2013年10月7日月曜日

ゆるしへの認識

師の言葉より・・・。

奇跡のコースが進んでも、自然に目の前の状況や内面的なものが変わるわけではありません。

むしろ、自我の視点から見れば、嫌だな、困ったなと思うことも増えることもあるでしょう。

わたしたちは、この奇跡のコースを通して、「ゆるし」を習慣とするトレーニングを行っています。

日々のレッスンでももちろん学んではいますが、ゆるしそのものは、目の前に起こる日常の様々なできごとを題材として、わたしたち自身が意識的に「自我を選択しない」という決意とともに実践していく必要があります。

ひとつひとつのゆるしに関しては、レッスンそのものがやってくれるわけではありません。

起こる出来事、それに伴う感情に対し、自我を放棄する決意をし、「ありもしないものを見ているため(知覚の錯覚)、取り消してください」と聖霊に何度も何度もくり返しゆだねます。

地道な作業ですが、ただひたすらくり返しゆだね続けることが必要です。

諦めずにゆだねきったとき、そこには静けさややすらぎが訪れるでしょう。

また、状況は変わらないけれども、あなたの側が苦に感じなくなるということも起こるでしょう。

「神の使者」の中の3人の会話でも、ゲイリーがアーテンやパーサから、よくゆるしを実践したねとほめられるシーンが何度かありますが、奇跡のコースを学習したからといって自動的にゆるしが起こるわけでもなく、怒りなどの感情も当然起こりますが、それを解除していく意志と実践の回数が肝となります。

「ゆるし」はずっとずっと習慣としてつづけていく必要があるものとなりますが、習慣としてあなたになじんでいったときには、ゆるしの機会があることは苦痛ではなく喜びだと認識するようになるでしょう。