師の言葉より・・・。
奇跡とは習慣であり、いつも起こりつづけています。
わたしたちがそこにアクセスしているかどうか、気づいているかどうかは別ですが・・・。
いつも起こりつづけている奇跡に目を向け、ゆるしの機会として見るという習慣づけをレッスンを通して行っています。
あなたの目の前に起こる現実は、あなたの中にある原因をゆるしの機会として見せてもらっているのです。
たとえば、目の前の相手に攻撃を見たのなら、相手の中にある攻撃したい、攻撃されるという思いがあなたの中にもあります。
あなたの中のその攻撃性をゆるすことで、あなたは攻撃されることがなくなり、相手もあなたを攻撃していないことになります。
つまり、ゆるしを通して、自分も攻撃されず、相手の中の罪も消え、双方に奇跡が起こって分かち合えます。
このように、奇跡とはゆるしの習慣であり、だれかひとりだけのためにあるのではなくて分かちあうものなのです。
奇跡のコースのコースとは“道”であり、日々のゆるしの習慣によってその道ができていき、終わりはありません(どこかへ到達するわけではありません)。
おそらく、聖霊になっても、最後のひとりが完全に目覚めるまで、ゆるしを行いつづけると考えられます。
しかし、今のわたしたちと大きく違うのは、ゆるしが習慣になれば、ゆるしは辛いものではなくて喜びであり、習慣としてあたりまえのように無意識にやっているということです。
日々のレッスンを通して、慣れ親しんだ自我のパターンではなくてゆるしの実践に慣れるために、習慣づけを行っているのです。