☆翻訳者より☆
レッスン39は、いつにもまして深く、長めの時間と多い回数が推奨されていますが、できる範囲でされるとよいかと思います。
レッスン39では、『罪の意識』という言葉がキーワードになっています。
この『罪の意識』という言葉は、実際に何か犯罪的なことをしたとか、倫理的にまずいことをしたとか、誰かを深く傷つけたとか、そういうことから生まれる罪の意識というのを意味しているのではありません。
レッスン39の『罪の意識』とは、以下のような感覚として捉えられるといいかもしれません。
すなわち、「自分がただ存在するだけで愛され祝福されるに値すると全面的に受け入れられない」(それゆえに自分で自分を100%愛せない)という感覚。
あるいは、人によっては「自分が存在していること自体が許されているような感じがしない」、すなわち、自分が嫌いという感覚。
レッスンでは、これらは全て、自我という真実ではない無意識の怖れに基づいた幻想が作り出した錯覚であり、私たちの本質では全くないと一貫して伝えています。
(罪の意識の本質について詳しくは、ゲイリー・レナード著「神の使者」という本を読むと、その意味するところが深くわかるかと思います。)
レッスン39では、この自我が私たちに無意識に信じ込ませた「罪の意識」という幻想を、私たちの本質である神聖性を受け入れることにより、自分自身に深い「救い」をもたらすためのレッスンです。
レッスン中に、自らが救われる時に全世界が救われるというような記述があります。
とても大げさな表現のように見えますが、実際、私たちが本質的に救われることは、全世界に少なからず影響します。
大げさな表現ではけしてないことが、レッスンでおいおい明らかになっていきます。
レッスン39も、たったひとりで黙々と行う小さな小さな革命かもしれません。
しかし、私たちがこの地味で地道なレッスンを黙々とする時、それを見守る存在は明らかに私たちの側にいて、神聖性の目覚めに静かに、けれども確実に向かう光として存在しています。