2013年10月7日月曜日

投影

師の言葉より・・・。

わたしたちは、怒り、悲しみ、寂しさ、不安などなど、本来存在しないものをあると思いこみ、翻弄されます。

でも、目の前に起こる現実、あなたの感情を揺さぶる人物は、常にゆるしの機会です。

あなたの心の中に存在する原因がスクリーンに結果として映し出されただけであり、目の前の人物はあなたの内側にあるものを演じてくれている単なるキャストなのです。

ですから、スクリーンを消し去ってしまえば、あたかも本当に存在するように思えるものは消えます。

つまり、ありもしないものを見て真実だと思いこんでいる(自我の投影)ため取り消してほしいと聖霊にゆだねること、これこそがゆるしです。

自我の視点から考えれば、ゆるしを行った結果として(見返りとして)、状況や相手が変わるのが当然、変わってほしいと思うかもしれません。

しかし、奇跡のコースで行うゆるしはそれとは真逆のものです。

状況や相手が変わることを期待することは、「こうであったらわたしは幸せ」と考えることであり、相手や状況をコントロールできる、コントロールしたいと考えていることになります。

でも、奇跡のコースでは、わたしたちは神の子であり、わたしたちの幸せはそもそも周りの環境や人物によって左右されるものではない、なにかによって傷つけられうる存在ではないということがくり返し伝えられています。

自我の求める結果ではないかもしれませんが、目の前の現実は自我の投影だと見抜いてゆるしの実践が進むと、相手や状況は変わらなくても、その変わらない相手や状況に脅えることや怖れることなく相手を見ることができ、自分の内側が変わることで見える現実がこれまでと違うものとして見えてくるでしょう。

自我は非常に狡猾で巧みです。

自我は、あなたの内側にある怒りなどの理由をいつもいつも探しつづけ、怒りが正当化される理由を見つけてはあなたの外側に投影しつづけ、怒れる現実というものをあなたに見せ続けます。

あなたは自我を選びますか、それとも、聖霊の声を選びますか。

どれだけ怒れたりやりきれない現実が目の前にやってきても、自我へは行かないという強い決意とともに聖霊にゆだねつづければ、必ずその投影は解除されるでしょう。

Lesson68について

レッスン68はまさしく「神の使者」の〔5章 エゴの計画〕P204~に詳しく書かれており、レッスンとしてとても深いものです。

このレッスンを、本当に深く受け取り尽くしたならば、それだけで人生を根本的に変えてしまうほどのパワーを持っているレッスンです。

もちろん、レッスン68の内容は自我(エゴ)的には、とても受け入れ難く、自我にとっては都合悪いため、自我が大きく抵抗する可能性もあります。

けれども、自我は私たちの本質そのものではなく、あたかも自我が私たちたちであると錯覚させている幻想に過ぎないことをこれまでのレッスンで学んできました。

レッスン68は、自我のやりたいようにさせるのか、それとも自我というフィルターを外して、物事や人を観るのか、それを選択するトレーニングでもあります。

レッスン68をやる1日の中でも、レッスン68の新しい見方を試されるリアルレッスンが来るかもしれません。

その時、自我ではない新しい見方の選択を選び続けるチャンスがあります。

どうかこのレッスンを受け取り尽くせますように。

Lesson 68

愛は不平不満をいだきません。
Love holds no grievances.

愛によって(本来)愛(=天意=あい)そのもののとして創造されたあなた(の本質)は不平不満をいだくことは(そもそも)できず、あなたの「(本質的な)自己」とは真に何であるかを(本当は)知っています。
You who were created by love like itself can hold no grievances and know your Self.
不平不満をいだくということは(本質的な)自分が誰であるかを忘れることです。
To hold a grievance is to forget who you are.
不平不満をいだくことは、あなた自身を(スピリットという本質的なものではなく)肉体(という、あなたのスピリットという本質の単なる入れ物を自分自身)として見ることです。
To hold a grievance is to see yourself as a body.
不平不満をいだくことは自我にあなたの心を支配させ、*肉体に有罪判決を下して死に至らせることです。
To hold a grievance is to let the ego rule your mind and to condemn the body to death.
おそらく、あなたは不平不満をいだくことが、あなたの心にどのような結果をもたらすかに関してまだ充分には気づいていないかもしれません。
Perhaps you do not yet fully realize just what holding grievances does to your mind.
不平不満をいだくことは、あなたをあなたの「源」から引き裂き、あなたを「神」とは似ていないものに(自我の錯覚は)見てしまいます。
It seems to split you off from your Source and make you unlike Him.
不平不満をいだくことは、あなたの源は、今あなた(の自我)が自分自身だと思っているのと、同じような存在であると思い込むようになります。というのは、自分の「創造主」が自分自身と同じようなものではないと考えることは誰にもできないからです。
It makes you believe that He is like what you think you have become, for no one can conceive of his Creator as unlike himself.

