師の言葉より・・・。
自我は、わたしたちの目の前の出来事を創りだしたクリエーター(制作者)として、その出来事を本当に起こっている現実にしようとあらゆる手段を使って、わたしたちにストーリーそのものを手放させないようにしようとします。
でも、起こる出来事は幻想です。
自我は過去のパターン(心の内側にある種、原因)からストーリーを制作して、スクリーンを通して作り上げたストーリーを映し出し(投影、結果)ます。
では、そのスクリーンそのものを取り消してしまえば、自我が作ったストーリーは映し出される場所を失い、出来事そのものも生まれないことになり、幻想だったのだと言えるのです。
この取り消しの作業、幻想だと見抜き、手放す決意をし、聖霊にゆだねること、がゆるしです。
取り消しを行わなかったときには、自我そのものが出来事の制作者であるにも関わらず、わたしたちの自我は外側に感情の理由を求めつづけ、あいつがこうしたから自分はこんなにひどい気分なんだと責任転嫁します。
このときには、わたしたちの自我は、自作自演のドラマに対して文句を言っていることになり、実はとても滑稽なことをしているのです。
ですから、ゆるしを行ったときには、自我の滑稽なやり方に対して笑い飛ばせるようになるのです。
そして、わたしたちの目の前にいる人たちはどの人も鏡としてわたしたちを写し出していて(他人=自分)、わたしたちの自我をキャストとして演じてくれているだけなのです。