レッスン121はさらに次元が上がっています。
この奇跡のコースが奇跡のコースたる由縁は、
神がどうだと言われても、自分で神を観て体験しなければ、
奇跡がこうだと言われても、自分で奇跡を観て体験しなければ、
宗教の限界は、
(宗教を否定しているのではありません。
奇跡のコースは、私たちに真実はこえだと伝えるだけでなく、
自分で観て、体験した真実は、
ただの既成事実を認めることに過ぎません。
私たちは、レッスンを通じて、
そして奇跡のコースが奇跡のコースたる由縁は、レッスンは必ず、
さて、レッスン121は『ゆるし』についてのレッスンです。
レッスン121も、あなたに対する『あなただけ』
『あなた』に対する『あなた』だけの、『あなた』
このレッスンをあなたに伝えてているJが、
今日のレッスンに10分という時間をとり、
あなたがムカつく、あるいはイラっとさせる、あるいは嫌いな、
自我は、ゆるしたくないと騒ぐかもしれません。
「自分が正しく、相手が間違っている」
「相手が変わるべきで、自分が変わる必要などない」
頭の中で、何回も何回も否定し、批判し責めたその人に、
私たちは、自分(=自我)で、嫌いな人をゆるすことなんてできません。
私たちの自我がゆるすのではなく、ゆるしの光を知覚させてくれるのは、あくまでも聖霊やJであり、ゆるしたくないという私たちの自我を越える(=自我を取り消す)力を彼らにお借りします。
レッスンは、自我を越えた真の世界と自分を観るためのものです。
レッスンに自我を持ち込むものではなく、
何があっても、今日のレッスンを朝と夜にやりきりましょう。
何度もお伝えしますが、レッスンはあなた1人でやる訳ではなく、
光は自分で作るものでもイメージするものでもありません。
聖霊、もしくはJに、光を知覚できるように頼み、力を借ります。
自我とはまさに牢獄で、
自我の干渉から逃れるために、レッスンをやる前に、
そして1日を通しての今日のトレーニングは、『
これについても、可能な限り、文章の内容を頭に入れて、
今日は(今日も)とてつもなく深く、
どうか今日のレッスンから受け取り尽くせるだけ受け取り尽くせま