師の言葉より・・・。
なぜ、自我という幻想から目覚めるためには聖霊という存在が不可欠なのでしょうか。
自我の世界を例えて言うならば・・・
ハムスターのまわし車を想像してみてください。
あなたが自我の幻想に生きているときは、ハムスターのように、前に進みつづけていると信じながらくるくると終わりのないまわし車の上で永遠に走り続けているのです。
あなたのまわりの人も共に自我の幻想に生きているときは、両人ともに、終わりのないまわし車の上で追いかけっこをしながら走り続けているのです。
まわし車の上で走っているときは、ただただ一生懸命走っていて、自分が一歩も前に進んでいないとは全く気づきませんし、そこから降りることができません。
誰かにお願いして降ろしてもらわなければいけません。
自我の幻想の世界も同じなのです。
幻想という夢の世界から目覚めるには、自我だと見破り、その幻想から抜け出たいと願い、聖霊に幻想から目覚められるようにひとつひとつゆだねる必要があるのです。
自分の自我でやろうと思っても、この世界が本当だと信じているので無理なのです。
あなたが本当に神のもとへ戻りたい、自我の幻想から覚めたいと願えば、聖霊は必ずなにかの形で導きを与えてくれます。