2013年11月28日木曜日

Lesson 132

《私はこの世界についての私の思い込みのすべてからこの世界を解放します。》
I loose the world from all I thought it was.


この世界を鎖に縛り付けた状態にしているのはあなたの(自我に基づいた)信念以外の何ものでもありません。
What keeps the world in chains but your beliefs?

そして、あなたの「自己」以外に何がこの世界を救うことができるでしょうか。
And what can save the world except your Self?

信念は確かに強力なものです。
Belief is powerful indeed.

あなたがいだく思いは強力であり、(自我の投影による)幻想はそれがもたらす結果において真実と同じくらいに強いものです。
The thoughts you hold are mighty, and illusions are as strong in their effects as is the truth.

(自我に基づいて世界と自分を見る)狂気の人は自分が見ている世界はそれが実在する現実なのだと信じ、それを疑いません。
A madman thinks the world he sees is real, and does not doubt it.

その人はまた、その人の(自我に基づいた)思いの結果を問題にされても(自我にしがみつくという)信念をぐらつかせることもありません。
Nor can he be swayed by questioning his thoughts' effects.

その人の思いの源が疑問視されたときはじめて、自由という希望が遂にその人にも訪れるのです。
It is but when their source is raised to question that the hope of freedom comes to him at last.



しかし、救いは簡単に達成されます。というのは、誰でも自分のマインドを変える自由があるからです。そして、思いのすべてもマインドと一緒に変わります。
Yet is salvation easily achieved, for anyone is free to change his mind, and all his thoughts change with it.

今や、思いの源が変化しました。というのは、マインドを変えるということは、「あなたが考える考えのすべて」「これまでに考えたことのある考えのすべて」「これから考える考えのすべて」の源を変えたことを意味するからです。
Now the source of thought has shifted, for to change your mind means you have changed the source of all ideas you think or ever thought or yet will think.

あなたは以前に(自我に基づいて)考えていたことから過去を解放します。
You free the past from what you thought before.

あなたは、あなたが発見したくないことを探求するいにしえの思いから未来を解放します。
You free the future from all ancient thoughts of seeking what you do not want to find.



今現在が唯一の時間としてあります。
The present now remains the only time.

今現在ここにおいて、世界は解放されます。
Here in the present is the world set free.

というのは、あなたが過去を持ち上げて、あなたの古(いにしえ)の怖れから未来を解放するとき、あなたは(自我の囚われからの)脱出の方法を発見し、それをこの世界に与えます。
For as you let the past be lifted and release the future from your ancient fears, you find escape and give it to the world.

あなたは、この世界を怖れ、疑いや悲惨、苦痛や涙などによってあなたの(無意識の罪悪感や怖れ)の奴隷にしてきました。あなたの悲しみのすべてがこの世界の上に重くのしかかり、この世界はあなたの(自我の)信念の囚人にされているのです。
You have enslaved the world with all your fears, your doubts and miseries, your pain and tears; and all your sorrows press on it, and keep the world a prisoner to your beliefs.

死はあらゆる場所でこの世界に襲いかかります。なぜなら、あなたはマインドの中で死について苦い思いを(無意識で)いだいているからです。
Death strikes it everywhere because you hold the bitter thoughts of death within your mind.



この世界はそれ自体においては無です。
The world is nothing in itself.

あなたのマインドがそれに意味を与えなければなりません。
Your mind must give it meaning.

そして、あなたが見るものはあなたの(自我に基づいた)願望であり、それらの願望が、あなたがそれらを眺めて実在すると考えることができるように、演じられているのです。
And what you behold upon it are your wishes, acted out so you can look on them and think them real.

おそらく、あなたは自分がこの世界を作ったのではなく、あなたの思いがそれに意味を与えるということを待つこともせずに、すでに作られたもののところに不本意にもやって来たと考えるかもしれません。
Perhaps you think you did not make the world, but came unwillingly to what was made already, hardly waiting for your thoughts to give it meaning.

しかし、真実のところは、やって来たときあなたが探していたまさにそのものをあなたは発見したのです。
Yet in truth you found exactly what you looked for when you came.


あなたが願っているものから離れた世界は存在しません。ここに、あなたの究極の解放があります。
There is no world apart from what you wish, and herein lies your ultimate release.

あなたが見たいものに関してあなたの思いだけを変えれば、すべての世界はそれに応じて変わらなければなりません。
Change but your mind on what you want to see, and all the world must change accordingly.

考えはその源を離れることはありません。
Ideas leave not their source.

この中心的なテーマは、テキストの中でしばしば述べられていますが、今日のレッスンを理解するためにはこれをマインドに銘記しなければなりません。
This central theme is often stated in the text, and must be borne in mind if you would understand the lesson for today.

あなたが見ている世界はあなたが作ったということ、そして、あなたがマインドを変えるにつれてその世界は変わるということをあなたに告げるのはプライドではありません。
It is not pride which tells you that you made the world you see, and that it changes as you change your mind.



あなたはあなた自身からきわめて分離した世界、あなたが考えることによって影響されることのない世界、あなたがたまたまこうであろうと考えているものとは非常にかけ離れた世界にやって来たと論じるのはプライドです。
But it is pride that argues you have come into a world quite separate from yourself, impervious to what you think, and quite apart from what you chance to think it is.

世界は存在しません!
There is no world!

これが、コースが教えようとする中心的な考えです。
This is the central thought the course attempts to teach.

すべての人がこれを受け容れる準備ができているわけではありません。そして、一人一人の人が、自らが真実に至る道を導かれていくことを許すことができる程度まで進んでいかなければなりません。
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.

その人は帰りの道を歩み、さらに遠くまで進むでしょう。あるいは、おそらくはしばらく後退して、再び帰路の途につくかもしれません。
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.



しかし、(究極的な)癒しとは世界が存在しないことを学ぶ準備ができている人たち、そして、そのレッスンを今受け容れることができる人たちのところへとやってきます。
But healing is the gift of those who are prepared to learn there is no world, and can accept the lesson now.

その人たちが準備できているということが、その人たちが理解でき認識できる何らかの形でその人たちにそのレッスンをもたらします。
Their readiness will bring the lesson to them in some form which they can understand and recognize.

中には死を目前にして突然それを見て、挑戦に応じてそれを教える人もいます。
Some see it suddenly on point of death, and rise to teach it.

中には、この世界のものではない体験の中でそれを発見する人もいます。それは、この世界は存在していないことをその人に示します。なぜなら、その人たちが見ているものは真実であるに違いないけれど、この世界(が一般的に信じていること)とは明らかに矛盾しているからです。
Others find it in experience that is not of this world, which shows them that the world does not exist because what they behold must be the truth, and yet it clearly contradicts the world.


中には、このコースの中でそれを発見する人もいるでしょう。私たちが今日行う練習の中で発見する人もいるでしょう。
And some will find it in this course, and in the exercises that we do today.

今日の新しい見方は真実です。なぜなら、この世界は存在さえもしていないからです。
Today's idea is true because the world does not exist.

もしもこの世界が確かにあなた自身の想像力の産物であるとしたら、この世界にこれらの外見を与えた思いのすべてを単に変えることによって、この世界についてのあなたの思い込みのすべてからこの世界を解放することができます。
And if it is indeed your own imagining, then you can loose it from all things you ever thought it was by merely changing all the thoughts that gave it these appearances.

あなたが病についての思いのすべてを手放すとき、病める者は癒されます。あなたが死についてこれまでに抱いてきた思いのすべてを生命の思いと取り換えるとき、死者は蘇ります。
The sick are healed as you let go all thoughts of sickness, and the dead arise when you let thoughts of life replace all thoughts you ever held of death.


前に一度繰り返したレッスンを今ふたたび強調しなければなりません。というのは、それは今日の見方のしっかりとした土台を含んでいるからです。
A lesson earlier repeated once must now be stressed again, for it contains the firm foundation for today's idea.

あなたは「神」が創造されたままの存在です。
You are as God created you.

あなたが苦しむことができる場所はなく、あなたの永遠の状態に変化をもたらすことができる時間もありません。
There is no place where you can suffer, and no time that can bring change to your eternal state.

もしもあなたが、「神」が創造されたままの存在であるとしたら、時間と場所の世界がいったいどうして存在することが可能でしょうか。
How can a world of time and place exist, if you remain as God created you?


今日のレッスンは、あなたの「自己」を知ることはこの世界を救うことであるということを別な言い方で表現したものに他なりません。
What is the lesson for today except another way of saying that to know your Self is the salvation of the world?

あらゆる種類の苦痛からこの世界を解放することは、あなた自身についてのあなたのマインドを変えることに過ぎません。
To free the world from every kind of pain is but to change your mind about yourself.

あなたの考えから分離した世界は存在しません。なぜなら、考えはそれらの源を離れることはなく、あなたはこの世界をあなたのマインドの中で思いの中に維持しているからです。
There is no world apart from your ideas because ideas leave not their source, and you maintain the world within your mind in thought.



しかし、あなたが「神」が創造されたままの存在であるとしたら、あなたは「神」から離れて考えることはできません。また、「神」の無時間性と「愛」を共有しないものを作ることもできません。
Yet if you are as God created you, you cannot think apart from Him, nor make what does not share His timelessness and Love.

これらのものは、あなたが見ている世界に内在するものでしょうか。
Are these inherent in the world you see?

この世界は「神」と同じように創造するでしょうか。
Does it create like Him?

それがそうしないのであれば、それは実在せず、まったく存在することはできません。
Unless it does, it is not real, and cannot be at all.

あなたが実在するとすれば、あなたが見ている世界は偽の世界です。というのは、「神」の創造物はあらゆる意味においてこの世界とは似ていないからです。
If you are real the world you see is false, for God's creation is unlike the world in every way.

そして、あなたは「神の思い」によって創造されたのと同じように、この世界を作ったのはあなたの思いであり、この世界を解放しなければならないのはあなたの思いです。それは、あなたが「神」と共有する「思い」を知るためにそうするのです。
And as it was His Thought by which you were created, so it is your thoughts which made it and must set it free, that you may know the Thoughts you share with God.



この世界を解放してください!
Release the world!

あなたの実在的な創造物は、あなたに父性を与えるためにこの解放を待っています。それは幻想の父性ではなく、真実における「神」の父性と同じものです。
Your real creations wait for this release to give you fatherhood, not of illusions, but as God in truth.

「神」は「神の子」であるあなたと「ご自身の父性」を共有されています。というのは、「神」は「自身」であるものと、今もなお「自身」であるものとの区別を全然されないからです。
God shares His Fatherhood with you who are His Son, for He makes no distinctions in what is Himself and what is still Himself.

「神」が創造されるものは「神」から離れてはおらず、「父」が終わる場所で「子」が「神」から分離した何かを始めるということはまったくありません。
What He creates is not apart from Him, and nowhere does the Father end, the Son begin as something separate from Him.


世界は存在しません。なぜなら、世界は「神」から分離した思いであり、「父と子」を分離するために作られたからであり、「神自身」の一部を切り取って「神の完全性」を破壊するために作られたからです。
There is no world because it is a thought apart from God, and made to separate the Father and the Son, and break away a part of God Himself and thus destroy His Wholeness.

この考えから生まれる世界が実在的であり得るでしょうか。
Can a world which comes from this idea be real?

それがどこかにあるということが可能でしょうか。
Can it be anywhere?

幻想を否定して、真実を受け容れてください。
Deny illusions, but accept the truth.

あなたは死につつある世界の上に少しの間横たえられた影であるということを否定してください。
Deny you are a shadow briefly laid upon a dying world.

あなたのマインドを解放してください。そうすれば、あなたは解放された世界を見ることでしょう。
Release your mind, and you will look upon a world released.



今日の私たちの目的は、私たちがこの世界に、そして、そこで私たちが見ているあらゆる生物ついてこれまでに抱いてきたあらゆる無為な考えからこの世界を解放することです。
Today our purpose is to free the world from all the idle thoughts we ever held about it, and about all living things we see upon it.

彼らがそこに存在することはあり得ないことです。
They can not be there.

それと同じように、私たちもそこに存在することはあり得ません。
No more can we.

というのは、私たちは「神」がそれらの生物と一緒に私たちのために設けてくれた家の中にいるからです。
For we are in the home our Father set for us, along with them.

そして、今日、「神」が創造されたままの存在である私たちは自由になるために、私たちの幻想の一つ一つからこの世界を解放します。
And we who are as He created us would loose the world this day from every one of our illusions, that we may be free.



15分間の練習時間を開始してください。この15分の中で、今日は2回、次の言葉で練習します。
Begin the fifteen-minute periods in which we practice twice today with this:

       神が創造されたままの存在である私は、この世界についての私のすべての
       思い込みからこの世界を解放したいと思います。
       I who remain as God created me would loose the world from all I thought it was.

       というのは、この世界は非実在であるがゆえに私は実在するからです。
       そして、私は私自身の実在性を知りたいと思います。
       For I am real because the world is not, and I would know my own reality.