*翻訳者註:肉体はそもそも、本来スピリットとしてのあなたがこの三次元的幻想世界を体験するための仮の姿・仮の宿にすぎないのに、それを肉体をあたかも自分自身だと錯覚すれば、死は自分自身の命の終わりを意味し、死を怖れるという自我の幻想の罠に嵌まるということ。

自らの「創造主」との類似性をまだ自覚しているあなたの「(真の)自己」から締め出されているあなたの「(自我に覆われた偽りの)自己」は、(まるで)眠っているように見えます。一方で、眠っている間に幻想の糸をつむぐあなたの(自我の)マインドの部分は目覚めているように見えます(=錯覚します)。
Shut off from your Self, which remains aware of Its likeness to Its Creator, your Self seems to sleep, while the part of your mind that weaves illusions in its sleep appears to be awake.
こうしたことのすべてが不平不満をいだくことから生じるということがあり得るのでしょうか。
Can all this arise from holding grievances?
そう、まさしく絶対にそうあり得るのです。
Oh, yes!
不平不満をいだく人は自分が愛(=天意)によって創造されたことを否定し、自分の「創造主」は彼の憎しみの夢の中で、自分にとって恐ろしいものになってしまっているのです。
For he who holds grievances denies he was created by love, and his Creator has become fearful to him in his dream of hate.
憎しみの夢を見て、「神」を恐れない人などいません。
Who can dream of hatred and not fear God?

「神」が彼らを「神自身」と同じものとして創造し、彼らを「神」の一部として定義したのと同じくらい確実に、不平不満をいだく人々は「神」を自分自身の(自我の勝手な)イメージで再定義するでしょう。
It is as sure that those who hold grievances will redefine God in their own image, as it is certain that God created them like Himself, and defined them as part of Him.
ゆるす人たちが安らぎを発見するのと同じくらいの確実さで、不満不満をいだく人たちは罪の意識に苦しむでしょう。
It is as sure that those who hold grievances will suffer guilt, as it is certain that those who forgive will find peace.
ゆるす人たちが、自分が誰であるかを思い出すのが確かなように、不平不満をいだく人たちは自分が誰であるかを忘れるのは確実でしょう。
It is as sure that those who hold grievances will forget who they are, as it is certain that those who forgive will remember.

こうしたことのすべてが事実であると信じるならば、あなたは喜んで不平不満を捨てる気持ちになるのではないでしょうか。
Would you not be willing to relinquish your grievances if you believed all this were so?
おそらく、あなたは「不平不満を手放すことなどできない」と思っているかもしれません。
Perhaps you do not think you can let your grievances go.
しかし、それは単にやる気があるかどうかの問題です。
That, however, is simply a matter of motivation.
今日、私たちは「不平不満から自由である時あなたがどのように感じるか」を見つけ出す試みをしてみたいと思います。
Today we will try to find out how you would feel without them.
もしあなたがほんの少しでも成功すれば、もう二度とやる気があるかどうかが問題になることはなくなるでしょう。
If you succeed even by ever so little, there will never be a problem in motivation ever again.

最も根深い不平不満を抱いている人、とあなたが思っている人たちに関して、あなたの心を探すことから、今日の長めの練習を始めます。
Begin today's extended practice period by searching your mind for those against whom you hold what you regard as major grievances.
あなたがそのような不平不満を持つ相手を何人か見つけ出すことは簡単でしょう。
Some of these will be quite easy to find.
それから、あなたが好きな人たち、愛しているとさえ思っている人たちに対して抱いている、一見たいしたことではない不平不満について考えてみてください。
Then think of the seemingly minor grievances you hold against those you like and even think you love.
あなたが何らかの不平不満を抱いていない人は一人もいないということがすぐに明らかになるでしょう。
It will quickly become apparent that there is no one against whom you do not cherish grievances of some sort.
あなた自身についてのあなたの知覚において、この宇宙全体の中であなたは孤独(=ひとりぼっち)だと感じていた理由はこれなのです。
This has left you alone in all the universe in your perception of yourself.

