2013年10月7日月曜日

予測不能なことへの恐れ

師の言葉より・・・。

自我のパターンのひとつに、予測不能なことは嫌い、なんでも把握したいというコントロール欲求があります。

コントロール欲求とは、①過去に体験したことがないことは嫌だ(予測不能なことは嫌)、②自我の価値観で制御できることしか嫌だというパターンで、過去に経験したことであれば予測ができて安心、自分で(自我で)制御できれば安心というあてにならない安心感を見いだそうとする自我の試みです。

①については、たとえば、瞑想をしていたり、レッスンの最中に、ふわっとした心地よい感覚があるのに、そこにゆだねきれなくてこちらの世界に引き戻されるという体験をしたことがあるかもしれません。

瞑想は、正に自我のコントロールの範疇を越えたところ(自我が知らない世界)へ行くことであるため、自我は把握できないものに対してゆだねることに抵抗しているのです。

瞑想でなくとも、人生や日常において、「変化」に対して怖いと感じたことは多かれ少なかれあるでしょう。

新しい環境に飛び込むことが怖かったり、予測不能な結果が待ち受けるリスクを冒すよりも安定がほしいと願ったり、選択することが怖かったり・・・。

でも、様々なことはやってみなければ(これも自我の判断ですが)楽しいか楽しくないか、成功か失敗かはわかりませんし、そこに伴う状況や人をコントロールするということは不可能です。

過去に体験したことがないことは嫌だという自我は、過去に経験したことや知識の範疇の中にわたしたちを閉じ込めようとします。

新しいことに挑戦したり、新しい環境に飛び込んだり、これまでとは違う選択をしたり、新しい境地を体験すること、これらによって自分は失敗するのではないか、コントロールできないところへいったら安全じゃないよと自我は囁きかけます。

でも、未知の世界に飛び込むことは、もしかすると予測をはるかに超えた喜びや幸せが待っているかもしれませんし、それは飛び込まなければ体験できないものです。

この部分の錯誤に関してゆるしを実践すると、大いなる流れにのって、予測不能な奇跡の連続の中で自由に楽しく生きることができるかもしれません。