それから、注意を怠らず、しかし、緊張することなくただ休息してください。そして、この世界があなたと一緒に解放されるように、あなたのマインドが静けさの中で変わることを許してください。
Then merely rest, alert but with no strain, and let your mind in quietness be changed so that the world is freed, along with you.


この世界を祝福するためにあなたがこれらの思いを送り出すと、(究極的な)癒しがあなたの近くにいる人たちにもたらされるだけでなく、世界中の数多くの兄弟たちにももたらされることを、あなたは実感する必要はありません。
You need not realize that healing comes to many brothers far across the world, as well as to the ones you see nearby, as you send out these thoughts to bless the world.

しかし、あなたが一人で解放されることは決してないということはまだ完全には理解できないかもしれませんが、あなたはあなた自身の解放を感知するでしょう。
But you will sense your own release, although you may not fully understand as yet that you could never be released alone.



一日中、あなたの考えを通して世界全体に送られる自由を増大させてください。そして、あなたの単純なマインドの変化の力を疑いたい誘惑に駆られたときはいつも、次の言葉を言ってください。
Throughout the day, increase the freedom sent through your ideas to all the world, and say whenever you are tempted to deny the power of your simple change of mind:

       私はこの世界についての私のすべての思い込みからこの世界を解放します。
      そして、その代わりに、私自身の実在性を選択します。
       I loose the world from all I thought it was, and choose my own reality instead.

2013年11月27日水曜日

Lesson 131

《真実に到達しようとするものは誰も失敗することはありません。》
No one can fail who seeks to reach the truth.


あなたが達成不可能な目標を求めているかぎり、あなたには失敗が付きまとうことでしょう。
Failure is all about you while you seek for goals that cannot be achieved.

あなたは永遠でないものに永遠性を求め、愛のないところに愛を求め、危険の真っただ中に安全を求め、死の夢の暗闇の中に不滅性を求めているのです。
You look for permanence in the impermanent, for love where there is none, for safety in the midst of danger; immortality within the darkness of the dream of death.

矛盾が探求の状況設定であり、安定性を求めてあなたがたどり着く場所が矛盾であるような状況で、誰がいったい成功することができるでしょうか。
Who could succeed where contradiction is the setting of his searching, and the place to which he comes to find stability?



意味のない目標は達成されません。
Goals that are meaningless are not attained.

それらの目標に到達する方法はありません。というのは、それらの目標に向かって努力するための手段はそもそも本質的に無意味だからです。
There is no way to reach them, for the means by which you strive for them are meaningless as they are.

そのような無意味な手段を使って、それによって何かを獲得することができると希望することができる人などいるでしょうか。
Who can use such senseless means, and hope through them to gain in anything?

そのような手段はあなたをどこに導くことができるのでしょうか。
Where can they lead?

そして、実在的であるという希望を差し出す何を、それらは達成できるというのでしょうか。
And what could they achieve that offers any hope of being real?

想像されたものを追及することはあなたを死に導きます。なぜなら、それは無を探求することだからです。したがって、あなたは生命を探求しながら、死を依頼しているのです。
Pursuit of the imagined leads to death because it is the search for nothingness, and while you seek for life you ask for death.

あなたは安全と安定を探していますが、心の中では、あなたが作ったささやかな夢のために危険と保護を祈っているのです。
You look for safety and security, while in your heart you pray for danger and protection for the little dream you made.


しかし、この世界では探求は不可避的です。
Yet searching is inevitable here.

このためにあなたは来たのであり、あなたがそのためにやって来たことをあなたがやることは確実です。
For this you came, and you will surely do the thing you came for.

しかし、この世界はあなたが探求する目標を命じることはできません。ただし、あなたがこの世界にそうする力を与えなければという条件が付きます。
But the world can not dictate the goal for which you search, unless you give it power to do so.

あなたが力をこの世界に与えていなければ、あなたはなおも自由にこの世界とこの世界の世俗的な思いの一つ一つを超越した目標を選択することができます。放棄したけれどもまだ覚えていて、古いけれども新しい考えからあなたのところにやって来る目標、忘れられた遺産のこだまでありながらあなたがほんとうに望んでいるもののすべてを保持している考えからあなたのところにやって来る目標を選択することができます。
Otherwise, you still are free to choose a goal that lies beyond the world and every worldly thought, and one that comes to you from an idea relinquished yet remembered, old yet new; an echo of a heritage forgot, yet holding everything you really want.



探求しなければならないことを喜んでください。
Be glad that search you must.

喜んであなたが探求しているのは「天国」であることを学んでください。そして、あなたが本当に望んでいる目標を発見しなければならないことを喜んでください。
Be glad as well to learn you search for Heaven, and must find the goal you really want.

この目標を望んでそこに到達することに失敗する人はいません。
No one can fail to want this goal and reach it in the end.

自分で遅れを強制し、自らを騙し、自分が探求しているのは地獄であると考えたとしても、「神の子」の探求が無駄に終わることはあり得ません。
God's Son can not seek vainly, though he try to force delay, deceive himself and think that it is hell he seeks.

間違っているときは、彼は修正を発見します。
When he is wrong, he finds correction.

道草を食うと、彼が任命された任務へと導かれて戻らされます。
When he wanders off, he is led back to his appointed task.



誰も地獄には残りません。というのは、誰も自分の「創造主」を見捨てることはできないからです。また、「創造主」の完璧で、時間を超越した、不変の「愛」に影響を及ぼすことはできないからです。
No one remains in hell, for no one can abandon his Creator, nor affect His perfect, timeless and unchanging Love.

あなたは「天国」を見つけるでしょう。
You will find Heaven.

これ以外に何かを探求してもそれはすべてなくなります。
Everything you seek but this will fall away.

しかし、その理由はそれがあなたから奪われるからではありません。
Yet not because it has been taken from you.

それが去っていくのはあなたがそれを望まないからです。
It will go because you do not want it.

「神」があなたを無罪性の中で創造されたのと同じくらい確実に、あなたが本当に望む目標にあなたは到達することでしょう。
You will reach the goal you really want as certainly as God created you in sinlessness.


なぜ「天国」を待つのでしょうか。
Why wait for Heaven?

「天国」は今、今日、ここにあります。
It is here today.

時間は過去であるという大いなる幻想であり、未来にあるという大いなる幻想です。
Time is the great illusion it is past or in the future.

しかし、「神」が「神の子」がいるべき場所として意図される場所に時間があるとすれば、これがそうであるはずはありません。
Yet this cannot be, if it is where God wills His Son to be.

「神の意志」が過去にあり、あるいは、まだ起こらない未来のものであるということがあり得るでしょうか。
How could the Will of God be in the past, or yet to happen?

 「神」が意図されるのは今であり、それには過去もなく、未来もまったくありません。
What He wills is now, without a past and wholly futureless.

「神」が意図されることは、小さなろうそくがはるか彼方の星から離れているのと同じくらいに時間からはるかに離れています。あるいは、あなたが選択するものが、あなたが本当に望むものからはるかに離れているのと同じくらいに時間からはるかに離れています。
It is as far removed from time as is a tiny candle from a distant star, or what you chose from what you really want.



「天国」はいまだに、あなたが作ったこの奇妙な世界とそこでの様々なやり方に対するもう一つの選択肢であり続けています。この世界の変化するパターン、不確実な目標、苦痛に満ちた快楽、悲劇的な喜びに対するもう一つの選択肢であり続けています。
Heaven remains your one alternative to this strange world you made and all its ways; its shifting patterns and uncertain goals, its painful pleasures and its tragic joys.

「神」はいかなる矛盾も作りませんでした。
God made no contradictions.

それ自身の存在を否定し、それ自身を攻撃するものは「神」が作ったものではありません。
What denies its own existence and attacks itself is not of Him.

「神」は「天国」を一つの喜ばしい結果とし、地球をあらゆる点において「天国」と正反対の残念な結果とするような、二つのマインドは作りませんでした。
He did not make two minds, with Heaven as the glad effect of one, and earth the other's sorry outcome which is Heaven's opposite in every way.



「神」は葛藤に苦しむことはありません。
God does not suffer conflict.

また、「神」の創造物が二つに分裂させられることもありません。
Nor is His creation split in two.

「神自身」が「神の子」を「天国」に確立されたにもかかわらず、「神の子」が地獄にいるということがあり得るでしょうか。
How could it be His Son could be in hell, when God Himself established him in Heaven?

「永遠の意志」が「神の子」の永遠の家として与えたものを「神の子」が失うということがあり得るでしょうか。
Could he lose what the Eternal Will has given him to be his home forever?

「神」の一つの目的に、異質な意志を押し付けることはもうしないようにしましょう。
Let us not try longer to impose an alien will upon God's single purpose.

「神」はそのように意図するがゆえにここに在ります。そして、「神」が意図されているものは、時間が届かない今という時間において存在しています。
He is here because He wills to be, and what He wills is present now, beyond the reach of time.



今日、私たちは真実の代わりに逆説を選択することはしません。
Today we will not choose a paradox in place of truth.

「神の子」が「神の意志」を取り去るために時間を作ることがいったい可能でしょうか。
How could the Son of God make time to take away the Will of God?

このようにして、「神の子」は自分自身を否定し、正反対のものがないものに対して矛盾したことをします。
He thus denies himself, and contradicts what has no opposite.

彼は「天国」に対抗する地獄を作ったと考え、「天国」は発見することができない場所であるのに対して、自分は存在していないものの中に住んでいると信じています。
He thinks he made a hell opposing Heaven, and believes that he abides in what does not exist, while Heaven is the place he cannot find.



今日は、このような愚かな思いを後にして、その代わりに、真の考えにあなたのマインドを向けてください。
Leave foolish thoughts like these behind today, and turn your mind to true ideas instead.

真実に到達しようとする者は誰もそれに失敗することはありません。そして、今日私たちが到達しようとするのは真実なのです。
No one can fail who seeks to reach the truth, and it is truth we seek to reach today.

今日は、3回、この目標にそれぞれ10分間をささげます。そして、私たちが大切にしている愚かなイメージに取って換わるために、実在の世界が上昇し、何の意味もなく、何の結果もなく、真実の中に源もなければ実体もない思いの代わりに真の考えが生起するのを見ることを依頼します。
We will devote ten minutes to this goal three times today, and we will ask to see the rising of the real world to replace the foolish images that we hold dear, with true ideas arising in the place of thoughts that have no meaning, no effect, and neither source nor substance in the truth.



練習を開始するときにこのことを私たちは承認します。
This we acknowledge as we start upon our practice periods.

以下の言葉で開始してください。
Begin with this:


        私は異なった世界を見ることを依頼します。
        そして、私が作ったものとは異なった種類の思いを思うことを依頼します。
        I ask to see a different world, and think a different kind of thought from those I made.

        私が探求する世界は私が一人で作ったものではなく、私が思いたい思いは
        私自身の思いではありません。
        The world I seek I did not make alone, the thoughts I want to think are not my own.



あなたの目は閉じられていますが、あなたのマインドを数分間見つめ、あなたが実在的であると思っている無意味な世界を見てください。
For several minutes watch your mind and see, although your eyes are closed, the senseless world you think is real.

そのような世界と適合していて、あなたが真実であると思っている思いも振り返ってください。
Review the thoughts as well which are compatible with such a world, and which you think are true.

それから、それらの思いを手放し、それらの思いの下に沈み込み、それらが入ってくることができない神聖な場所に行ってください。
Then let them go, and sink below them to the holy place where they can enter not.

あなたのマインドの中のそれらの思いの下に一つのドアがあります。このドアはその向こうにあるものを隠すために完全に鍵をかけることはできないものです。
There is a door beneath them in your mind, which you could not completely lock to hide what lies beyond.



このドアを探し、見つけてください。
Seek for that door and find it.

しかし、そのドアを開けようとする前に、真実に到達しようとする者は誰も失敗することはないということを、自分自身に思い出させてください。
But before you try to open it, remind yourself no one can fail who seeks to reach the truth.

そして、今日あなたがする要請はこれです。
And it is this request you make today.

今では、これ以外のいかなるものもいかなる意味も持っていません。今や、他のいかなる目標も尊重されることはなく、求められることもありません。このドアの前にあるものであなたが本当に欲しいものはありません。このドアの向こう側にあるものだけをあなたは求めています。
Nothing but this has any meaning now; no other goal is valued now nor sought, nothing before this door you really want, and only what lies past it do you seek.



手を差し出して、その向こうに行きたいというあなたの意図によって、ドアがいかに簡単に開くかを見てください。
Put out your hand, and see how easily the door swings open with your one intent to go beyond it.

天使たちが道を光で照らしてくれます。その結果、すべての暗闇は消え、あなたは光の中に立っていますが、その光は非常に明るく透明であるために、あなたは見ているもののすべてを理解することができます。
Angels light the way, so that all darkness vanishes, and you are standing in a light so bright and clear that you can understand all things you see.

