2014年1月28日火曜日

Lesson 160 について

☆翻訳者からのメッセージ☆

この半年近く、私たちはこの奇跡のコースのレッスンをやってきました。

人によっては、自我の抵抗にあって、レッスンをわかりずらいと感じたり、レッスンそのものがこんなことをやっても意味がないように思えたり、レッスンをやめたいと思ったことも幾度となくあったのではないかと思います。

実際、奇跡のコースを学ぶ過程で、レッスン160くらいまでがリアルレッスンを含め混乱するプロセスを伴い、それ以降からがやっと少しずつ視界が開けてレッスンが楽しくなるプロセスを辿る人が多いようです。

それでも半年近くをレッスンに費やしてレッスン160まできました。

そして、これ以降のレッスンは、喜びに満ちたものだと本当に体感することが増していくでしょうし、人生の様々な場面で奇跡(もちろん、奇跡のコース的な「奇跡」の意味で)を目撃することになるでしょう。

皆さん一人一人の日々のレッスンへの疑問や葛藤や疑いをもちろんすべて覚悟しながら、毎日ひたすら送信ボタンを押してきました。

(↑ブログ作成者は、師=翻訳者より、毎日メールでレッスンを送っていただいており、それを転載しています。)

しかし、私は確信しています。

途中、まるで山や谷があるように思えたり、蕀の道を歩いているように思えても、最後にはそんなものさえなかったと気づく時が来ることを。

その時、私たちは必ず奇跡が当たり前であることを確認しあい、そもそも約束されていたものの本当の価値を思いだし、それを分かち合う時が来るということを。

問題だと思っていたものがそもそも問題でさえなかった事がわかり、何かが足りないとか何かが叶わないと思っていたことそのものがそこにないものを見ていたことを知り、ただ人生が安らぎと喜び以外のものがありえないということを体感することを。

もうすでにいま手にしている奇跡を、「ああそういえばすでにあのときに手にしていたんだね」と笑う時が来ることを。