師の言葉より・・・。
真の目で観るとは、自分のまわりで起こることすべてに対し、最適な導きが起こっているいるという確信をもって見れること。
そして、起こることすべてを自分の中にあるものの投影だと観察し、すべてをゆるしの機会(チャンス)に変えていけることです。
目に入るは因縁、耳に入るも因縁、助けるのは当然のこと。
見聞きするということは、自分の内側にある原因(様々な種)が外側に投影されたということであり、目の前の人を救うことは自分を救うことに他なりません。
この物事の見方とゆるしの習慣づけを、奇跡のコースを通じて、わたしたちは練習しています。
自我というのは、こうであってほしい、こんなミラクルはほしいけどあれはいらないなど、見たいものだけを見るので、多くの機会(チャンス)を逃します。
真に観るときには、怖れや執着など、自我の視点から見れば気づきたくないこともたくさん見なければいけないかもしれません。
でも、気づかなければ、その怖れから永遠に逃れることはできず、ゆるしの機会を逃してしまうのです。
あなたの自我はなにを怖れ、なにに執着し、なぜ自然の流れ(あなたの魂が輝いている状態)に乗れないのでしょうか・・・。
怖れに気づいたときに、その怖れにまだしがみついていたいと思えば持ちつづければいいでしょう。
もうこんな世界は見たくない、わたしはこんなものを見るために生まれてきたわけじゃないと思うなら、ゆるしを通して聖霊にゆだねればよいでしょう。
怖れ(自我のパターン)に気づいたときにどう行動したいかという選択はあなた次第です。
でも、まずは怖れ(自我のパターン)を見極めなければ、その選択の機会もないのです。
怖れ(自我)はあなたではありませんし、それは幻想ですので、怖がらなくても聖霊がそばであたたかく見守っていてくれるでしょう。