おそらくはほんの一瞬の驚きがあってあなたは立ち止まりますが、そのあとで、あなたの前にあって光の中に見ている世界はあなたが知っていた真実を反映していることに気づき、あなたが夢の中でさまよっていた時も完全には忘れていなかったことに気づきます。
A tiny moment of surprise, perhaps, will make you pause before you realize the world you see before you in the light reflects the truth you knew, and did not quite forget in wandering away in dreams.



今日、あなたは失敗することはあり得ません。
You cannot fail today.

あなたがいつの日かこのドアに近づき、「彼」の助けを借りて易々とドアを通過して光に行くことができるようにと、「天国」があなたに派遣してくれた「スピリット」があなたと一緒に歩いています。
There walks with you the Spirit Heaven sent you, that you might approach this door some day, and through His aid slip effortlessly past it, to the light.

今日、その日がやってきました。
Today that day has come.

今日、「神聖な子」に「神」が古の時になされた約束を、「神の子」が「神」に対する約束を思い出すのと同じように、「神」は守られるのです。
Today God keeps His ancient promise to His holy Son, as does His Son remember his to Him.

今日は喜びの日です。というのは、私たちは指定された時と場所にたどり着くからです。そこで、私たちはあなたのこの世界でのすべての探求の目標を発見し、この世界のあらゆる探求の目標を発見し、あなたがこのドアを通過するときそれらは一緒に終わるのです。
This is a day of gladness, for we come to the appointed time and place where you will find the goal of all your searching here, and all the seeking of the world, which end together as you pass beyond the door.



今日は特別な喜びの日であることを頻繁に思い出してください。そして、暗い思いや意味のない嘆きを慎んでください。
Remember often that today should be a time of special gladness, and refrain from dismal thoughts and meaningless laments.

救いの時がやってきました。
Salvation's time has come.

今日という日は、「天国」そのものによって、あなたとこの世界のための恩寵の日として設定されたのです。
Today is set by Heaven itself to be a time of grace for you and for the world.

もしもあなたがこの幸せな事実を忘れてしまったならば、次の言葉であなた自身に思い出させてください。
If you forget this happy fact, remind yourself with this:


        今日、私は私が望むもののすべてを探求し発見します。
        Today I seek and find all that I want. 

        私の一つの目的がそれを私に差し出してくれます。
        My single purpose offers it to me.

        真実に到達することを求める者は誰もそれに失敗することはありません。
        No one can fail who seeks to reach the truth.


☆Lesson 131 を耳から浸透させるにはこちらから
http://acim.org/Lessons/lesson.html?lesson=131

2013年11月26日火曜日

Lesson 130

《二つの世界を見ることは不可能です。》
It is impossible to see two worlds.


知覚は首尾一貫しています。
Perception is consistent.

あなたが見るものはあなたの思考を反映します。
What you see reflects your thinking.

そして、あなたの思考はあなたが見たいものについてのあなたの選択を反映しているだけです。
And your thinking but reflects your choice of what you want to see.

あなたの価値観がこれを決定するものです。というのは、あなたが価値を置くものをあなたは見たいに違いないからです。なぜなら、あなたはあなたが見ているものは実際にそこにあると信じているからです。
Your values are determiners of this, for what you value you must want to see, believing what you see is really there.


誰も自分のマインドが価値を与えていない世界を見ることはできません。
No one can see a world his mind has not accorded value.

そして、誰もが自分が欲しいと信じているものをかならず見ることができます。
And no one can fail to look upon what he believes he wants.



しかし、本当の意味で同時に憎み、愛することができる人がいるでしょうか。
Yet who can really hate and love at once?

自分が望まないことが実在性を持つことを願うことができる人がいるでしょうか。
Who can desire what he does not want to have reality?

そして、自分が恐れている(という自我の投影の)世界を見る選択をすることができる人がいるでしょうか。
And who can choose to see a world of which he is afraid?

怖れは盲目にするに違いありません。というのは、怖れの武器は次のようなものだからです。
Fear must make blind, for this its weapon is:

それは、あなたは恐れているものを見ることはできないということです。
That which you fear to see you cannot see.

このようにして、愛と知覚は手に手を取って一緒に進みます。しかし、怖れは(自我の)暗闇の中でそこにあるものを不明瞭にします。
Love and perception thus go hand in hand, but fear obscures in darkness what is there.



それでは、怖れは何をこの世界に投影することができるでしょうか。
What, then, can fear project upon the world?

暗闇の中で実在する何が見えるでしょうか。
What can be seen in darkness that is real?

真実は怖れによって隠され、後に残されるものは想像されたものだけです。
Truth is eclipsed by fear, and what remains is but imagined.

しかし、パニック状態から生まれた盲目的な想像物で何が実在的であり得るでしょうか。
Yet what can be real in blind imaginings of panic born?

これがあなたに示された今、あなたは何を望むでしょうか。
What would you want that this is shown to you?

そのような(自我という)夢の中にあなたは何を保持しておきたいと願うでしょうか。
What would you wish to keep in such a dream?



あなたが(自我の投影から)見ていると考えているもののすべてを怖れが作りました。
Fear has made everything you think you see.

あなたが信じている分離のすべて、区別のすべて、そして、数多くの違いがあなたの(自我の)世界を構成しています。
All separation, all distinctions, and the multitude of differences you believe make up the world.

それらのものはそこにありません。
They are not there.

愛の対極にある(自我という)ものがそれらのものをでっち上げたのです。
Love's enemy has made them up.

しかし、愛には敵を持つことはできません。したがって、それらの(自我という)ものには(実は)原因がなく、存在がなく、結果がありません。
Yet love can have no enemy, and so they have no cause, no being and no consequence.

それらのものを大切にすることは可能ですが、非実在であることは変わりません。
They can be valued, but remain unreal.

それらのものを探し求めることは可能ですが、見つけることはできません。
They can be sought, but they can not be found.

今日、私たちはそれらのものを探求することはせず、今日という日を、発見できないものを探すことによって浪費することはしません。
Today we will not seek for them, nor waste this day in seeking what can not be found.



いかなる種類の重なりもない二つの世界を見ることは不可能です。
It is impossible to see two worlds which have no overlap of any kind.

一つの世界を探求すれば、もう一方の世界は姿を消します。
Seek for the one; the other disappears.

しかし、一つの世界は残ります。
But one remains.

それらは選択の領域であって、あなたの決断はそれを超越することはできません。
They are the range of choice beyond which your decision cannot go.

実在的なものと非実在的なものだけが選択の対象であって、それら以外には何もありません。
The real and the unreal are all there are to choose between, and nothing more than these.



今日、私たちはいかなる妥協も可能ではないところで妥協することは試みません。
Today we will attempt no compromise where none is possible.

あなたが見ている世界は、その正反対のものと同じくらいに網羅的な選択をすでにしたということの証拠です。
The world you see is proof you have already made a choice as all-embracing as its opposite.

今日私たちが学ぶのは、あなたには二つの世界を見ることはできないというだけのレッスン以上のものです。
What we would learn today is more than just the lesson that you cannot see two worlds.

それはまた、あなたが見ている世界は、あなたが見ている観点からすればきわめて首尾一貫しているということも教えます。
It also teaches that the one you see is quite consistent from the point of view from which you see it.

あなたが見ている世界はすべてひとつです。なぜなら、それは一つの感情から発し、あなたが見るすべてのものの中にその源を反映しているからです。
It is all a piece because it stems from one emotion, and reflects its source in everything you see.



今日は6回、すべての妥協と疑いに終止符を打ち、それらすべてのものは一つであるとして(自我を)超越する思いに、大いなる感謝の気持ちと喜びをこめて、5分間を与えます。
Six times today, in thanks and gratitude, we gladly give five minutes to the thought that ends all compromise and doubt, and go beyond them all as one.

私たちは千にも及ぶ意味のない(自我の)区別はせず、実在的なものだけを発見することにマインドをささげる中で、(自我の)非実在性のわずかな部分を持っていくことはしないように努めます
We will not make a thousand meaningless distinctions, nor attempt to bring with us a little part of unreality, as we devote our minds to finding only what is real.



あなた自身の(自我が定義する)強さを超越した強さを依頼することによって、そして、あなたが求めるものが何であるかを認識することによって、(自我とは)別な世界を探し始めてください。
Begin your searching for the other world by asking for a strength beyond your own, and recognizing what it is you seek.

あなたは(自我の投影に基づいた)幻想を欲しくはありません。
You do not want illusions.

この(自我の)世界のつまらない宝物のすべてを手放して、これらの5分間を迎えてください。
And you come to these five minutes emptying your hands of all the petty treasures of this world.

次の言葉を言いながら、「神」があなたを助けてくれのを待ってください。
You wait for God to help you, as you say:


        二つの世界を見ることは不可能です。
        It is impossible to see two worlds.
       
        私が自由と解放を見つけることができるように、「神」が私に差し出される
       強さを受け容れさせてください。そして、この世界に価値を見させないでください。
        Let me accept the strength God offers me and see no value in this world, 
        that I may find my freedom and deliverance.



「神」はおいでになるでしょう。
God will be there.

というのは、あなたは決して失敗することのない偉大な力に呼びかけたからですその力は感謝しながらあなたと一緒にこの大きな一歩を踏み出すことでしょう。
For you have called upon the great unfailing power which will take this giant step with you in gratitude.

また、あなたは「神」の感謝が触知可能な知覚と真実において表現されるのをかならず見ることでしょう。
Nor will you fail to see His thanks expressed in tangible perception and in truth.

あなたはあなたが見ているものを疑うことはないでしょう。というのは、それは知覚ではありますが、あなたの(肉体的な)目だけが以前に見ていた種類の見るという行為ではないからです。
You will not doubt what you will look upon, for though it is perception, it is not the kind of seeing that your eyes alone have ever seen before.

そして、あなたがこの選択をしたとき、「神」の強さがあなたを支えてくれたことを知るでしょう。
And you will know God's strength upheld you as you made this choice.



今日は、(自我で見てしまう)誘惑が生じたときには、単にあなたの選択の限界を思い出すことによって、その(自我で見ようとする)誘惑を簡単に退けてください。
Dismiss temptation easily today whenever it arises, merely by remembering the limits of your choice.

非実在のものか実在するもの、誤っているものか真実であるもの、それがあなたの見ているものであり、それだけがあなたの見ているものです。
The unreal or the real, the false or true is what you see and only what you see.

知覚はあなたの選択と一致しており、地獄、または、「天国」が一つのものとしてあなたにやってきます。
Perception is consistent with your choice, and hell or Heaven comes to you as one.



(自我から人や物事を見る)地獄のほんの一部でも受け容れれば、あなたはあなたの目に有罪判決を下したのであり、あなたの視力に呪いをかけたのです。
Accept a little part of hell as real, and you have damned your eyes and cursed your sight, and what you will behold is hell indeed.

そして、あなたが(自我から)見るものは確かに地獄でしょう。しかし、「天国」の解放はまだあなたの選択の範囲にあり、(自我から見る)地獄があなたに示すすべてのことに取って換わることができます。
Yet the release of Heaven still remains within your range of choice, to take the place of everything that hell would show to you.

それがどのような形をとったとしても、(自我から見る)地獄のどの部分であれあなたがそれに向かって言う必要があることは、単に次のことだけです。
All you need say to any part of hell, whatever form it takes, is simply this:


        二つの世界を見ることは不可能です。
        It is impossible to see two worlds. 
       
       
        私は私の自由と解放を求めます。そして、これは私が望むものの
        一部ではありません。
        I seek my freedom and deliverance, and this is not a part of what I want.

Lesson 129

《この世界の向こうに私が望む世界があります。》
Beyond this world there is a world I want.


これは昨日私たちが練習した思いに続く思いです。
This is the thought that follows from the one we practiced yesterday.

この世界には価値がないという考えで止まることはできません。というのは、(自我的な目で見る世界とは)何か期待できる楽しみが見えなければ、あなたは憂鬱になるだけだからです。
You cannot stop with the idea the world is worthless, for unless you see that there is something else to hope for, you will only be depressed.

私たちはこの世界をあきらめることを強調しているのではありません。そうではなく、この世界を、それよりもずっと満足させてくれるもの、喜びがあふれていてあなたに安らぎを差し出すことができるものと交換するようにと強調しているのです。
Our emphasis is not on giving up the world, but on exchanging it for what is far more satisfying, filled with joy, and capable of offering you peace.

この世界はそれをあなたに差し出すことができるとあなたは思いますか。
Think you this world can offer that to you?



この世界の価値についてもう一度考えるために少し時間を費やす価値があるかもしれません。
It might be worth a little time to think once more about the value of this world.

おそらく、あなたはこの世界の価値についての思いのすべてを手放すことで何も失うものはないと譲歩して認めるかもしれません。
Perhaps you will concede there is no loss in letting go all thought of value here.

