2013年9月7日土曜日

Lesson19について

☆翻訳者より☆

究極の現実的に観る事ができた時、「私たちはいかなることにおいても一人ではない。」という事が体感としてわかる時が必ず訪れます。

私たち1人1人が考えることのすべて、私たち1人1人が言うことのすべて、私たち1人1人がすることのすべてが、たとえどんなささいなことであれ、宇宙全体に影響を与えます。

上記の事は、今はピンとこなくても大丈夫です。

自我というのは、私たちが過去のパターンに(幼少期から現在に至るまで蓄積した物事や人や自分自身への反応パターン)基づいた単なるプログラムです。(この過去のプログラムとは、今世だけでなく、記憶にもない前世や先祖たちのDNAの反応パターンを含みます)

そしてその単なるプログラムに過ぎないもの(=自我)を、性格だと呼んだり、また自分自身だと思い込んできました。

これは、例えば、スマホやパソコンにインストールされているアプリやプログラムを、スマホ自身、パソコンそのものだと思い込むことと同じくらいナンセンスなことです。

しかし、一般的にはこんなナンセンスなことがあたかも疑いのない本当であることのように思い込まれています。

自我は、私たちの魂の本質ではありえず、自我を自分だと思い込む限り、自分の本質を知ることなど絶対にできません。

スマホやパソコンは単なる例えに過ぎません。

私たちが、自我のパターンに従って、自分や他人や起こる出来事に対して、不安や不平不満や怒りとして反応した時、宇宙に不安や不平不満や怒りを投げ掛け、それは、ただ投げたものの波動に力を与えます。

時に、不安に思うことを現実化させ、不平不満をさらに引き寄せ、怒れることをさらに呼び寄せる事ができます。

もちろん、自我のパターンを越えた時には、祈りや愛が自分1人で経験することではなく、常に共に分かち合う事が当たり前の現実として経験し続けることになります。

この奇跡のコースのレッスンは、このプログラムそのものは、自我のパターンとして、「私たち自身の本質では全くない」と見抜き続けるためのトレーニングをしていきます。

自我のパターンを越えて、すなわち「私のやり方」「俺の物の考え方」という先入観や凝り固まった思考の枠や価値観を越えて、物事を観るという力が徐々についていくに従い、真実が観えてきます。
その時、今日のレッスン《私はひとりで、私の思い(が影響を与えた)結果を体験するのではありません。》が伝える本質がどれほど深いところから伝えられているかが必ずわかります。

けれども、今日は、1日3・4回、1分程度、ただ、自分の心の片隅に、今日のレッスンを残しておくだけで大丈夫です。

今日、レッスンを通して蒔いた小さな種は、いずれ見えないところで少しずつ成長し、やがて目に見える形となって花や実を咲かせることになることと思います。