師の言葉より・・・。
自我は、「努力して頑張ることがよいこと」、「頑張って自分でやるのがよいこと」だと思っています。
様々なことがいとも簡単にできてしまっては、「自分」という個性がなくなってしまって存在できなくなると自我は感じ、分離こそがすべての自我はわたしたちに「頑張らないと負けてしまうよ」「頑張らないと罰があたるよ」と囁きかけてきます。
自我を手放したら、本当に個性はなくなってしまうのでしょうか。
わたしたちは、苦しい思いをして頑張らなければ幸せになってはいけないのでしょうか。
そんなことは決してなく、むしろその逆です。
たとえば、あなたと関わりのあるすべての人を思い浮かべてみてください。
その人たち全員で、同じ歌を歌いながら踊ったときには、同じことをやっていていも全員が全く違うように見えるでしょう。
それと同じなのです。
わたしたちが自我のパターンを手放していったときには、本来神から与えられた光が、それぞれに様々に輝きだすのです。
そして、そのときには、自我ではなく神(や聖霊)とともにあるので、あなたの願いややりたいと感じること、楽しそうだなと思うことが神の大いなる流れと一致し、苦しんで努力したり頑張ることなく、幸せな方向へ行けるのです。