あなたが(自我から)見ている世界は確かに容赦のない世界であり、不安定で、残酷で、あなたのことなど気にかけることはなく、すぐに報復に走り、無情で憎しみに満ちています。
The world you see is merciless indeed, unstable, cruel, unconcerned with you, quick to avenge and pitiless with hate.

それは与えますが撤回します。そして、あなたがしばらくの間大切にしていたすべてのものを(いずれいつか)奪い取ります。
It gives but to rescind, and takes away all things that you have cherished for a while.

永続的な愛はここでは見つかりません。というのは、それはここにはまったく存在しないからです。
No lasting love is found, for none is here.

これは時間の世界であり、すべてのものが(いずれ)終わる場所です。
This is the world of time, where all things end.



この(自我から見る)世界の代わりに、失うことは不可能であり、愛が永遠に継続し、憎しみは存在することができず、報復には何の意味もない世界を発見することは損失でしょうか。
Is it a loss to find a world instead where losing is impossible; where love endures forever, hate cannot exist and vengeance has no meaning?

あなたが本当に欲しいもののすべてを発見することは損失でしょうか。そして、それらのものには終わりがなく、時間が存在する間はずっとあなたがこうであってほしいというまさにその状態であり続けると知ることは損失でしょうか。
Is it loss to find all things you really want, and know they have no ending and they will remain exactly as you want them throughout time?

しかしながら、それらのものですら私たちが語ることができないものと遂に交換されるでしょう。というのは、あなたはその場所から、言葉がまったく機能しない場所へと移動し、言葉はまったく語られることがなく、それでいて、確実に理解されている沈黙の中へと入っていくからです。
Yet even they will be exchanged at last for what we cannot speak of, for you go from there to where words fail entirely, into a silence where the language is unspoken and yet surely understood.



曖昧なところはまったくなく、極めて明白なコミュニケーションは永遠にわたって無制限のままであり続けます。
Communication, unambiguous and plain as day, remains unlimited for all eternity.

そして、「神の子」が「神」に語りかけるように、「神自身」が「神の子」に語りかけられます。
And God Himself speaks to His Son, as His Son speaks to Him.

「彼ら」(=神のメッセンジャーとしての聖霊)の言語には単語はありません。というのは、「彼ら」が語ることは(形ある言葉というように)象徴化できないからです。
Their language has no words, for what They say cannot be symbolized.

「彼ら」の叡知は直接的であり、完全に共有されており、完全に一つです。
Their knowledge is direct and wholly shared and wholly one.

この世界に縛り付けられたままのあなたは、この状態からどれほど遠いところにいることでしょうか。
How far away from this are you who stay bound to this world.

しかし、その世界をあなたが望む世界と交換するとき、あなたはそれにどれほど近いところにいることでしょうか。
And yet how near are you, when you exchange it for the world you want.



今が最後の一歩であることは確実です。今、あなたは無時間性から一瞬の空間だけ離れて立っています。
Now is the last step certain; now you stand an instant's space away from timelessness.

ここから、あなたは振り返ってあなたが望まない世界を再び見ることはなく、ただ前を見ることができるだけです。
Here can you but look forward, never back to see again the world you do not want.

あなたを(自我の)囚人にしておくためにこの世界が設けるこまごまとした事柄からあなたのマインドを解放するとき、この(自我に基づいた)世界の場所に取って代わるための世界がやってきます。
Here is the world that comes to take its place, as you unbind your mind from little things the world sets forth to keep you prisoner.

それらのこまごまとした事柄を大切にしないでください。そうすれば、それらは姿を消します。
Value them not, and they will disappear.

それらの(自我に基づいた)ものを重んじれば、それらはあなたにとって実在するように見えます。
Esteem them, and they will seem real to you.



それが選択です。
Such is the choice.

無(=いずれ消えてしまう意味のないもの)を大切にしないという選択をするということが、あなたにとってどのような損失であり得るでしょうか。
What loss can be for you in choosing not to value nothingness?

この(自我に基づいた)世界にはあなたが本当に欲しいものは何もありません。しかし、あなたがその代わりに望むものをあなたは本当に望んでいます。
This world holds nothing that you really want, but what you choose instead you want indeed!

今日、それがあなたに与えられるようにしましょう。
Let it be given you today.

それはあなたによって選ばれるのを待っています。あなたが求めるけれども望んでいないもののすべてに取って代わるようにと待っています。
It waits but for your choosing it, to take the place of all the things you seek but do not want.



この変化を起こす気持ちになる練習を、朝と夜にそれぞれ10分間、その間にもう1回10分間、練習してください。
Practice your willingness to make this change ten minutes in the morning and at night, and once more in between.

次の言葉で始めてください。
Begin with this:


        この(自我に基づいた)世界の向こうに私が望む世界があります。
        Beyond this world there is a world I want. 

       
        私はこの(自我に基づいた)世界の代わりに、その世界を見ることを選択します。
        というのは、ここには私が本当に望むものは何もないからです。
        I choose to see that world instead of this, for here is nothing that I really want.



それから、あなたが見ている(自我の)世界に対して目を閉じて、沈黙の暗闇の中で、この世界のものではない光が一つ一つ点火して、最後には、すべての光が一つに融合して、一つの光がどこで始まって、別な光がどこで終わるかということがまったく意味を持たなくなっていくのを見つめてください。
Then close your eyes upon the world you see, and in the silent darkness watch the lights that are not of this world light one by one, until where one begins another ends loses all meaning as they blend in one.



今日は「天国」の光があなたに向かってお辞儀をし、あなたが暗闇の世界の向こうで休息するときあなたのまぶたにその光を輝かせます。
Today the lights of Heaven bend to you, to shine upon your eyelids as you rest beyond the world of darkness.

ここにあなたの(肉体的な)目が見ることのできない光があります。
Here is light your eyes can not behold.

しかしながら、あなたの意識はそれをはっきりと見ることができ、理解することもできます。
And yet your mind can see it plainly, and can understand.

今日は、恩寵の一日があなたに与えられます。そして、私たちは感謝します。
A day of grace is given you today, and we give thanks.

今日という日に、私たちはあなたが失うことを恐れていた(自我に基づいて握りしめていた)ものは(ただ単に)損失だけだったことを実感します。
This day we realize that what you feared to lose was only loss.



今、私たちは、損失は何もないということを理解します。
Now do we understand there is no loss.

というのは、私たちは遂にそれと正反対のものを見たからです。そして、私たちはその選択がなされたことに感謝します。
For we have seen its opposite at last, and we are grateful that the choice is made.

一時間ごとにあなたの決断を思い出してください。そして、あなたが思っていることが何であれそれを放棄して、以下の思いについてだけ少しの間考えることによって、あなたの選択をさらに確固たるものにするための時間にしてください。
Remember your decision hourly, and take a moment to confirm your choice by laying by whatever thoughts you have, and dwelling briefly only upon this:


       
       私が見ている世界には私が望むものは何もありません。
        The world I see holds nothing that I want. 

        この世界の向こうに私が望む世界があります。
        Beyond this world there is a world I want.

2013年11月24日日曜日

Lesson 128

《私が見ている(自我の)世界には私が望むものは何もありません。》
The world I see holds nothing that I want.


あなたが見ているこの(自我の)世界には、あなたが自分に差し出す必要のあるものは何もありません。いかなる意味においてもあなたが活用できるものは何もありません。また、あなたに喜びを与えるのに役立つものもまったくありません。
The world you see holds nothing that you need to offer you; nothing that you can use in any way, nor anything at all that serves to give you joy.

この思いを信じてください。そうすれば、あなたは(自我に囚われるがゆえの)何年にもわたる悲惨、数えきれない失望、苦々しくも絶望の灰塵に成り果てる様々な希望から救われます。
Believe this thought, and you are saved from years of misery, from countless disappointments, and from hopes that turn to bitter ashes of despair.

この(自我に囚われた)世界を後にして、この(自我に囚われた)世界のつまらない展望や狭量なやり方を超越して飛翔したいならば、誰であれこの思いを真実として受け容れなければなりません。
No one but must accept this thought as true, if he would leave the world behind and soar beyond its petty scope and little ways.



あなたがここで大切にしているものの一つ一つは、あなたをこの(自我に囚われた)世界に縛り付ける鎖に過ぎません。
Each thing you value here is but a chain that binds you to the world, and it will serve no other end but this.

そして、それらはこれ以外の目的は果たしません。というのは、すべてのものはあなたが異なった目的をそれに見るまでは、あなたに与えられた目的を果たさなければならないからです。
For everything must serve the purpose you have given it, until you see a different purpose there.

この(自我に囚われた)世界が保有する目的であなたのマインドに値する唯一の目的は、希望のないところに何らかの希望を知覚しようとして遅れることなく通過することだけです。
The only purpose worthy of your mind this world contains is that you pass it by, without delaying to perceive some hope where there is none.

これ以上騙されないでください。
Be you deceived no more.

あなたが見ているこの(自我に囚われた)世界にはあなたが望むものは何もありません。
The world you see holds nothing that you want.


今日は、あなたがここに救いを知覚するときマインドの上に置く(自我の)鎖から逃れてください。
Escape today the chains you place upon your mind when you perceive salvation here.

というのは、あなたは自分自身を知覚するときにあなたが大切にしているものを自分の一部にするからです。
For what you value you make part of you as you perceive yourself.

あなたの(自我に囚われた)目から見てあなたの価値をより大きなものとするためにあなたが(自我に基づいて)探求するすべての事柄は、あなたをさらに制限し、あなたの(真の)価値をあなたから隠し、あなたの「自己」についての真の自覚に至るドアにさらなる閂(かんぬき)をかけることになります。
All things you seek to make your value greater in your sight limit you further, hide your worth from you, and add another bar across the door that leads to true awareness of your Self.



肉体の思いに関係するいかなるものも、救いに至るあなたの進歩を遅れさせることのないようにしてください。また、この(自我に囚われた)世界にはあなたが望むものは何でもあると信じたい(自我が錯覚させる)誘惑が、あなたの進歩を遅らせることを許さないでください。
Let nothing that relates to body thoughts delay your progress to salvation, nor permit temptation to believe the world holds anything you want to hold you back.

ここには大切にするべきものは何もありません。
Nothing is here to cherish.

ここにあるもので一瞬の遅滞や苦痛、一瞬のためらいや疑惑に値するものは何もありません。
Nothing here is worth one instant of delay and pain; one moment of uncertainty and doubt.

価値のないものは何も差し出すことはありません。
The worthless offer nothing.

価値の確実性を無価値性の中に見出すことはできません。
Certainty of worth can not be found in worthlessness.



今日、私たちは、私たちがこの(自我に囚われた)世界に与えてきた価値についてのあらゆる思いを手放す練習をします。
Today we practice letting go all thought of values we have given to the world.

私たちがこの(自我に囚われた)世界の様々な側面や、段階や、夢に与ええた目的からこの世界を解放します。
We leave it free of purposes we gave its aspects and its phases and its dreams.

私たちはこの(自我に囚われた)世界をマインドの中で目的のないものとして保持し、私たちが『こうであってほしい』と思うすべてのものから解放します。
We hold it purposeless within our minds, and loosen it from all we wish it were.

このようにして、この(自我に囚われた)世界から自由に至るドアを縛り付けている鎖を外し、(自我から考える)些末な価値観や矮小化された目標を超越した場所へと向かいます。
Thus do we lift the chains that bar the door to freedom from the world, and go beyond all little values and diminished goals.



少しの間休止してじっと静かにしてください。そして、あなたのマインドを(自我の)鎖から解放して、我が家にいるかのようにくつろぎを感じるレベルをマインドに探求させるとき、あなたがこの世界よりもどれくらい高いところまで上昇するかを見てください。
Pause and be still a little while, and see how far you rise above the world, when you release your mind from chains and let it seek the level where it finds itself at home.

あなたのマインドはしばらくの間自由でいることに感謝するでしょう。
It will be grateful to be free a while.

あなたのマインドは自分がどこに属するかを知っています。
It knows where it belongs.

しかし、その翼を自由にしてあげてください。そうすれば、あなたのマインドは確実性と喜びの中で飛んでいき、自らの神聖な目的に参加することでしょう。
But free its wings, and it will fly in sureness and in joy to join its holy purpose.

あなたのマインドをその「創造主」の中で休息させ、そこで、(自我に囚われていないという)正気と自由と愛を回復させてあげてください。
Let it rest in its Creator, there to be restored to sanity, to freedom and to love.


今日は、あなたのマインドに3回、それぞれ10分間の休息を与えてください。
Give it ten minutes rest three times today.

そして、そのあとで目を開くと、あなたが見るものが何であれ以前に見ていた時ほどの価値があるとは見なさなくなるでしょう。
And when your eyes are opened afterwards, you will not value anything you see as much as when you looked at it before.

