師の言葉より・・・。
神がわたしたちを見守るまなざしは本当にあたたかいものです。
神は、全体がよくなることしか考えていませんし、わたしたちに与えたくて仕方がありません。
でも、わたしたちは自我の小さな小さな視点から、勝手に神を定義づけたり、神が与えているものを拒絶したりします。
たとえば、地震ですが、ここにも神は一切関与しておらず、これは人間のストレスが高まって生まれた電磁波によるものであり、人間が作りだしたものです。
神は、そんなわたしたちを、おもちゃを壊してしまった子どもに対する親のように見守りながら、何度も何度も還るチャンスを与えつづけています。
神は、特別性や上下もつくらず、わたしたちを等しく愛し、遊びにでかけてしまったわたしたちの帰りをただただ待っていてくれているのです。
わたしたちは、目の前に起こる現実に対してよい悪いとジャッジメントし、神が罰を与えるとか、よい行いをしたらよいことがあるなどと勝手に決めつけることが多々ありますが、神はもっともっと大きな視点から、わたしたちが本当の愛を思いだせるよう見守っています。
いつも神の愛は片思いなのです・・・。