2013年9月9日月曜日

Lesson27について

☆翻訳者より☆

レッスン27はいつもとすべてが違うということに気付いたかもしれません。

確かに、これまでのレッスンと、何もかも違うのです。

「見る」でなく、「(魂の持つ本質的なスヒ゜リチュアル能力としての真の視野で)本当に観る」という言葉が使われていることにも、注目していただけたらと思います。

レッスンにおける「1日の中で何回もひとつの宣言を繰り返す」とは、それは世の中の一般的なよくあるようなアファーメーションとは根本的に違うようです。

この毎日のスヒ゜リチュアルなレッスンは、神聖なる存在からのリーディングメッセージであり、人間が考えたり、作ったものではありません。

「一日の間で、今日の言葉を繰り返しているときに完全に心から言えていると感じることが1度でもあったなら、これから何年もかかるような努力を省くことになることを、実感する時が来るでしょう。」

レッスンの最後にこう伝えているのは、単なる人間の意見や見解でなく、神からの力強いメッセージです。

今日も何かやらなきゃいけない忙しいことはひょっとしたら沢山あるかもしれません。

今日もふと興味が沸くことや、心配事も、イライラすることも、あるかもしれません。

今日もふとした時に、知らない間にいたずらに時間がたってしまうかもしれません。

レッスンの文章中には『今日のレッスンは、単なる決意よりも強いものを表現しています。
それはあなたの数ある欲望の中で「(魂の持つ本質的なスヒ゜リチュアル能力としての真の視野で)本当に観ること」に最優先にすることです。』とあります。

レッスンをあなたに伝えている神は、こう伝えているのです。

『真の問いは、あなたがどれくらいの頻度でそれを思い出すかということ、そして、どれほど真実であってほしいと思うかです。これらの二つの質問の一つに答えれるならば、もう一つの質問にも答えたことになります。』

今日1日を、その一瞬一瞬を、「何を本当に大切にするのか」・・・で変わります。

今日のレッスンは今日しかできず、明日はまた違うレッスンになります。

でも、忙しい時には、忘れてしまう時もあるでしょう。

例えば、携帯やスマホを15分や30分毎に知らせてくれる設定にして(音が鳴ると周囲に対してマス゛イ場合はマナーモードでハ゛イフ゛にするなどして)、アラームが知らせてくれる度に、一瞬でいいから《何をおいても、私は観たい》と思う。

言い換えると、アラームが知らせる度に「ほんの一瞬」でいいから《何をおいても、私は観たい。》と神に思いを伝える。

これなら、どれだけ忙しくともできるはずです。

もし、今日1日に人生を賭けるくらいの真摯さで《何をおいても、私は観たい》と意識の中でまさに「何をおいても」という想いであなたが心の中で神に繰り返し伝える時、何かのシンクロ、あるいは何かにシンクロ(大きなものにつながるような感覚)が起こる事を感じる時があるはずです。