それを縛り付けている鎖からあなたのマインドを逃れさせるたびに、この世界に対するあなたの全体的な展望が少しだけ変化します。
Your whole perspective on the world will shift by just a little, every time you let your mind escape its chains.

この世界はあなたのマインドが属する場所ではありません。
The world is not where it belongs.

そして、あなたはあなたのマインドがいる場所に属します。したがって、あなたがあなたのマインドをこの世界から解放するときそれが行って休息する場所にあなたは属することになります。
And you belong where it would be, and where it goes to rest when you release it from the world.

あなたの「ガイド(=聖霊)」は確信を持っています。
Your Guide is sure.

あなたのマインドを「聖霊」に向かって開いてください。
Open your mind to Him.

じっと静かにして休息してください。
Be still and rest.

一日を通して、あなたのマインドを守ることもしてください。
Protect your mind throughout the day as well.

そして、この(自我の)世界の一つの側面、あるいは、一つのイメージの中に何らかの価値を見ていると思ったときは、この(自我に縛られた)鎖をあなたのマインドにかけることを拒絶してください。そして、静かな確信をもって次の言葉をあなた自身に告げてください。
And when you think you see some value in an aspect or an image of the world, refuse to lay this chain upon your mind, but tell yourself with quiet certainty:


        これは私自身の進歩を遅らせるように私を誘惑しません。
        This will not tempt me to delay myself. 

        私が見ている世界には私が望むものは何もありません。
        The world I see holds nothing that I want.

2013年11月23日土曜日

Lesson 127

《神の愛以外に愛はありません。》
There is no love but God's.


おそらく、あなたはさまざまな種類の愛が可能であると考えているかもしれません。
Perhaps you think that different kinds of love are possible.

おそらく、あなたはこれに対する一種の愛、あれに対する一種の愛、ある人に対する愛し方、別な人に対する別な愛し方があると考えているかもしれません。
Perhaps you think there is a kind of love for this, a kind for that; a way of loving one, another way of loving still another.

愛は一つです。
Love is one.

愛には分離した部分はなく、程度もなく、種類もなく、レベルもなく、分岐もなく、区別もありません。
It has no separate parts and no degrees; no kinds nor levels, no divergencies and no distinctions.

愛はそれ自身と同じであり、隅々まで不変です。
It is like itself, unchanged throughout.

愛は人や状況と共に変わることはありません。
It never alters with a person or a circumstance.

愛は「神の心」であり、「神の子」の心でもあります。
It is the Heart of God, and also of His Son.



愛の意味は、愛は変わることができると考えている人にとっては、不明瞭なものです。
Love's meaning is obscure to anyone who thinks that love can change.

その人は、変わる愛というのは不可能であるということが分かりません。
He does not see that changing love must be impossible.

こうして、その人は時には愛することができ、時には憎むことができると考えます。
And thus he thinks that he can love at times, and hate at other times.

その人はまた、愛はある人に与えることが可能であり、他の人には愛を差し控えても愛は愛のままにとどまることができると考えます。
He also thinks that love can be bestowed on one, and yet remain itself although it is withheld from others.

愛についてこれらのことを信じることは、愛を理解していないということです。
To believe these things of love is not to understand it.

愛にそのような区別ができるとすれば、正しい人と罪人の間で価値判断をしなければならず、「神の子」を分離した部分として知覚しなければなりません。
If it could make such distinctions, it would have to judge between the righteous and the sinner, and perceive the Son of God in separate parts.


愛には価値判断をすることはできません。
Love cannot judge.

愛はそれ自体一つであるために、すべてのものを一つとして見ます。
As it is one itself, it looks on all as one.

愛の意味は一体性の中にあります。
Its meaning lies in oneness.

したがって、愛は、愛を部分的なものないしは部分、部分に分かれたものであると考えるマインドにはつかまりません。
And it must elude the mind that thinks of it as partial or in part.

「神」の愛以外には愛はありません。そして愛のすべては「神」のものです。
There is no love but God's, and all of love is His.

愛がないところで支配する他の原則はありません。
There is no other principle that rules where love is not.

愛は反対概念のない法則です。
Love is a law without an opposite.

愛の全体性がすべてのものを一つにしているのであり、愛の全体性が「父なる神」と「子」を永遠に同じにしている「父と子」の絆です。
Its wholeness is the power holding everything as one, the link between the Father and the Son which holds Them both forever as the same.



実在的なあなたが何であるかを思い出すことを教えることが目的であるコースであれば、あなたの本質と愛の本質の間に違いはまったくあり得ないことを強調することに失敗することはあり得ません。
No course whose purpose is to teach you to remember what you really are could fail to emphasize that there can never be a difference in what you really are and what love is.

愛の意味はあなた自身の意味であり、「神自身」によって分かち合われています。
Love's meaning is your own, and shared by God Himself.

というのは、あなたの本質は「神」の本質だからです。
For what you are is what He is.

「神の愛」以外にいかなる愛もありません。そして、「神」の本質は存在するもののすべてです。
There is no love but His, and what He is, is everything there is.

「神自身」に対してはいかなる制限も置かれておらず、したがって、あなたもまた無制限です。
There is no limit placed upon Himself, and so are you unlimited as well.



この(自我の)世界が従っているいかなる法則も、あなたが愛の意味を把握することの助けにはなりません。
No law the world obeys can help you grasp love's meaning.

この(自我の)世界が信じているものは、愛の意味を隠すために作られたのであり、愛の意味を暗く秘密にしておくために作られたのです。
What the world believes was made to hide love's meaning, and to keep it dark and secret.

この(自我の)世界が支持する原則のどれ一つとして、愛が何であるかについての真実と、あなたが何であるかについての真実を冒涜しないものはありません。
There is not one principle the world upholds but violates the truth of what love is, and what you are as well.
 


あなたの「自己」を探すためにこの世界の中で探求しないでください。
Seek not within the world to find your Self.

愛は(自我の)暗闇と死の中では見つかりません。
Love is not found in darkness and in death.

しかし、愛は、見ることができる目にとって、また、愛の「声」が聞こえる耳にとっては完璧に明白です。
Yet it is perfectly apparent to the eyes that see and ears that hear love's Voice.

今日、私たちは、あなたが従わなければならないと思っているすべての(自我に基づいた)法則からあなたのマインドを解放する練習をします。そして、あなたがその下で生きているすべての制限から、人間の運命の一部であるとあなたが考えているすべての変化からあなたのマインドを解放する練習をします。
Today we practice making free your mind of all the laws you think you must obey; of all the limits under which you live, and all the changes that you think are part of human destiny.

今日、私たちはこのコースの確立された目標に向かって前進するにあたって、このコースが要請する最大の一歩を踏み出します。
Today we take the largest single step this course requests in your advance towards its established goal.
 


今日、愛が何を意味するかについてほんのかすかな光ほどの理解でも達成するならば、あなたはあなたの解放に向かってはかり知れない距離を進んだことになり、時間にすれば年数で数えることができないくらい前進したことになります。
If you achieve the faintest glimmering of what love means today, you have advanced in distance without measure and in time beyond the count of years to your release.

そのような訳ですから、今日は共に喜んで「神」にある程度の時間を与え、これよりも良い時間の使い方はないということを理解しましょう。
Let us together, then, be glad to give some time to God today, and understand there is no better use for time than this.



今日は2回、それぞれ15分間、あなたが今信じている(自我の)法則の一つ一つから脱出してください。
For fifteen minutes twice today escape from every law in which you now believe.

あなたのマインドを開いて休息してください。
Open your mind and rest.

あなたを囚人として捉えている様に見えるこの世界は、この世界を大切であると思わない人であれば誰でも抜け出すことができるのです。
The world that seems to hold you prisoner can be escaped by anyone who does not hold it dear.

この世界の粗末な捧げものや意味のない贈り物にあなたがこれまで置いてきた価値のすべてを撤回してください。そして、「神」の贈り物とそれらのすべてを交換してください。
Withdraw all value you have placed upon its meager offerings and senseless gifts, and let the gift of God replace them all.



「父なる神の声」が応えてくれることを確信して、あなたの「父なる神」に呼びかけてください。

Call to your Father, certain that His Voice will answer.

「神自身」がこれを約束されました。
He Himself has promised this.

あなたが、あなた自身の実在性と愛の意味についての(自我の)誤った信念や(自我に基づいた)暗い幻想を放棄した場所であればどこでも、「神自身」があなたのマインドの中に真実の火花を置いてくださるでしょう。
And He Himself will place a spark of truth within your mind wherever you give up a false belief, a dark illusion of your own reality and what love means.

あなたの「神」は今日、あなたの無為な思いを貫いて輝き、あなたが愛の真実を理解する手伝いをしてくださるでしょう。
He will shine through your idle thoughts today, and help you understand the truth of love.

「神の声」があなたの清潔で開かれたマインドに愛の意味について教えるのをあなたが許すとき、愛情に満ちた優しさの中で「神」はあなたのもとにとどまるでしょう。
In loving gentleness He will abide with you, as you allow His Voice to teach love's meaning to your clean and open mind.

そして、あなたの「神」は「自身の愛」でこのレッスンを祝福してくれるでしょう。
And He will bless the lesson with His Love.



今日、救いを待つための無数の未来の年月が、あなたが学ぶものの無時間性の前で姿を消すでしょう。
Today the legion of the future years of waiting for salvation disappears before the timelessness of what you learn.

私たちが過去と同じような未来を免れたことに今日は共に感謝しましょう。
Let us give thanks today that we are spared a future like the past.

今日、私たちは過去を二度と思い出すこともないものとして後にします。
Today we leave the past behind us, nevermore to be remembered.

そして、私たちは目を上げて異なった現在を見ます。この現在においては、あらゆる属性において過去とは異なった形で未来の夜明けがやってきます。
And we raise our eyes upon a different present, where a future dawns unlike the past in every attribute.



幼少期の世界が新たに生まれました。
The world in infancy is newly born.

そして、私たちはそれが健康と強さを増しながら成長するのを見つめます。その世界は、愛の敵にするようにと憎しみの中で作られたと彼らが思っていた世界を、捨て去ることを学んだ人々すべての上に祝福を与えます。
And we will watch it grow in health and strength, to shed its blessing upon all who come to learn to cast aside the world they thought was made in hate to be love's enemy.

今や、彼らは私たちと一緒に皆自由になりました。
Now are they all made free, along with us.

今や、彼らは皆、「神の愛」における私たちの兄弟です。
Now are they all our brothers in God's Love.



私たちは一日を通して彼らのことを思い出します。なぜなら、私たちが自分の「自己」を知りたいのであれば、私たちの愛の外側に私たちの一部を残していくことはできないからです。

We will remember them throughout the day, because we cannot leave a part of us outside our love if we would know our Self.

少なくとも一時間に3回、あなたと一緒に旅をする人について考えてください。そして、あなたが学ばなければならないことを学びに来た人について考えてください。

At least three times an hour think of one who makes the journey with you, and who came to learn what you must learn.

そして、その人がマインドに浮かんだならば、あなたの「自己」からの以下のメッセージを彼に与えてください。
And as he comes to mind, give him this message from your Self:



        兄弟よ、私は「神の愛」であなたを祝福します。
       私は「神の愛」をあなたと分かち合います。
        I bless you, brother, with the Love of God, which I would share with you.         

        というのは、「神の愛」、あなたの愛、私の愛、すべての人の愛以外に、
       いかなる愛もないという喜びのレッスンを私は学ぶからです。
        For I would learn the joyous lesson that here is no love but God's and yours
        and mine and everyone's.

2013年11月22日金曜日

Lesson 126

《私が与えるすべてのものは私自身に与えられます。》
All that I give is given to myself.


今日の見方は、自我(=エゴ)とこの世界の思考にとってはまったく異質なものですが、このコースがもたらそうとする、思考の逆転にとっては不可欠のものです。
Today's idea, completely alien to the ego and the thinking of the world, is crucial to the thought reversal that this course will bring about.

あなたがこの言葉を受け入れるならば、完全なゆるし、目標の確実性、確実な方向性においてはまったく問題はないでしょう。
If you believed this statement, there would be no problem in complete forgiveness, certainty of goal, and sure direction.

あなたは救いがどのようにしてやって来るかその手段を理解し、今それを使うことにためらいを覚えることはないでしょう。
You would understand the means by which salvation comes to you, and would not hesitate to use it now.



この見方《私が与えるすべてのものは私自身に与えられます。》の代わりにあなた(が慣れ親しんでいる自我)が実際に信じていることを考えてみましょう。
Let us consider what you do believe, in place of this idea.

あなたには、他の人たちはあなたから離れて存在しており、あなたには何の影響も与えることなく、あるいはあなたの思いによって影響を受けることもなく、行動できるように思われます。
It seems to you that other people are apart from you, and able to behave in ways which have no bearing on your thoughts, nor yours on theirs.

