2013年9月7日土曜日

Lesson22について

☆翻訳者より☆

レッスン22までにおいて、日々の日常生活がある中、レッスンを十分に行えなかったり、ついめんどくさくなってしまって心で軽く扱いながらとりあえず「こなして」しまった日もあるかもしれません。

うまくできてるのかな、と不安に思った時もあるかもしれません。

「忙しいので」「レッスンどころではない大変なことが起こっているので」「気分がすぐれず、レッスンをする気になれないので」と、自我は1日数分の神から与えられたレッスンよりも自我の事情を優先しようとしてしまいます。

すでに感じていると思いますが、日々のレッスンが少しずつ難易度が上がっています。

レッスン22の「復讐」というテーマは、私たちの無意識の中には、実は根深くある意識の一つの形です。

世の中では、昔一時、「引き寄せの法則」がちょっとだけフ゛ームになったこともありました。

「良いことを思えば、良い現実が引き寄せられる」・・・それはもっともらしい宇宙の法則のように思えますし、実際、その通りです。

しかし、多くの人がこのシンプルな法則を使えないのは、理由があります。

ここ数日のレッスンのテーマになっていく、意識の奥の奥にある「復讐」そして「攻撃」の想い、それが無意識の深い深いのところにあれば、「引き寄せの法則」はそれを引き寄せます。

たとえば、

「あいつさえいなければ」
「あの人のせいで私は気分が不快(落ち込む・腹立つ・イライラする)」
「会社のせいで、仕事のせいで、上司のせいで(部下のせいで、無茶な要求をする客のせいで)気分が不快(落ち込む・腹立つ・イライラする)」
「最悪〜、なんでこんなことが起こるの!」

こんな感覚は、私たちは日常的にそれを感じることを許し、そして相手や環境や目の前の状況がいかに酷いかを心の中に反芻し、怒り、ムカつき、そう感じていることも正当化していきます。

その刃(やいば)は時に自分自身に向かって、「なぜこんな性格なのだ」「自分はなんでいつもいつもこうなんだ」と自分を否定してしまったり、自己嫌悪へと「攻撃」が向かうこともあります。

自分を作った(と思っている)親やトラウマ的な出来事、運命、神などを「なんでこんな人生なんだ」「なぜこんな運命なのだ」呪ったり、恨んだりという形に向かうことさえあります。

けれど、本当は、「怒り」「攻撃」の無意識の思いが先にまず心の奥底にあって、それが「怒れること」という現象として目の前に引き寄せられたり、「攻撃」の対象を心が捜している・・・

私たちが自我からの見方を自分だと思っている限り、自我というのは誰の自我でも「こうあって欲しい」(=「こうあって欲しくない」)という世界と自分への見方を、過去からのパターンから勝手にしてしまいますから、その「あってほしい」は「確実に」裏切られます。

なぜなら、自我は世界も自分も決してありのままに見れず、自我という「色」をつけて誤認識していますから、その誤認識から何かを思っても、そもそもズレているからです。

その時、「なぜ思い通りにならないのだ!」と無意識かつ自動的に「怒り」を持っています。

自我を自分だと思って生きる限り、これは避けられません。

そして、自我はあなたの本質的なあなたとは全くありません。

私たちが自分だと思っている自分像は、本当は全く違う幻想を自分に見ているにすぎません。

誰もがです。

レッスン22ではこう伝えています。

「自分の怒りをこの世界に投影していると、復讐がまさに自分に襲いかかってくると見ています。
こうして、自身の怒りの想いとしての攻撃は自己防御であるとして知覚・認識されます。」

そして、

「この悪循環は、見方を変える気持ちになるまでますます悪化していきます。
気持ち(見方)を変えなければ、攻撃の思いと反撃の思いが自らおよび自らの全世界の人々の心を奪うことになります。」と・・・・。

しかし、

「あなたが恐れているものはすべて(本質的には本来)存在していないのです。」と伝えています。

これは、この奇跡のコースの根幹に流れるものなので、たとえば、エックハルト・トールさん関連の本を何回も読んでみる(一回読んだくらいではわかりにくい本です)とようやく頭の理解でなく腹に落ちるところかもしれません。

ここ数日のレッスンは、難しい部分があると思います。

けれど、これらのレッスンは非常に重要です。

たかだか1分×5回の今日のレッスンは数時間のセッションもしくはそれ以上に相当すると思います。

この意味はあなたがレッスン60を越えた頃に、「まさにそうだなったなぁ」と深く納得することになると思います。

さらっと流さず、レッスンの文章を何回も読み直して、今は完全に理解はできなくとも、また自分の心と対話してみるといいかと思います。

場合によっては、心が「こんなの認めない。受け入れたくない。」「私にはあてはまらない」と大アバレするかもしれませんが、それも含め、自らの心を見つめていくとレッスンの意味を掴めるかもしれません

レッスン23以降も、また深い深いレッスンが続きます。