2013年9月4日水曜日

奇跡のコースについて

奇跡のコースを始めたころ、師より以下のお話を伺いました。

奇跡のコースは、初めの1ヶ月が最もきつく感じます。

特に、レッスン30までというのは、自我の企みを徹底的に暴かれ、自我の企みを見せられるからです。

でも、仮にそこでやめてしまったとしても、一度奇跡のコースに出逢ったあなたは、この人生においても何かのタイミングで必ず数回は奇跡のコースに戻ることになりますし、他の人生(来世など)においても必ず戻ることになるでしょう。

今、奇跡のコースに出逢えたこと自体が、本当に本当に幸運なことなのです。

奇跡のコースと出逢わなければ、この先何百年も同じところから抜け出せなかったかもしれないのですから。

もっとも、奇跡のコース(A Course in Miracles)は、あくまでも方法のひとつであり、この方法でなくてもよいのですが。

自我そのものは、よくも悪くもなく、ただ自我なのです。

自我に対してよいとか悪いという対極(コインの表と裏)をつけることは、どちらも根本的には真実ではありません。

奇跡のコースを通して、まずは自我の企みを観察し、自我の動きを知った上で、自我に留まることも抜けることも、あなた自身が選択できるのです。

今は、自我が自動的に作動している状態なのです。

例えば、あなたが悲しいとか寂しいという自我の中にいるのなら、こんなところ(自我の幻想の世界)にいるのはもう嫌だと、何度も何度も聖霊にお願いして委ねるという選択肢もあるのです。

レッスンそのものは、指示や意味がわからないと思うこともあるでしょう。

しかし、指示(レッスンのやり方)はすべてレッスンの中に書かれているので、わからなければ10回でも20回でも読んで、読み取ろうとしてみなさい。

意味がわからなくても、それは、これまでのやり方(自我のやり方)ではないまったく知らないことを学んでいるので、当然なのです。

ただ、Jの言葉や意図することを掴みたいんだという思いやこんな自我の幻想の世界からは抜け出したいんだという強い思いは持ち続けなさい。

一つのレッスンには、非常に重要なポイントが短い言葉の中に凝縮されていて、本当に美しく、素晴らしいのです。

今はわからなくても、365のレッスンを終え、レッスン1を読んだ時には、きっとその深さが伝わってくるでしょう。