したがって、あなたの態度は彼らに何の影響も及ぼすことはなく、彼らの助けを求める訴えはいかなる意味でもあなた自身の態度とは関係していません。
Therefore, your attitudes have no effect on them, and their appeals for help are not in any way related to your own.

そのうえ、あなたは、彼らはあなた自身についてのあなたの知覚に影響を与えることなく罪を犯すことができると考えています。一方、あなたは彼らの罪を価値判断することができ、しかしながら、あなたは有罪判決を免れたままであり安らかにしていることができると考えています。
You further think that they can sin without affecting your perception of yourself, while you can judge their sin, and yet remain apart from condemnation and at peace.


あなたが罪を(自我のやり方で)"ゆるす"とき、直接的にはあなたが得るものは何もありません。
When you "forgive" a sin, there is no gain to you directly.

あなたはその価値がない人に施しを与えますが、それは単に、あなたがゆるす相手よりもあなたの方が優れていて高いところにいるということを指摘するためです。
You give charity to one unworthy, merely to point out that you are better, on a higher plane than he whom you forgive.


彼はあなたの慈悲深い寛容を獲得するだけのことはしていないのですが、あなたはこの慈悲深い寛容を贈り物に値しない人に与えます。なぜなら、彼の罪はあなたとの真の平等性よりも低いところに彼を貶めたからです。
He has not earned your charitable tolerance, which you bestow on one unworthy of the gift, because his sins have lowered him beneath a true equality with you.

彼にはあなたのゆるしを受ける権利はありません。
He has no claim on your forgiveness.

あなたのゆるしは彼に一つの贈り物を差し出しますが、あなた自身に対しては何の贈り物も差し出しません。
It holds out a gift to him, but hardly to yourself.



このように、(自我的な)ゆるしは基本的に健全なものではありません。それは、慈悲深い気まぐれであり、情け深いけれども受けるに値しないものであり、与えられることもあれば差し控えられることもある贈り物です。
Thus is forgiveness basically unsound; a charitable whim, benevolent yet undeserved, a gift bestowed at times, at other times withheld.

受けるに値しないことを理由に、ゆるしを差し控えることは公正なことであり、また、それが差し控えられたからといってあなたが苦しむというのは公平ではありません。
Unmerited, withholding it is just, nor is it fair that you should suffer when it is withheld.

あなたがゆるす罪はあなた自身のものではありません。
The sin that you forgive is not your own.

あなたから離れて存在している誰かがその罪を犯したのです。
Someone apart from you committed it.

そういうわけですから、その人が値しないものを与えることによって彼に親切を示すならば、その贈り物は、その罪が彼の罪ではなかったのと同じように、あなたの贈り物にはなりません。
And if you then are gracious unto him by giving him what he does not deserve, the gift is no more yours than was his sin.



仮にこれが真実であれば、ゆるしには信頼してしっかりと休息するための根拠は何もないことになります。
If this be true, forgiveness has no grounds on which to rest dependably and sure.

ゆるしは、それに値しない人に気前よく処刑延期を与える奇行ということになります。
It is an eccentricity, in which you sometimes choose to give indulgently an undeserved reprieve.

しかし、罪人が自分の罪に対して正当な代償を払うことから逃れないようにすることは、あなたの権利として残されています。
Yet it remains your right to let the sinner not escape the justified repayment for his sin.

あなたは、「天の主」がこの世界の救いとしてこれに依存することを許されると思いますか。
Think you the Lord of Heaven would allow the world's salvation to depend on this?

仮にあなたの救いが(自我の)気まぐれに左右されるとしたら、あなたに対する「天の主」の配慮は誠にささやかなものではないでしょうか。
Would not His care for you be small indeed, if your salvation rested on a whim?



あなたは(奇跡のコース的な)ゆるしを(まだ日常の思考的な習慣となるまでは)理解していません。
You do not understand forgiveness.

あなたの見るところでは、(自我的な)ゆるしはあからさまな攻撃の抑制であり、あなたのマインドの修正を必要とはしていません。
As you see it, it is but a check upon overt attack, without requiring correction in your mind.

(自我的な)ゆるしは、あなたが知覚するところではあなたに安らぎを与えることはできません。
It cannot give you peace as you perceive it.

(自我的な許しの)それは、あなた以外の誰かの中にあなたが見ているものからの解放の手段ではありません。
It is not a means for your release from what you see in someone other than yourself.

(自我的な許しの)それには、彼とあなたの統合をあなたの自覚に回復させる力はありません。
It has no power to restore your unity with him to your awareness.

(自我的な許しの)それは、「神」があなたのためにゆるしをかくあるべしと意図されたものではありません。
It is not what God intended it to be for you.



「神」があなたに依頼されている贈り物を「神」に与えていないために、あなたには「神」の贈り物を認識することができず、「神」は贈り物をあなたに与えておられないと考えます。
Not having given Him the gift He asks of you, you cannot recognize His gifts, and think He has not given them to you.

しかし、それがあなたのためでなかったら、「神」があなたに贈り物を依頼されることがあるでしょうか。
Yet would He ask you for a gift unless it was for you?

「神」が空疎なジェスチャーに満足して、そのような意味のない贈り物を「神の子」にふさわしいものとして評価されるでしょうか。
Could He be satisfied with empty gestures, and evaluate such petty gifts as worthy of His Son?

救いはこれよりも良い贈り物です。
Salvation is a better gift than this.

そして、(奇跡のコース的な)真のゆるしは、救いがそれによって達成される手段として、与えるマインドを癒さなければなりません。というのは、与えることは受け取ることだからです。
And true forgiveness, as the means by which it is attained, must heal the mind that gives, for giving is receiving.

受け取られないままのものは与えられていません。しかし、与えられたものは受け取られたに違いありません。
What remains as unreceived has not been given, but what has been given must have been received.



今日、私たちは与える人と受け取る人は同じであるという真実を理解するように努めます。
Today we try to understand the truth that giver and receiver are the same.

これを意味のあるものにするためにはあなたには助けが必要です。なぜなら、これはあなたが慣れている(自我的な)思いとは非常に異質のものであるからです。
You will need help to make this meaningful, because it is so alien to the thoughts to which you are accustomed.

しかし、あなたが必要としている「助け」はそこにあります。
But the Help you need is there.

今日、「彼」(=聖霊)にあなたの信頼を与えてください。そして、「彼」に今日、真実についてのあなたの練習を共有するように依頼してください。
Give Him your faith today, and ask Him that He share your practicing in truth today.

そして、あなたが、今日練習する見方の中にある解放をちょっとでも一瞥することができたならば、今日という日はこの世界にとって栄光の日です。
And if you only catch a tiny glimpse of the release that lies in the idea we practice for today, this is a day of glory for the world.



今日は、2回、それぞれ15分間を、今日の見方を理解しようとする試みに与えてください。
Give fifteen minutes twice today to the attempt to understand today's idea.

今日の見方は、それによって(奇跡のコース的な)ゆるしがあなたの優先事項の中で適切な場所を占めるための思いです。
It is the thought by which forgiveness takes its proper place in your priorities.

それは、ゆるしが意味するものに対する障害物の一つ一つからあなたのマインドを解放し、あなたにゆるしの価値に気づかせてくれる思いです。
It is the thought that will release your mind from every bar to what forgiveness means, and let you realize its worth to you.



沈黙の中で、ゆるしを理解していないこの(自我に基づいた)世界に対して目を閉じてください。そして、思いが変えられ、(自我の投影という)誤った信念が放棄される静かな場所の中に聖域を求めてください。
In silence, close your eyes upon the world that does not understand forgiveness, and seek sanctuary in the quiet place where thoughts are changed and false beliefs laid by.

今日の見方を繰り返し言い、それが実在的に何を意味するのかを理解するために助けを求めてください。
Repeat today's idea, and ask for help in understanding what it really means.

教えてもらおうという気持ちを持ってください。
Be willing to be taught.

真実と癒しの声があなたに語りかけるのを喜んで聞いてください。そうすれば、あなたは「彼」が語る言葉を理解し、「彼」があなたの言葉をあなたに向かって話していることを認識するでしょう。
Be glad to hear the Voice of truth and healing speak to you, and you will understand the words He speaks, and recognize He speaks your words to you.



できるだけ頻繁に、今日、あなたには目標があることを自分自身に思い出させてください。それは、今日という日をあなた自身にとって、そして、あなたの兄弟のすべてにとって、特別な価値のある日にしてくれる目的です。
As often as you can, remind yourself you have a goal today; an aim which makes this day of special value to yourself and all your brothers.

あなたのマインドにこの目標を長い間忘れさせないようにしてください。そして、次の言葉をあなた自身に告げてください。
Do not let your mind forget this goal for long, but tell yourself:


        私が与えるすべてのものは私自身に与えられます。
        All that I give is given to myself.

        私がこれを学ぶために必要な「助け」が今私と共にいます。
        The Help I need to learn that this is true is with me now.

        そして、私は「彼」を信頼しています。
        And I will trust in Him.



それから、静かなひと時を過ごして、あなたのマインドを「彼」の修正と「愛」に向かって開いてください。
Then spend a quiet moment, opening your mind to His correction and His Love.    

そして、あなたは「彼」について聞く事柄を信じるでしょう。というのは、「彼」が与えるものがあなたによって受け取られるからです。
And what you hear of Him you will believe, for what He gives will be received by you.

2013年11月21日木曜日

Lesson 125 について

☆翻訳者より☆

レッスン125の練習は、レッスン124の延長線上にあり、瞑想ワークとなっています。

10分という時間を1日に3回取りますが、昨日と同じく最初は自我のおしゃべりがいろいろ出てくる場合もあるかもしれません。しかし、頭の中の自我の話す声を通り抜けていきます。


今日は「神の声」とありますが、神の声とは必ずしも(というよりかなりの確率で)何らかの言葉が来るとは限らないことに気をつけてください。

ただ暖かい感覚が来たり、なかなか赦せない誰かや自分を赦してみようとなぜかふと思えるという感覚がふと来たり、なにかわからない安心感という感覚が来ると、いう形の「声」もあります。

神の声を「自我で勝手にイメージしてしまう」と、それこそ自我が自作自演の芝居を始めて自我のおしゃべりの時間になってしまうこともあります。

例えば、チャネリングのような長々としたメッセージであることはまずほとんどありません。

聞こえる場合も、多くは一瞬のほんの瞬間の「あれっ!?」っていうほどシンプル過ぎる「たった一言」が多いはずです。

(あと命令系が聞こえたような場合はまずもって自我の声です。聖霊が私たちに命令したり強制したりすることは、通常あり得ません。)

「声を聞きたい」と自我的に「期待」したいと思うあまり、練習時間に自我の思考を休めるよりも、「まだかまだか」と「いつ聞こえる?」「まだ聞こえない!」という自我の声に集中してしまうこともあり得ます。

あるいは「聞こえたならレッスンは進んでいると安心できるし、聞こえないならやっぱり自分はレッスンがうまく進んでいない」という自我の評価や不安感を埋め合わせたいという自我的な願望も、声を邪魔します。

むしろ、レッスン124の、「ある種の時間が止まったような不思議な感覚」や「よくわからない静けさ」やが訪れる瞬間のリラックスを待つ事が大切です。

聞けるかどうか、それを気にしずぎることはなく、聞こうと焦ることなく、ただ自我のおしゃべりを鎮めて、ただリラックスします。

たとえ、何か聞こえなくとも、ただ10分を今日は自我のおしゃべりを鎮めるということに意識を保ち続ければ、ふとした瞬間に来る時は来るし来ない時も10分の瞑想のリラックスを味わえばいいのだ、くらいの感覚がちょうどいいです。

これも、朝と夜でいえば、朝起き抜け直後が一番やりやすいかもしれません。

具体的な声を聞くことより、自我のおしゃべりを鎮めたリラックスした時間を味わうという事のほうが大切な場合もあります。

聖霊もその自我から離れた一瞬の瞬間をじっと気長に待ってくれています。

仕事やご予定がある場合は、朝はゆっくりできずに夜にまとめて連続でやるなどといったことになってしまうこともあるかもしれませんが、その場合はお風呂あとなどリラックスできる時間を利用するとやりやすいです。

今日、聞こえても聞こえなくても、「どっちにせよ、こだわらないようにする」事が大切だと思います。

本当に大切な事は、「自我の声以外の声を聞きたい」という、自我を離れた自分の本質を選択しようという持続的な意志です。

まだまだ、先のレッスンがあり、今日聞こえる聞こえないを越えた、遥か先のレベルにちゃんと私たちは向かっています。

Lesson 125

《今日、私は静けさの中で「神の言葉」を受け取ります。》
In quiet I receive God's Word today.


この日を、静寂の日、そして、静かに耳を傾ける日にすることにしましょう。
Let this day be a day of stillness and of quiet listening.

あなたの「父なる神」は、今日あなたが「彼の言葉」を聞くことを意図しています。
Your Father wills you hear His Word today.

