☆翻訳者より☆
復習レッスン113もとても深いレッスンです。
自我的には、とても心地よくないレッスンです。
なぜなら、レッスン113もまた、自我の企みを明らかにし、
私たちを自我ではない本質的な私たち自身への「目覚め」
へと向かわせるものだからです。
自我は、さまざまな理由をつけて、レッスンをさせないように、
あるいはレッスンを忘れさせようとさせるはずです。
時に、「めんどくさい」と感じさせ、時に「
忙しいからそれどこではない」と思わせ、「
時にこんなレッスンやっても仕方ない」
と思わせたりもするかもしれません。
レッスン113に限らず、レッスン91以降は、
本格的に自我の解体を進めるレッスンであるがゆえ、
自我はレッスンを無視させたり、抵抗させたり、「神の使者」
を繰り返し何度も読むことで理解が深まることを避けさせたりしま
す。
人によっては、他のもっと楽でいい方法があるのではないかと「
ネットなどで目先耳障りのいい本や自我を満足させてくれそうなセ
ミナーなどに逃避させようとしたりする」
こともあるかもしれません。
人によっては、「リアルレッスンが次々やってくる場合に、
それを自我の解体のゆるしのチャンスととらえれず、
自分自身を被害者だと思わせる自我の罠に嵌まったり、
不安定になったりする」こともあるかもしれません。
人によっては、
自我がレッスンの内容を頭や理屈で理解させようとして、「
わかったフリをさせて無意識では実は拒絶している」という『
自我の巧妙な罠』がきたりすることもあるかもしれません。
逆に言えば、自我にとっては、レッスン113も1日やりきられたら、
それだけ自我の解体が進んでしまい、私たちは「
自我ではありえず、想像主と常に一体である」「
幸せ以外の選択肢がありえない」
という自我を外した目覚めの体感に近づいてしまうので、
自我はなんとしてでもレッスンから遠ざけたいでしょう。
心静かに、こうした自我の企みを一旦脇において、
今日の復習レッスンを行う時、「
自我的に満足できないということは、
自我以外の選択肢へと確実に導かれている」
という事がわかるかもしれません。
私たち一人一人の今日1日がどうあろうとも、
それを越えたところで同じレッスンをしている仲間たちが見えない
ところで私たちを助けてくれています。
そして、自分自身がレッスンに向き合うということは、
他の仲間を知らず知らず助けることにもなります。
どうか今日のレッスンも私たち一人一人が受け取り尽くせますよう
に。