2013年9月12日木曜日

Lesson35について

☆翻訳者より☆

レッスン35を一読してみて、レッスン35から、また新しい次元に入ったということに気付いたかもしれません。

これから二週間あまり、「神聖性」、すなわち、私たちは本来は神の一部であったことを受け入れていく、自分の神聖性を思い出すレッスンとなります。

この一連のレッスンの内容をさらに受け取り尽くしたければ、ゲイリー・レナード著・「神の使者」という本をアマゾンなどで取り寄せ読んだりすると、一連のレッスンが何を伝えてきたかが、よりいっそう分かりやすくなります。

レッスンとは、私たちの自我によるこれまでの習慣的な感じ方のハ゜ターンや自我による思い込みをことごとく手放させるために毎日いろんな見方を提示してきます。

けれど、レッスンが提示する新しい見方に、「今日のレッスンは納得いかない」「今日のレッスンは 理解できない」「シンクロやミラクルなんて何も起きない」「めんどくさいなぁ」など、レッスンに対して自我が抵抗する時もあるかもしれません。

自我とは、すなわち、私たちが過去から引きずったプログラムからみた自分自身と世界に対する『大きな勘違い』です。

レッスンとは、「自我のパターン(過去からのプログラム)にすぎないものを、あたかも自分自身だと勘違いしていた。それは幻想を見ていたにすぎなく、自分の本質では全くない」と見破るための練習であり、レッスンとは自我を一度手放すためのもので、自我のパターンに基づきレッスンを評価する性格のものではありません。

このレッスンがどのような存在からもたらされたものかは、前述の「神の使者」に詳しく書かれています。

人間が持つ自我への執着は、自我を自分自身のアイデンティティーだと思い込みたがるというところもあります。

過去のハ゜ターンの集積である自我は、レッスンにより自我が解体されてしまうことに抵抗する性質を持っています。

レッスンをやったけれど何も変わらなかった、何も理解できなかった、私には合わなかった、面白くなかった、という場合、必ずこの自我のハ゜ターンにはまっていたりします。

「特に気付きがおきてない」「気付きを加速するシンクロも特に日常に起こってない」「レッスンがめんどくさい」という時は、自我の罠に嵌まってないか・・・を振り返ってみるチャンスがあります。

今日のレッスンでは、私たちの自我が自分自身に与えたアイデンティティー(=自分は…である)や評価は全て真実ではないと見て、《私の心は神の心の一部です。私は本来、神聖なる存在です。》という真実を受け入れるレッスンです。

どうか、日々のレッスンを、自我のハ゜ターンを手放すためのツールとして使えるように、取り組んでいただけたらと思います。