今、これらの人々はすべてあなたの友人であると見る決意をしてください。
Determine now to see all these people as friends.
彼らのすべてに向かって、一人一人のことをかわるがわる思いながら、次のように言ってください。
Say to them all, thinking of each one in turn as you do so:

        私はあなたを友達と見なします。
        I would see you as my friend,
        そうすることによって、あなたは私の一部であることを思い出し、
        それによって私自身を知ることになるでしょう。
        that I may remember you are part of me and come to know myself.

練習の残りを、すべての人、すべてのものとあなた自身が完全に安らかな関係にあり、あなたを守りあなたを愛している世界の中で、そして、あなたもまたそれに応じて愛することができている世界の中で安全であると感じているということを想像して過ごしてみてください。
Spend the remainder of the practice period trying to think of yourself as completely at peace with everyone and everything, safe in a world that protects you and loves you, and that you love in return.
安全性があなたを包み込み、あなたを見守り、あなたを支えてくれていることを関してみてください。
Try to feel safety surrounding you, hovering over you and holding you up.
ほんの瞬間一瞬でも良いですから、いかなるものもいかなる形でもあなたを傷つけるものなど何もないことを信じてみてください。
Try to believe, however briefly, that nothing can harm you in any way.
練習の終わりに自分自身に向かって次のように言ってください。
At the end of the practice period tell yourself:

        愛はいかなる不平不満も抱きません。
        Love holds no grievances.
        私がすべての不平不満を手放すとき、私が完全に安全であることを私は知るでしょう。
        When I let all my grievances go I will know I am perfectly safe.

短めの練習は、今日の見方を以下の形ですばやく適用してください。誰に対してであれ、何らかの不平不満を抱いたときにはいつでも、その人があなたの目の前にいようといまいと、次のように今日の見方を当てはめます。
The short practice periods should include a quick application of today's idea in this form, whenever any thought of grievance arises against anyone, physically present or not:

        愛はいかなる不平不満も抱きません。
        Love holds no grievances.
        私が私の(真の)「自己」に欺くことのないようにしてください。
        Let me not betray my Self.

これに加えて、一時間に6~7回、今日の見方を次の形で繰り返し言ってください。
In addition, repeat the idea several times an hour in this form:

        愛は不平不満をいだきません。
        Love holds no grievances.
        私は、私の不平不満をすべて放棄し、愛(=天意=あい)の存在の中で目覚めることに
        よって、私の「(真の)自己」に目覚めます。       
        I would wake to my Self by laying all my grievances aside and wakening in Him.

Lesson 67

愛は私を愛と同じもののように創造しました。
Love created me like itself.

今日の新しい見方はなたが何であるかについての完璧にして正確な宣言です。
Today's idea is a complete and accurate statement of what you are.
これが、あなたがこの世の光である理由です。
This is why you are the light of the world.
これが、「神」があなたを世界の救い主として任命した理由です。
This is why God appointed you as the world's savior.
これが、「神の子」が自らの救いを求めてあなたに頼る理由です。
This is why the Son of God looks to you for his salvation.
「神の子」はあなたが誰であるか、その本質によって救われます。
He is saved by what you are.
今日私たちは、あなたについてのこの真実に到達し、ほんの一瞬でもそれが真実であることを実感するためにあらゆる努力を払います。
We will make every effort today to reach this truth about you, and to realize fully, if only for a moment, that it is the truth.

長めの練習で、私たちはあなたの実在性について考え、そのまったく変わっていない、変更不可能な性質について考えます。
In the longer practice period, we will think about your reality and its wholly unchanged and unchangeable nature.
あなたについてのこの真実を繰り返して言うことによって開始し、それから、数分を費やしていくつかの関連した思いを付け加えます。たとえば、次のような思いです。
We will begin by repeating this truth about you, and then spend a few minutes adding some relevant thoughts, such as:

        神聖性は私を神聖なものとして創造しました。
        Holiness created me holy.
        親切は私を親切なものとして創造しました。
        Kindness created me kind. 
        有用性は私を有用なものとして創造しました。
        Helpfulness created me helpful. 
        完全性は私を完全なものとして創造しました。
        Perfection created me perfect.

