2013年9月12日木曜日

傷つくこと

師の言葉より・・・。

あなたは誰かによって傷つけられることはありえません。

誰かがあなたを攻撃しているように見えたとき、それはその誰かがその人の心の中にある攻撃性(原因)を、あなたを通して投影している(結果)だけ。

それは、攻撃した人の問題であり、攻撃した人はあなたを攻撃しているかに見えて、実は自分自身を攻撃しているのです。

あなたは傷つけられえない神聖性をもった存在であり、だれもあなたを脅かすことはできません。

でも、もしあなたが攻撃されていると信じてしまったら、あなた自身は他人や状況によって変わりうる存在であることを認め、自分自身に対して自分で攻撃していることになります。

相手が攻撃するのではありません。

「相手がこうであったら、状況がこうであったら、私の心のやすらぎがあるのに・・・」と思いたくなるでしょうが、そこにやすらぎは永遠に見いだせません。

人はだれでも、自分自身に対してしか責任をとれないのです。

自我は、自分には価値がなく脅かされる存在だと信じ(内なる攻撃)、自我とあなたは同体だとあなたに信じ込ませようとしますが、あなたは決して自我ではありません。

自我は、一度攻撃されたと認識したときには、そのたった一点のことに対して自分は犠牲者だと認識し、その他のことはすべて帳消しにします。

あなたの心臓はあなたが眠っている間も動きつづけ、あなたがけがをしたときには傷口をふさごうとかさぶたができ、あなたを守るために毛が伸びつづけ、あなたの意志とは関係なく、だれにも感謝もされないのに、あなたの体はいつもいつも働きつづけています。

そこには大いなるもの(神)の意志がはたらいていると考えた方が自然でしょう。

いついかなるときも大いなるものの意志があなたの中ではたらいているのに、そうしたことまですべてを帳消しにして、自分は犠牲者でしかないと見なす自我、こんな自我は本当にずるいと思いませんか。

あなたは自我ではありません。

自我というプログラムを作動させないことを選択できるのです。

あなたの存在は、決してだれかによって脅かされることはないのです。