☆翻訳者より☆
レッスン60が終わり、あなたがレッスンを始めてから、
ちょうど2ヵ月という時が経ちました。
時の経つのは本当に早いものです。
この2ヵ月はいかがでしたでしょうか?
レッスンを始める前の2ヵ月前の自分はどんな状態で、どんな風に日々を過ごしていたでしょうか?
レッスンを2ヵ月なんとかやってきた今の自分は、2ヵ月前と比較して、例えばささいな変化であっても何らかの変化が訪れていることに気づくかもしれません。(外的環境であれ、内的気分であれ、)
何らかの変化をすでに感じている方もいれば、なんかよくわからないとか、とりあえずレッスンをこなしているという方もいれば、レッスンを読むだけで練習そのものはやれていないままになってしまってる方もひょっとしたらいるかもしれません。
私たちは、ともすればいたずらに毎日を過ごして、3ヶ月や半年や一年、ただ時間だけが過ぎていくという日々も過ごすことも出来ます。
けれど、あなたは、2ヶ月間、毎日毎日一つのことを続けることが出来たのです。
それも、神や聖霊の導きを毎日受けて・・・。
なので必ず2ヵ月のレッスンの間で変化は確実に起こっています。
とりあえず、毎日のレッスンに言われる通り、その時間と回数をちゃんとやっていれば、確実に変化は起こっています。
もし仮に、何も変化が訪れていないと感じるなら、現れている変化に気がつけていないか、もしくはレッスンの取り組み方を少し見直してみるといいかもしれません。
さて、レッスン61ですが、これまでのレッスンから、また一つ次元が上がります。
私がおすすめしたいのは、レッスン60を機に、ゲイリー・レナード著 「神の使者」をもう一度読み返してみてくださいということです。
あらためて読み返すと、これまでの60のレッスンが何だったのか、また、レッスン61以降の個々のレッスンの意味も理解のレベルがずっと上がるかと思います。
逆に言うと、レッスン61以降は「神の使者」を何回も読み返している人と読んでいない人は同じようにレッスンをしていても歴然とした差が出てきます。
神の使者では、「宇宙は本当はない」だとか「時間は本当はない」だとか「パラレルワールド」だとか、訳のわからない意味もなんだかわからないという内容も出てきます。
読んでみたけど、自我の視点で「正しい(自我がわかると言ってる)」だの「間違ってる(自我がわからないと言ってる)」だのと自我の頭で「神の使者」を理解しようとしたり、「どこそこが矛盾している」「理屈に合わない」「つまらない」などとやってしまうと失敗します。
なぜなら、レッスンで繰り返されてきた通り、自我は偏った目でしか世界も自分も本当の現実も見れません。
レッスンは自我を意味のないものとして、自我で判断するのを手放し、全て聖霊の導きを受け入れていくという練習です。
自我が正しい判断ができるなら、その自我で誰もが幸せになっているはずです。けれど、現実はそうではありません。
レッスンで繰り返し強調されてきたのは、自我は過去からの狭い枠組で「怖れ」「不安」「充分でない」「完全でない」「(自我の思い描いた)思い通りでない」を目の前にただ投影するという癖しかありません。
「神の使者」でよくわからないなぁという部分があっても、自我であれこれ評価しようとするのではなく、(まだ真実を観るという力はないからわからないこともあるという前提で)「わからないなりに」それでも読み進めていくのがコツです。
しつこいようですが、「神の使者」を「わからないなり」に何回も読み返した人とそうでない人とは、毎日同じレッスンをしていてもレッスンの理解度や「レッスンから受け取れる恩恵」が天と地ほど違ってしまいます。
そしてまだ「神の使者」を買ったけど最後まで読了さえしていないという方は、そのままだとレッスンそのものが理解できずにレッスンから受け取れないまま終わってしまいますので、是非この機会に読み終えてしまってください。