2013年9月5日木曜日

本来の輝き

師の言葉より。

迷ったりわからなくなったときは、自然界を見てごらんなさい。

たとえば、京都の鴨川の桜。

桜は毎年あたりまえのように咲きほこり、私たちの目を楽しませてくれます。

桜は咲くということの喜びと、咲くことで自分の命を輝かせて誰かを喜ばせられるという喜びで満ちあふれています。

桜は、誰かの評価を気にしてとか、一生懸命努力して咲こうとか、今年は咲けるだろうか、いつ咲けるかなどとは気にしていないでしょう。

桜は春になれば確実に咲きます。

確実に咲くので、咲くかどうかの心配などできません。

これが自然の流れです。

そのため、私たち人間も同じと言えます。

私たちも、本来の魂は幸せや喜びに満ちあふれ、確実に幸せになるようにできています。

しかし、今生だけでなく、人類の歴史の中で繰り返されてきた争いなどにより、守らなければやられてしまうという恐れと不足感を基にした鋳型(自我のパターン)が無意識のうちに築かれ、今も持っている状態です。

本当は幸せになりたいと思うのに、創造してしまった鋳型(自我)を持ち続け、無意識のうちに使っています。

愛したいのに、なぜかストップをかけてしまったり・・・

親しくなりかけたのに、関係性を破壊してしまったり・・・

でも、そんな自我を見破ってその鋳型を選択しなくなったとき、何も心配することなく、あたりまえのように魂を輝かせ、あたりまえのように花を咲かせられるのです。

それが本来の姿なので、何かを無理やり一生懸命努力してというわけでもなく、誰かの評価を恐れて何かをするわけでもなく、桜の花のように自然と喜びに満ちた状態に戻れます。

その自我を解体し、選択しないようにする練習が奇跡のコースです。

私たちが自然の法則の一部となったときには、必要なときに必要なものが与えられ、不足や恐れがない現実を見ることができるでしょう。