師の言葉より・・・。
神とわたしたちの中間にいるのが聖霊。
聖霊って言われても、わたしには声なんか聞こえないし、イメージもできないし・・・と思う人の方が多いでしょう。
でも、本当は誰でも、聖霊が導いていることを知ることができます。
自我は絶対にそんなことできないとわたしたちに思わせようとしますが、それは声や音として聞こえるものでなく、感覚としてこっちだというものがわかってくるかもしれません。
ただ、そこは練習次第。
これまでわたしたちは何万回も自我の声を選択しつづけ、聖霊の声や導きを無視してきたのですから、それを超える勢いで、ひたすら聖霊の声を選択しつづけようとすることが大切です。
初めのうちは、大切な決定事項について聖霊に問いを発すると必ず自我やノイズが入ってしまうので、簡単なものから始めていくとよいでしょう。
たとえば、コンビニで飲み物を選ぶ際に問いを発してみる、お菓子コーナーに行って必要なものを訊いてみる、その日の服に関して問いを発してみるとよいでしょう。
いつもならこんな選択しないなと思うことがでてくるかもしれませんし、何度もくり返すうちに必ずわかります。
そうしていると、買い物で言えば、本当に必要なものだけ買うこととなり、気づけば、これまで埋め合わせで買っていたお菓子などを手にしなくなっているかもしれません。
(着物を着ている師の一例としては・・・。
出掛ける際に、いつもは柄の足袋を履くのに、その日は聖霊が白い足袋をと言ったので、わからないながらも従うことに。すると、その日にたまたま着る準備ができていた着物はいつもの無地ではなくて江戸小紋という柄物。だから、白足袋だったのねという話がありました。聖霊はお見通し笑。)
聖霊は、「この夢や幻想(神から離れているという錯覚)から目覚めたい」というあなたの思いにはいつも協力してくれます。
そして、発した問いに関しては、時間差はあったとしても、あなたが気づけなかったとしても、「神のもとへ還りたいというあなたの祈りをいつも聞いていますよ」ということを聖霊は必ずなにかの形で見せてくれます。
ただ、聖霊はあなたが本当に幸せになることだけにしか関心がないので、あなたの問いが自我という分離感や欠乏感からきているものであれば答えることはできません。
もし、問いを発したのに答えが返ってこないというときは、あなたが気づいていないだけではないか、あるいは自我の欠乏感からその問いを発していないかをふり返ってみてください。
そして、どんなに些細なことでも、信じていても信じていなくても、問いを発しつづけてみてください。
誰でも、聖霊の導きに気づくことができるのですから。