「神」が「自身」を定義されるものと一致している属性であれば、どのような属性でも使うのに適切です。
Any attribute which is in accord with God as He defines Himself is appropriate for use.
私たちは今日、「神」についてのあなたの定義を解除し、それを「神自身」の定義と交換するように努めます。
We are trying today to undo your definition of God and replace it with His Own.
また、あなたは、「神自身」についての「神」の定義の一部であることも強調することに努めます。
We are also trying to emphasize that you are part of His definition of Himself.

そのような関連した思いをいくつか検討した後で、すべての思いが消えてなくなるのに任せ、それから、あなた自身についてのあなたのイメージや先入観念のすべてを通り越して、あなたの中にある真実にたどり着くように努めてみてください。
After you have gone over several such related thoughts, try to let all thoughts drop away for a brief preparatory interval, and then try to reach past all your images and preconceptions about yourself to the truth in you.
もしも愛があなたを愛と同じもののように創造したとすれば、この「自己」はあなたの中にいるに違いありません。
If love created you like itself, this Self must be in you.
そして、この「自己」はあなたのマインドの中のどこかにいて、あとはあなたがそれを発見するだけなのです。
And somewhere in your mind It is there for you to find.

今日の新しい見方《愛は私を愛と同じもののように創造しました。》を、注意力をそらせるような思いと取り換えるために時々繰り返して言うことが必要かもしれません。
You may find it necessary to repeat the idea for today from time to time to replace distracting thoughts.
また、それだけでは十分ではなく、あなた自身についての真実と関連する他の思いを、継続して付け加えることが必要であるということも体験するかもしれません。
You may also find that this is not sufficient, and that you need to continue adding other thoughts related to the truth about yourself.
しかし、おそらくはそれも通過することに成功し、何も思わない休止期間を経て、燃え盛るような光を自覚するに至るでしょう。あなたは、この燃え盛る光の中に愛が創造した自分自身を認めるでしょう。
Yet perhaps you will succeed in going past that, and through the interval of thoughtlessness to the awareness of a blazing light in which you recognize yourself as love created you.
あなたが成功したと感じようと感じまいと、今日は、その自覚を自分の近くに引き寄せるために多くのことを達成することになることに自信を持ってください。
Be confident that you will do much today to bring that awareness nearer, whether you feel you have succeeded or not.

今日の新しい見方《愛は私を愛と同じもののように創造しました。》をできるだけ頻繁に練習することが今日は特に役に立つでしょう。
It will be particularly helpful today to practice the idea for the day as often as you can.
あなたはあなた自身についての真実をできるだけ頻繁に聞く必要があります。
なぜなら、あなたのマインドは誤ったセルフイメージにとらわれているからです。
You need to hear the truth about yourself as frequently as possible, because your mind is so preoccupied with false self-images.
1時間に4回か5回、あるいはそれよりも多い回数でも良いかもしれませんが、「愛があなたを愛と同じもののように創造した」ということを自分に思い出させることはもっとも大きな恩恵をもたらしてくれるでしょう。
Four or five times an hour, and perhaps even more, it would be most beneficial to remind yourself that love created you like itself.
この言葉の中にあなた自身についての真実を聞いてください。
Hear the truth about yourself in this.

短めの練習では、このことをあなたに告げているのは、あなたのか細い単独の声ではないということに気づくように努めてください。
Try to realize in the shorter practice periods that this is not your tiny, solitary voice that tells you this.
これは「神を代弁する声」であり、あなたにあなたの「父なる神」とあなたの「(自我ではない真実の)自己」について思い出させているのです。
This is the Voice for God, reminding you of your Father and of your Self.
これは真実の「声」であり、あなた自身について自我(=エゴ)が語るすべてのものを、「神の子」についての単純な真実で取って代わらせているのです。
This is the Voice of truth, replacing everything that the ego tells you about yourself with the simple truth about the Son of God.
あなたは愛によって愛と同じもののように創造されたのです。
You were created by love like itself.

