師の言葉より・・・。
以前、『JIN-仁-』という人気ドラマがありました。
このドラマは、現代から幕末の日本にタイムスリップした脳外科医・南方仁が、過去の人間の運命を変えていることを自覚しつつも、人々を救う為、現代から持ち込んだ知識と幕末の人々の協力により、近代医療を実現していくというようなストーリーです。
『JIN-仁-』では、実は、私たちが持っている、「神」への間違った錯覚がいたるところに散りばめられています。
(このドラマをご存知ないとわからない話になってしまい、ごめんなさい。)
主人公のタイムトラベルそのものや、人々の生死などが神の責任(神の采配によるもの)とされ、私たちの運命は神の手の平の上で転がされ、神はよいことをすれば微笑むけれど、悪いことをすれば罰があたるというものが前提となっています。
このドラマで多くの人々が感動したということは、神へのこの概念を多くの人々が持っているということでしょう。
しかし、「神が罰をあてる」というのは、私たちの中の自我による善悪の基準をあてはめて投影しているだけです。
奇跡のコースでくり返し伝えられている通り、本当の本当は、神はこの自我の世界のことには一切関与していません。
私たちが見ているものは、すべて自我の投影です。
私たちがこの世界を見ながら考える必要があることは、常に、「自分は何を投影したのだろうか」ということです。
神に対して、「わかりません。でも、知りたいんです。」というところに立ったときには、聖霊も助けることができ、幻想から抜けられるでしょう。
一方、神に対して、「神とはこういうものだ。」と意識的であれ、無意識であれ、定義しているときには、自我による投影が入っていて幻想の中に留まることになるでしょう。
奇跡のコースを通し、神への投影を癒すことで、より真実を見られるような知覚を得ていけるのではないでしょうか。
特に、レッスン123以降、この『JIN-仁-』で描写されているような自我から定義づけている神を通り抜けられるかどうかがポイントとなってくるかもしれません。
神に感謝すると言われても、自我が神という概念になんらかの自我を投影してしまい、なんとなく反感を感じてしまったり、レッスンが分かりにくいと感じてしまうこともあるでしょう。
レッスン123の神に感謝するとは、自分自身の存在を自我からではなく肯定するということなのかもしれません。
以下に、JACIMという奇跡のコース学習支援サイトの記事を転載します。
〔レッスンに出てくる神というものを理解する一助として〕
http://lesson.spiritual-counseling.info/?p=460
〔レッスンに出てくる神について誤解しないために〕
http://lesson.spiritual-counseling.info/?p=471