あなたの「父なる神」は「彼」が住んでいるあなたのマインドの奥深いところからあなたに呼びかけます。
He calls to you from deep within your mind where He abides.

今日、あなたの「父」の声を聞いてください。
Hear Him today.

あなたの「父の言葉」が世界中で聞かれるまで、そして、あなたのマインドが静かに耳を傾けて、静かな安らぎの時を迎え入れるためにこの世界が聞かなければならないメッセージを受け容れるまで、いかなる安らぎも不可能です。
No peace is possible until His Word is heard around the world; until your mind, in quiet listening, accepts the message that the world must hear to usher in the quiet time of peace.



この世界はあなたを通して変わります。
This world will change through you.

他のいかなる手段もこの世界を救うことはできません。というのは、「神」の計画は単に次のようなものだからです。
No other means can save it, for God's plan is simply this:

「神の子」は自由に自分自身を救うことができる。そのために、彼の「ガイド」として「神の言葉」を与えられ、それは常に彼のマインドと彼の傍らにあって、彼の「父なる神」の家へと確実に彼を導く。しかし、それは「神の意志」と同じく永遠に自由な彼自身の意志によってなされる。
The Son of God is free to save himself, given the Word of God to be his Guide, forever in his mind and at his side to lead him surely to his Father's house by his own will, forever free as God's.

彼は強制的に導かれることはなく、愛によってのみ導かれる。
He is not led by force, but only love.

彼は価値判断をされることはなく、認可されるだけである。
He is not judged, but only sanctified.



今日、私たちは、私たちの(自我の)些末な思いに煩わされることなく、(自我に基づいた)個人的な願望を持たず、「神」の神聖な「言葉」に対する(自我による)価値判断もまったくすることなく、じっと静かに「神の声」を聞きます。
In stillness we will hear God's Voice today without intrusion of our petty thoughts, without our personal desires, and without all judgment of His holy Word.

今日、私たちは自分自身を(自我の視点から)価値判断することはしません。というのは、私たちの本質を(自我の視点から)価値判断することはできないからです。
We will not judge ourselves today, for what we are can not be judged.

私たちは、この世界が「神の子」の上に置いたすべての(自我に基づいた)価値判断から離れて立ちます。
We stand apart from all the judgments which the world has laid upon the Son of God.

この(自我に基づく)世界は「神の子」を知りません。
It knows him not.

今日、私たちはこの(自我に基づく)世界に耳を傾けることはせず、沈黙の中で「神の言葉」を待ちます。
Today we will not listen to the world, but wait in silence for the Word of God.



神聖な「神の子」よ、あなたの「父なる神」が話すのを聞いてください。
Hear, holy Son of God, your Father speak.

「彼の声」(=聖霊の声)が救いと安らぎの神聖な時の知らせを世界中に広めるように、あなたに「神」の神聖な「言葉」を与えてくれるでしょう。
His Voice would give to you His holy Word, to spread across the world the tidings of salvation and the holy time of peace.

今日、私たちは、「神」が永遠に住んでいるマインドの中の静かな場所である「神」の玉座に、「神」が創造され、「神」が離れることは決してない神聖性の中で集います。
We gather at the throne of God today, the quiet place within the mind where He abides forever, in the holiness that He created and will never leave.

「神」は、あなたが「神の言葉」をあなたに与えてくれるようにとあなたのマインドを「神」に返すまで待ってはいませんでした。
He has not waited until you return your mind to Him to give His Word to you.

あなたが「神」を離れて少しさまよっている間、「神」は自分をあなたから隠すことはしませんでした。
He has not hid Himself from you, while you have wandered off a little while from Him.

「神」はあなたがあなた自身について抱いている(自我の)幻想を大切には思っていません。
He does not cherish the illusions which you hold about yourself.

「神」は「自分の子」を知っていて、彼の夢とは関係なく、また、彼の意志は彼自身の(本質の)ものではないという彼の(自我に基づいた)狂気とは関係なく、「神の子」が「神」の一部としてとどまることを意図しています。
He knows His Son, and wills that he remain as part of Him regardless of his dreams; regardless of his madness that his will is not his own.



今日、「神」はあなたに語りかけられます。
Today He speaks to you.

「神の声」はあなたの沈黙を待ちます。というのは、「神の言葉」はあなたのマインドがしばらく静かになって、(自我の)意味のない願望が静まるまでは聞くことはできないからです。
His Voice awaits your silence, for His Word can not be heard until your mind is quiet for a while, and meaningless desires have been stilled.

静かに「神の声」を待ってください。
Await His Word in quiet.

今日はあなたの中にある安らぎに呼びかけて、あなたのもっとも神聖なマインドが自らの「創造主の声」を聞くことができるように準備する手伝いをさせてください。
There is peace within you to be called upon today, to help make ready your most holy mind to hear the Voice for its Creator speak.

今日は3回、沈黙にもっとも適切な時に、10分間をこの世界に耳を傾けることから切り離して、その代わりに、「神の声」に静かに耳を傾ける選択をしてください。
Three times today, at times most suitable for silence, give ten minutes set apart from listening to the world, and choose instead a gentle listening to the Word of God.

「神」はあなたの心よりも近いところからあなたに話しかけられます。
He speaks from nearer than your heart to you.

「神の声」はあなたの手よりも近いところにあります。
His Voice is closer than your hand.

「神の愛」はあなたという存在のすべてであり、「神」という存在のすべてであり、「神」はあなたと同じであり、あなたは「神」と同じなのです。
His Love is everything you are and that He is; the same as you, and you the same as He.



「神」があなたに話しかけられる時、あなたが耳を傾けているのはあなたの声です。
It is your voice to which you listen as He speaks to you.

「神」が語るのはあなたの言葉です。
It is your word He speaks.

それは自由と安らぎの「言葉」であり、意志と目的が統合された「言葉」であり、「父と子」の一つの「マインド」の中には分離も分断もありません。
It is the Word of freedom and of peace, of unity of will and purpose, with no separation nor division in the single Mind of Father and of Son.

今日は、静かにあなたの「自己」に耳を傾け、「神」は「神の子」のもとを去ったことは一度もないこと、そして、あなたはあなたの「自己」を離れたことは一度もないことを、「彼」(=聖霊)に告げてもらってください。
In quiet listen to your Self today, and let Him tell you God has never left His Son, and you have never left your Self.


ただ、静かにしてください。
Only be quiet.

今日のあなたの練習がこの世界の(自我に基づいた)思考からあなたを上昇させ、あなたのヴィジョンを肉体の目から解放するためには、これ以外の規則は必要ではありません。
You will need no rule but this, to let your practicing today lift you above the thinking of the world, and free your vision from the body's eyes.

ただじっと静かにして耳を傾けてください。
Only be still and listen.

あなたは、「神の子」が彼の「父の意志」において、それと一つになって、完全に分割不可能なものと真実であるものとの間にいかなる(自我の)幻想も介在させることなく、「神の意志」と一緒になる「言葉」を聞くことでしょう。
You will hear the Word in which the Will of God the Son joins in his Father's Will, at one with it, with no illusions interposed between the wholly indivisible and true.

今日は、一時間が経過するたびに、一瞬じっと静かにして、今日は特別な目的があるということ、すなわち、静かに「神の言葉」を受け取るという目的があることを、自分自身に思い出させてください。
As every hour passes by today, be still a moment and remind yourself you have a special purpose for this day; in quiet to receive the Word of God.

2013年11月20日水曜日

Lesson 124 について

☆翻訳者より☆

レッスン124の練習は、練習時間が30分とこれまでで一番長いレッスンです。

いわゆる、まさに本格的な瞑想ワークとなっています。

30分という時間を取り、レッスン124が伝える瞑想を行う時、最初は自我のおしゃべりがいろいろ出てくる場合もありますが、それを通り抜けていく時に、ある種の時間が止まったような不思議な感覚やよくわからない静けさが訪れる瞬間が来るかもしれません。(それがたとえ1秒でも)

うまくできてるかどうか、気にする必要はなく、逆説的に言えばうまくやろうとする意図さえ自我なので、それさえもやり過ごし、ただ30分をレッスンの内容に意識を保ち続ければ、これまでにない嬉しい時間を体験できるはずです。

朝と夜でいえば、朝起き抜け直後が一番やりやすいかもしれません。

もちろん、仕事やご予定がある場合は、夜になってしまうこともあるかもしれませんが、その場合はお風呂あとなどリラックスできる時間を利用するとやりやすいかもしれません。

今日のレッスンは、時間だけみると長い感じがしますが、いざやってみると楽しい?時間になるかと思います。

Lesson 124

《私は「神」と一つであることを私に思い出させてください。》
Let me remember I am one with God.


今日、私たちの「アイデンティティー」が「神」にあることに再び感謝します。
Today we will again give thanks for our Identity in God.

私たちの家は安全であり、私たちがするすべてのことにおいて保護が保証されており、私たちが取り組むすべての事柄において力と強さを入手することができるのです。
Our home is safe, protection guaranteed in all we do, power and strength available to us in all our undertakings.

私たちはいかなることにおいても失敗することは不可能です。
We can fail in nothing.

私たちが触れるすべてのことが輝く光を帯び、その光は祝福し、癒します。
Everything we touch takes on a shining light that blesses and that heals.

「神」そして宇宙と一つである私たちは、「神自身」がどこにでも一緒に行ってくださるという思いをもって、喜びながら私たちの道を進んでいきます。
At one with God and with the universe we go our way rejoicing, with the thought that God Himself goes everywhere with us.



私たちのマインドはなんと神聖であることでしょうか。
How holy are our minds!

そして、私たちが見るすべてのものは、「神」及びそれ自身と一つであるマインドの中の神聖性を反映します。
And everything we see reflects the holiness within the mind at one with God and with itself.

なんと簡単に過ちは姿を消し、死が永遠に続く生命に場所を譲ることでしょうか。
How easily do errors disappear, and death give place to everlasting life.


私たちの輝く足跡は真実に至る道を指し示します。というのは、私たちがしばらくの間この世界を歩いている間、「神」が私たちの「道連れ」だからです。
Our shining footprints point the way to truth, for God is our Companion as we walk the world a little while.

そして、私たちの後に続いてくる人たちはその道を認識します。なぜなら、私たちが持ち歩く光は私たちの背後にとどまり、それでいて、歩き続ける私たちと一緒にあり続けるからです。
And those who come to follow us will recognize the way because the light we carry stays behind, yet still remains with us as we walk on.


私たちが受け取るものは、私たちの後ろに従う人々、私たちの前に行った人々、しばらくの間私たちと一緒だった人々に対する、私たちの永遠の贈り物です。
What we receive is our eternal gift to those who follow after, and to those who went before or stayed with us a while.

そして、私たちが創造された時の愛と等しい愛をもって私たちを愛している「神」は、私たちに微笑み、私たちが与えた幸せを私たちに差し出します。
And God, Who loves us with the equal love in which we were created, smiles on us and offers us the happiness we gave.



今日、私たちは私たちに対する「神の愛」を疑いません。また、「神」の保護と「神」の配慮を疑問視することもしません。
Today we will not doubt His Love for us, nor question His protection and His care.

(自我の投影が見せる)いかなる意味もない焦慮も私たちの信頼と「神の存在」の間に入ってくることはできません。
No meaningless anxieties can come between our faith and our awareness of His Presence.

今日、私たちは認識と記憶において「神」と一つです。
We are one with Him today in recognition and remembrance.

私たちは心の中で「神」を感じます。
We feel Him in our hearts.

私たちのマインドには「神の思い」が入っています。私たちの目は、見るものすべての中に「神」の美しさを見ます。
Our minds contain His Thoughts; our eyes behold His loveliness in all we look upon.

今日、私たちは愛に満ちたものと、愛すべきものだけを見ます。
Today we see only the loving and the lovable.


私たちはそれを(自我の投影があたかもそれがあるかに見せる)苦痛の外見の中に見ます。すると、(自我の投影があたかもそれがあるかに見せる)苦痛は安らぎに道を譲ります。
We see it in appearances of pain, and pain gives way to peace.

私たちはそれを(自我の錯覚の中にとどまっている)半狂乱の人の中に、悲しい人の中に、苦しんでいる人の中に、孤独な人たちの中に見ます。すると、その人たちは彼らが創造された時のマインドの静けさと安らぎを取り戻します。
We see it in the frantic, in the sad and the distressed, the lonely and afraid, who are restored to the tranquility and peace of mind in which they were created.

私たちはそれが死につつある人、そして、死んだ人の中にもあって、彼らを蘇らせるのが見えます。
And we see it in the dying and the dead as well, restoring them to life.

こうしたもののすべてが見えるのは、私たちが最初にそれを自分自身の中に見たからです。
All this we see because we saw it first within ourselves.



自らが「神」と一つであることを知っている人々に対して、奇跡が否定されることは決してありません。
No miracle can ever be denied to those who know that they are one with God.

