2013年10月10日木曜日

どうしようもないとき

師の言葉より・・・。

レッスン90以降、自我が解体されることに本格的に危機感を感じ、レッスンとリンクして、ハードなリアルレッスンに直面することもあるかもしれません。

そんなときには、もう本当に駄目だと感じることもあるかもしれません。

でも、もう駄目だと思っているのはあなたの本質ではなく、自我がそう思わせているだけです。

それを真に受けて、自分が「もうだめだ」と感じていると思っているとき、自分=自我に錯覚してしまい、自我のワナに嵌められているということを見抜くようにします。

「もうだめだ」と感じさせている自我はそもそもあなたの本質ではない自我が勝手に言ってそそのかしているので、その自我に付き合い、その自我の言葉に対して「なんとかしよう」とすると、ますます自我のワナにはまります。

自我のワナに嵌まっているときは自分を自我と思い込んでいますから、自我に騙されたままで自我から聖霊にお願いしても、そもそも自我は聖霊を信用してませんから(自我は自我以外は、神であれ、聖霊であれ、レッスンであれ、人であれ、けして信用してたまるかと思っています)、聖霊とコミュニケーションすることを自我自体が拒否しています。

なので、まず、「もうだめだ」と感じた時点で、今、自分はまた自我に騙されかけていると、自我の企みを見抜き、「自分の本質は神の一部であって、いつも不安で怖れていて疑り深い自我ではない。聖霊よ、私が自我なんかではなく、神の一部(私はキリスト意識そのもの)であることにとどまらせてください。自我が不安や怖れや疑いという形で私を騙そうとしても、それに騙されないで、神の一部としての安らぎが私であることを思い出させ続けてください」というようにします。

もちろん、自我は、それに対して、「聖霊や神やレッスンなんて信用できない。この怖れや不安や疑いやこりゃだめだという感覚こそがお前自身なのだ」とそそのかし続けますが、その誘惑に乗らないようにする意思は必要です。

そして、諦めずに、やすらぎや静けさが訪れるまで、くり返しゆるしを行いつづけます。