2013年9月7日土曜日

Lesson20について

☆翻訳者より☆

毎日、これまでの自分の自我の見方をやめて、毎日ほんの数分、レッスンが提案する「新しい見方」で物事や自分の心を見るという訓練をしています。

レッスンは数分を1日何回かやる、ただそれだけなのに、何かしたくないなぁと思ったり、こんなことをやって本当に意味あるのかと思えたり、場合によっては何かわからないけれどレッスンに腹が立ってきたり、レッスンの意味がわからない、などいろんな感じ方を感じることがあるかもしれません。

レッスンの物の言い方が上からのような気がしてなんか気に入らない、もっと分かりやすい表現にしてくれたらいいのに、何も「あなたは~です」「あなたは~今はできません」って断定しなくても優しい言い方してくれたら受け入れ易いのに、なんて思う事もあるかもしれません。

レッスンでは、自分を今悩ませているこの悩みや問題や人と、他のことや人を同じように「区別することなく」に扱い、新しい見方を当てはめて練習しなさいって・・・・こっちは今大変で、この問題は、この事情は、この感情は「特別」であって、それと他のささいなことを「同じように扱え」っていうのは難しい、と思うこともあったかもしれません。

けれど、レッスンは神との一対一のレッスンで、神は私たちがレッスンをしているがゆえに一時的に自我が普段より暴れていろいろ感じるかもしれないことや、ふとやめたくなったり、時にサボりたくなったり、そういうこともすべて見通した上で、人間の思考の範疇を圧倒的に越えた広く深い次元でひとつひとつのレッスンが与えられています。

レッスン20は、今までのレッスンから、ちょっと次元が上がります。

30分に1回、「私は(何としても)観たい」ということを心に思い出させるというものです。

会社勤めや仕事をしていたら難しいことや、忘れてしまうこともあるでしょう。

つい忘れてしまったら、次は忘れないようにと、意識を30分毎にまた向けます。

例えば、スマホのタイマーを30分毎にハ゛イフ゛設定にするなどして鳴らすようにしたりして、タイマー鳴る毎にまた次の30分後に鳴る設定を繰り返すようにしたら、楽かもしれません。

すでに気付いているように、「見る」と「観る」は根本的に違い、レッスンの文中でも、ちゃんと2つを区別して表記されています。

レッスン20は、ただ30分に1回、「私は観たい」と心に言い聞かせ、心に思い出させるというものです。