界とは異なり、わたしたちが作った世界であるため、地獄のように感じるということはあります。

この部分は、レッスンを通して目覚める、今この瞬間に生きるということと関連がありそうなので、あちらの世界がどういうものかというところから案内します。

◇あちらの世界とはなにか?
こちらの世界で死んだと言われているときに移行する場所。
わたしたちはスピリットであり、死は不可能であるため、死とは単なる場所や次元の移動だけであり、次にこちらの世界に来るまでにいるための場所。

◇あちらの世界とはどんな場所か?
基本的には、ほぼこちらの世界と同じ概観。
街並みがあり、飲み屋があり、家があり、ディスコがあり、と下世話なものもある。
一般の人がイメージする光しかなくて、天使がいてというファンタジーの世界とは異なる。
あちらの世界へ行ったからといって、姿形がなくなるわけでも、記憶や自分がやってきたことがリセットされるわけでもない。

◇自分の姿や知り合いとはどうなるのか?
姿形は今生のまま、服装は男女ともにムームーのようなものを着ている。
今生からの知り合いとは、相手が転生していなければ、あちらの世界のどこかで、普通に「あっ、久しぶり」という感じで、出会うこともできるし、恋愛等も生まれる。

◇転生はどんな感じか?
いつ次の生に転生するかはわからず、突如起こり、光と共にあちらの世界から消えて、こちらの世界へ移行する。映画「スープ」で描かれている通り。スープを飲んでいれば、前世の記憶はなく転生する。

◇あちらの世界では、お金や食べ物はどうなるのか?
食べる必要はないが、こちらの世界がなつかしいな~と言って、食べたり飲んだりすることはある。
食べる必要はないため、お金も必要なく、仕事もない。
暇でやりたい人が、自分の特技やこの前の生での経験を活かして、楽しんで、お店(飲食店、バー、服屋さん)を作ったり、飲食物や物を提供することはある。
お金があっても仕方がなく、所有や執着の概念がないため、あちらの世界では、好き勝手に楽しく飲み食いし、服を調達することができる。

◇住居は?
空き家に住む。
全員、自分がいつ転生するかもわからず、突如するりと消えてしまうため、常にどこかに空き家がある。そもそも、いつ消えるかわからないし、食べる必要もお金も住居や土地も持つ必要がないため、所有や執着という概念がない。使われていないものを使えばよいという概念。

◇時間の概念は?
時間というものはない。しいて言うならば、イメージとして、子ども時代に夢中になって遊んだときを想像し、時間を気にせずただ無我夢中で遊んで時間が過ぎているのと似ている。

◇人々はなにをしているのか?
こちらの世界とは違い、仕事や家事、人づきあいなど、しなければいけないことがまったくない。
ただひたすらやりたいことをやって、楽しむだけ。


こちらの世界とあちらの世界の決定的な大きな違いは、「所有するという概念がなく、執着が生まれないこと」です。

こちらの世界では、死んだら終わりだという概念が根強く、食べなければ死んでしまうという恐怖心から、お金を作りだし、もっともっと持たなくてはやっていけないという共同幻想が生まれました。

あちらの世界では、所有や執着がないため、守らなくてはやられてしまうという恐れからは一時的ではありますが、自由です。

でも、その代わり、やらなければならないことがないので、楽しんで味わい尽くすことしかできません。

こちらの世界において、人々は、恐れに対する埋め合わせとして行動していることが多いのですが、あちらの世界ではそれができなくなります。

たとえば、買い物依存症、仕事中毒、予定を埋めて恐れから目をそらす、などなど。

こちらの世界で自我から目覚めていない人や、常に恐れに対する埋め合わせをしていて「間」がない人にとっては、なにもやることがない、予定も立てられなければ、過去や未来の心配もできない場所というのは、ある意味地獄に感じられるでしょう。

あちらの世界もこちらの世界と同じで、わたしたちが作った自我の幻想の世界です。

こちらで自我から目覚められなければ、ある意味、恐れからは自由ですが、ずっとずっと同じことの繰り返しですし、瞬間瞬間を楽しんで味わうことができなければ、どちらの世界でも苦痛です。

あちらの世界でもこちらの世界でも逃げ場はなく、ただ幻想を見破って目覚めなければ永遠に自我の幻想の世界から脱することはできないのです。