2014年1月29日水曜日

Lesson 161 について

☆翻訳者からのメッセージ☆

今日のレッスン161はキリストが強く打ち出されているレッスンで、人によっては奇跡のコースのこの「キリスト」がなんとも受け入れ難かったり、しっくりこない感覚を持ってしまう人もいるかと思います。

もちろん、この奇跡のコースはキリスト教とはなんの関係もなく、いわゆる宗教的な偶像崇拝とは真逆のアプローチで、外側に答えや真実を探すのではなく、私たちが自分自身の中に真実を見つける(厳密に言うと「思い出す」)ただのトレーニングです。

今日のレッスンもキリストでなく、「神と人間を媒介し繋ぐ何らかの神聖なる存在」という方が理解しやすければそれでもいいのかもしれません。

ただ、「私たちが自分と世界の真実に目覚めること」がレッスンの目的ならば、キリストというイメージに対して、プラスであれマイナスであれごく個人的なイメージからキリストについて判断することよりも、ただこのレッスンから受けとれるものを受け取り尽くそうという事が何より大切なのではないかと思います。

レッスンをしばらく離れて今日のレッスンをする場合には、今日のレッスンは気持ちを切り替え、「やりきろう」という覚悟みたいなものが必要かもしれません。

今はレッスン161ですが、レッスン365まであと200あまり。

つまり、今年中にレッスン365まで確実に終わります。

私がお伝えできることは、1日1日のひとつひとつのレッスンをとにかくできる範囲で着実にやりきろうとする毎日の積み重ねで、レッスン365までやりきったなら、今年一年で変革する何かとはとてつもないものであるということです。

すでに充分な手応えを感じている方もいるでしょうし、やはり何だかわからないという方もいることでしょう。

確かな手応えとは、一回一回のレッスンをやりきろうとする中で、ふとある時にその変革の兆しが、聖霊の気配が、突如として感じられ始めることなどが起こります。

ただ、それは、毎日の目の前の人間関係や出来事にことごとく「赦し」を実践していくことは不可欠かもしれません。

今日のレッスンも、自我の見方はとりあえず横において、「奇跡のコース的な赦し(http://lesson.spiritual-counseling.info/?p=453)」の概念で目の前の人を観るというひとつのトレーニングの形です。

それぞれのレッスンが伝えている事は365通り違うように見えて、「たったひとつの事」を365の形で伝えていて、しかし、その日のそのレッスンにこそシンクロできる何かがある事は確かです。

もちろん、今日のレッスン161も、今日の私たち一人ひとりの中にある無意識の扉を開けるひとつの鍵だと思います。