彼らの思いにはあらゆる人のあらゆる形の苦しみを癒す力があります。すなわち、今彼らの傍らを歩いている人の苦しみと同じくらい簡単に、過ぎ去った時間の中にいる人たち、まだ来ていない時間の中にいる人たちの苦しみも癒す力を持っています。
No thought of theirs but has the power to heal all forms of suffering in anyone, in times gone by and times as yet to come, as easily as in the ones who walk beside them now.

彼らの思いには時間は存在せず、時間からも距離からも離れています。
Their thoughts are timeless, and apart from distance as apart from time.



私たちは「神と一つです」と言うとき、私たちはこの意識の仲間入りをします。
We join in this awareness as we say that we are one with God.

というのは、これらの言葉を言うとき、私たちは救われている、癒されている、私たちは救うことができる、したがって癒すことができるとも言っているからです。
For in these words we say as well that we are saved and healed; that we can save and heal accordingly.

私たちは受け容れました。そして、今、私たちは与えたいのです。
We have accepted, and we now would give.

というのは、私たちは「父」が与えてくれた贈り物を取っておきたいからです。
For we would keep the gifts our Father gave.

今日、私たちは、この世界が実在に関する私たちの認識を共有することができるように、「神」と一つである自分を体験します。
Today we would experience ourselves at one with Him, so that the world may share our recognition of reality.

私たちの体験の中でこの世界は解放されます。
In our experience the world is freed.

私たちが(自我の投影が錯覚させる)「神」からの分離を否定するとき、この世界も私たちと一緒に癒されます。
As we deny our separation from our Father, it is healed along with us.



今日、あなたに安らぎがありますように。
Peace be to you today.

「創造主」があなたと一つであるように、あなたはあなたの「創造主」と一つであるという自覚を練習することによって、あなたの安らぎを確保してください。
Secure your peace by practicing awareness you are one with your Creator, as He is with you.

今日、いつでも結構ですから最善であると思われるときに、あなたは「神」と一つであるという思いに30分をささげてください。
Sometime today, whenever it seems best, devote a half an hour to the thought that you are one with God.

これは、長い時間にわたってあなたの瞑想を導くための決まりや特別な言葉を与えない最初の試みです。
This is our first attempt at an extended period for which we give no rules nor special words to guide your meditation.

私たちは、「神」が今日、適切であると見なされる形で「神の声」が語ることを信頼しています。そして、「神」が失敗することはないことを確信しています。
We will trust God's Voice to speak as He sees fit today, certain He will not fail.

この30分間、「神」と一緒にいてください。
Abide with Him this half an hour.

あとは「神」がやってくれます。
He will do the rest.



あなたが何も起こらないと信じているとしても、あなたの恩恵がより少なくなることはありません。
Your benefit will not be less if you believe that nothing happens.

あなたは、今日は、得たものを受け容れないかもしれません。
You may not be ready to accept the gain today.

しかし、いつか、どこかで、それはあなたのところにやって来るでしょう。そして、それが疑いもなくあなたのマインドにひらめいたとき、あなたがそれを認識することに失敗することもないでしょう。
Yet sometime, somewhere, it will come to you, nor will you fail to recognize it when it dawns with certainty upon your mind.


この30分という時間は金の額縁で縁取られ、この練習があなたに差し出す鏡のまわりに1分1分が一つのダイヤモンドとなって固定されるでしょう。
This half an hour will be framed in gold, with every minute like a diamond set around the mirror that this exercise will offer you.

そして、その鏡の中にあなた自身の顔を反射したキリストの顔を見るでしょう。
And you will see Christ's face upon it, in reflection of your own.


おそらくは今日、おそらくは明日、この神聖な30分があなた自身を見るようにとあなたに差し出す鏡の中にあなた自身の変形した顔を見るかもしれません。
Perhaps today, perhaps tomorrow, you will see your own transfiguration in the glass this holy half an hour will hold out to you, to look upon yourself.

あなたの準備ができたとき、あなたはあなたのマインドの中で発見されることを待っているそれを発見するでしょう。
When you are ready you will find it there, within your mind and waiting to be found.

そして、その時、これ以上良い時間の過ごし方はかってなかったことを感謝しながら自覚して、この30分をそれに与えた思いを思い出すでしょう。
You will remember then the thought to which you gave this half an hour, thankfully aware no time was ever better spent.



おそらくは今日、おそらくは明日、あなたはこの鏡の中を覗き込み、あなたが見ている罪のない光はあなたに属するのであり、あなたが見ている美しさはあなたの美しさであることを理解するでしょう。
Perhaps today, perhaps tomorrow, you will look into this glass, and understand the sinless light you see belongs to you; the loveliness you look on is your own.

この30分を「神」に対するあなたの贈り物として数えてください。そして、「神」が返してくださるものは、あなたには理解不可能な愛の感覚であり、あまりにも深すぎてあなたには把握できない喜びであり、あまりにも神聖であるために肉体の目には見ることができない光景であることを確信してください。
Count this half hour as your gift to God, in certainty that His return will be a sense of love you cannot understand, a joy too deep for you to comprehend, a sight too holy for the body's eyes to see.

にもかかわらず、いつの日か、おそらくは今日、おそらくは明日、あなたは理解し、把握し、見ることでしょう。
And yet you can be sure someday, perhaps today, perhaps tomorrow, you will understand and comprehend and see.



毎時間、以下の言葉をあなた自身に向かって繰り返すことによって、今日差し出された鏡を固定している黄金の額縁にさらなる宝石を加えてください。
Add further jewels to the golden frame that holds the mirror offered you today, by hourly repeating to yourself:

        私は、永続的な神聖性と安らぎにおいて、「神」と一つであること、すべての
        私の兄弟および私の「自己」と一つであることを、私に思い出させてください。
        Let me remember I am one with God, at one with all my brothers and my Self,         
        in everlasting holiness and peace.

レッスンに出てくる神について誤解しないように (JACIMより転載)

以下はJACIM学習支援サイトに掲載されている記事(http://www.jacim.com/acim/?p=3724 )を転載させていただいたものです。


【質問】No.45 (org.#42) 神はこの世界に介入するのかどうかについて

『奇跡講座』が「神」と言うとき、私たちに応答してくれるような神のことを言っているのでしょうか? 

つまり、私たちの日々の活動といった面で、私たちの物理的・世俗的存在に変化や違いをもたらすような神なのでしょうか? 

このコースでは、はじめは、私たちは不変であると言っているようですが、あとになると、私たちが進歩するにつれて生じる様々な変化について示唆しています。

私たちが変化することが可能なのかどうかが、私にはよく分かりません。

もし私たちが不変のものであるなら、なぜ、わざわざ何かをしなくてはならないというのでしょう? 

どうせ、私たちはもともと、あるがままの存在だということになるわけですから。



【回答】

『奇跡講座』は多くの箇所で、人格的表現を用いて神について記述していますし、それらによれば、神はあたかも子供たちとは区別される存在であり、私たちを見守り、気にかけている父親であるかのようです。

けれども、このコースの基礎となる形而上学的教義を理解する時、神に関するこのような人格的、人間的な言及は、文字通りのことを意味しているはずがないということが明らかになってきます。

それらは、「この[有限の]心が、自分が存在すると考えている[分離した]状況の中で、この心に理解できる言葉を使用」(T-25.I.7:4)して、私たちが神について抱いている誤った知覚を訂正しようとする試みを表わしています。

私たちの自我は、神のことを、怒りと復讐心に満ちた父であり、私たちが神に対し行った攻撃のゆえに私たちを処罰しようとしている存在であると解釈しているので、このコースは、この知覚を訂正しようとしているのです。

このコースは、「私たちの限定された有限な心に向かって、神の本質や神の被造物や実相などについて説明する」といった不可能な課題には、ほとんど時間を費やしていません。

「全体性を表わす象徴などない」(T-27.III.5:1)からです。

ただし、ごくわずかですが、それを試みている箇所があります。たとえば「ワークブック」には以下のような記述があります。

「神が創造するものは神から離れてはいない。ここまでが父で、ここからは父から分離した子が始まるといった境目は、どこにもない。」(W-PI.132.12:4)

また、全ての概念や象徴を超越した存在を言葉で捉えることは不可能であると認めて、次のように述べています。

「一体性とは、簡潔に言うなら、「神、在り」という概念である。そして神の実存のうちに、神はあらゆるものを包含する。心の中には神以外に何もない。私たちは「神、在り」とだけ言って、その後は口をつぐむ。なぜなら、その智識の中では言葉は無意味だからである。それを語る唇はなく、心の中には、今自分が自分以外の何かを自覚していると感じるほどに、ほかの部分から区別された心の一部分というものもない。心はその源とひとつに結ばれている。そしてその源自体と同様に、それはただ在るのみである。」(W-PI.169.5)

ですから、「すべてのものの中のすべて」(T-7.IV.7:4)である神が、神自身の一部に対し、それがあたかも神から分離しているかのように働きかけるということはあり得ません。

そして、神に「Him」という人称代名詞を用いること自体が、実相においては完全に抽象的なものである一切の本源に、人格的な性質を押しつけることになります。

したがって、このコースは、神を、この世界の中で自分の子供たちと交流するような存在として描写してはいません。

そのような役割は、神を代弁する声である聖霊に与えられており、父と子にはない象徴的なはたらきは聖霊が担っています(T-5.I.4:1)。

しかし、この世界はその全部が、概して自我の幻想の投影であり、実在性の無いものですから、実際には聖霊が介入するような世界自体が存在しません。

存在しているのは、そうした世界があると信じている心だけなのです。そ

して更に言えば、神を代弁する声は、心の中においても、いかなる積極的なはたらきもしません。

それは私たちに、自分自身や神という一度も変化したことのない存在の真理について、「ただ思い出させるだけ」(T-5.I.7:4)です。

『奇跡講座』はまた、神を「不変なるもの」(W-pI.112.2:2)、「無形性そのもの」(W-pI.186.14:1)にして「不変なるものだけ」(T-6.IV.12:4)を創造する存在であると言っています。

ということですから、神が、形態の世界の中で、変化や変更をもたらすことに関わるということは考えられません。

そしてこのことが、私たちの不変性について尋ねておられるあなたの二番目の質問につながっていきます。

霊としての実相においては、私たちは何も変わっておらず、罪なく完璧なもの、源と一体のものです。

これが、<贖罪>の原理であり、『奇跡講座』全体を通して、幾度となく繰り返されていることです。そして、この意味において、私たちは真に不変なのです。

けれども、これは明らかに、私たちが自分自身について信じていることや体験していることとは違っています。

ですから、このコースは、実在であり真実であることをただ主張して、それだけで話しを切り上げるということはしないのです。

それだけだったら、自分たちの間違った信念の泥沼の中でもがいているかに見える私たちにとって、何の助けにもなりません。

だから、このコースは、私たちが自分の居場所だと思っているその場所で、私たちを受け入れてくれます。

つまり、私たちが自分たちのことを、互いから分離した物理的な存在だと思っていることを認識してくれていますし、私たちが時間と空間の世界の中に肉体として生きていて、自分たちに制御できないように見えるいくつもの勢力に対抗して悪戦苦闘している存在だと信じているということを、わかってくれています。

その上で、そこから抜け出す手段を提供してくれるのです。

つまり、私たちが自からを閉じ込めてきた、この無分別で無意味な信念の迷路から抜け出る道を見つけるための手段 ――聖霊により導かれる赦し―― を、私たちに提供してくれます。

しかしそれは、その迷路がほんの一部でも実在しているからではなく、それが実在しているとただ私たちが思っているからにすぎません。

私たちが自分をキリストという自らの真の実相とは違ったものに変えてしまったと信じているあいだは、私たちには、変化するように見えるプロセスの中を進んでいくことが必要です。

それは、私たちが自分のアイデンティティーに持ち込んだと信じている変化を取り消すプロセスであり、「自分は実相においてはまったく何も変わっていなかったし、一度も後にしたことのない故郷、いつでも自分がいたところである天国に戻ってきただけだ」と私たちが悟るまで続くプロセスです。

ですから、これは為されたことを白紙に戻すプロセスであり、本当の意味で何かを行うプロセスではありません。

そして、私たちの間違った信念を白紙に戻すこのプロセスにおいて私たちが体験するかに見えるどんな変化も、私たちを天国から追放したかに見えたあの原初の「変化の想念」と同様に、幻想にすぎないものです。

けれども私たちが、変化というものが可能であり、実在するという信念を持ち続けているあいだは、私たちは変化というものを体験することになります。そして、その間、私たちが真に選ぶことのできる選択肢は次の二つだけとなります。

すなわち、(1)罪悪感や分離を補強し、私たちの真の故郷から更に遠く離れたところへ私たちを連れていくかに見える「変化」を求めるか、それとも、(2)この世界において私たちが関わる関係を背景として赦しを練習することで生じる「変化」、すなわち私たちが故郷に帰ることを可能にする「変化」を求めるか、のどちらかです。