ゆるしへの認識

師の言葉より・・・。

奇跡のコースが進んでも、自然に目の前の状況や内面的なものが変わるわけではありません。

むしろ、自我の視点から見れば、嫌だな、困ったなと思うことも増えることもあるでしょう。

わたしたちは、この奇跡のコースを通して、「ゆるし」を習慣とするトレーニングを行っています。

日々のレッスンでももちろん学んではいますが、ゆるしそのものは、目の前に起こる日常の様々なできごとを題材として、わたしたち自身が意識的に「自我を選択しない」という決意とともに実践していく必要があります。

ひとつひとつのゆるしに関しては、レッスンそのものがやってくれるわけではありません。

起こる出来事、それに伴う感情に対し、自我を放棄する決意をし、「ありもしないものを見ているため(知覚の錯覚)、取り消してください」と聖霊に何度も何度もくり返しゆだねます。

地道な作業ですが、ただひたすらくり返しゆだね続けることが必要です。

諦めずにゆだねきったとき、そこには静けさややすらぎが訪れるでしょう。

また、状況は変わらないけれども、あなたの側が苦に感じなくなるということも起こるでしょう。

「神の使者」の中の3人の会話でも、ゲイリーがアーテンやパーサから、よくゆるしを実践したねとほめられるシーンが何度かありますが、奇跡のコースを学習したからといって自動的にゆるしが起こるわけでもなく、怒りなどの感情も当然起こりますが、それを解除していく意志と実践の回数が肝となります。

「ゆるし」はずっとずっと習慣としてつづけていく必要があるものとなりますが、習慣としてあなたになじんでいったときには、ゆるしの機会があることは苦痛ではなく喜びだと認識するようになるでしょう。

Lesson 66

私の幸せと私の役目は一つのものです。
My happiness and my function are one.

最近のレッスンではずっと、私たちがあなたの役目を果たすことと幸せを達成することのつながりを強調していることに、あなたもきっと気づいていることでしょう。
You have surely noticed an emphasis throughout our recent lessons on the connection between fulfilling your function and achieving happiness.
こうしている理由は、あなたにはこのつながりが実際に見えていないからです。
This is because you do not really see the connection.
しかし、この両者には単なるつながり以上のものがあります。それらは同じなのです。
Yet there is more than just a connection between them; they are the same.
それらの形は異なりますが、中身は完璧に一つなのです。
Their forms are different, but their content is completely one.

エゴは、あなたの役目が何であるかという根本的な問題に関して、「聖霊」と絶えず戦っています。
The ego does constant battle with the Holy Spirit on the fundamental question of what your function is.
したがって、エゴはあなたの幸せとは何であるかについても絶えず戦っているのです。
So does it do constant battle with the Holy Spirit about what your happiness is.
それは双方向性の戦いではありません。
It is not a two-way battle.
エゴは攻撃し、「聖霊」は何の反応もしません。
The ego attacks and the Holy Spirit does not respond.
「聖霊」はあなたの役目が何であるかを知っています。
He knows what your function is.
「聖霊」はあなたの役目とはあなたの幸せであるということを知っているのです。 
He knows that it is your happiness.

今日、私たちはこのまったく意味のない戦いをやり過ごして通過して、あなたの役目についての真実にたどり着きます。
Today we will try to go past this wholly meaningless battle and arrive at the truth about your function.
あなたの役目が何であるかについての分別を欠いた(自我の)議論にかかわることはしません。
We will not engage in senseless arguments about what it is.
幸せを(あてにならない自我の幻想から「こうだ」と)定義してそれを達成するための手段を決定することにかかわって絶望を味わうことはしません。
We will not become hopelessly involved in defining happiness and determining the means for achieving it.
エゴが真実を攻撃することに耳を傾けることによってエゴを甘やかすことはしません。
We will not indulge the ego by listening to its attacks on truth.
真実が何であるかを発見することができることにただ喜びを感じるだけです。
We will merely be glad that we can find out what truth is.

今日の長めの練習の目的は、「神」があなたに与えた役目とあなたの幸せの間には非常に実在的なつながりがあるだけでなく、それらは現実にはまったく同じであるという事実をあなたが受け容れることにあります。
Our longer practice period today has as its purpose your acceptance of the fact that not only is there a very real connection between the function God gave you and your happiness, but that they are actually identical.
「神」はあなたに幸せだけを与えます。したがって、「神」があなたに与えた役目は、たとえそれとは違っているように見えたとしても、幸せであるに違いありません。
God gives you only happiness. Therefore, the function He gave you must be happiness, even if it appears to be different.
今日の練習は目に見えるのこれらの違いを超越して、あなたの役目が真に存在する場所に共通の内容を認識しようとする試みです。
Today's exercises are an attempt to go beyond these differences in appearance, and recognize a common content where it exists in truth.

以下の見方を復習することによって、10分から15分の練習をしてください。
Begin the ten-to-fifteen-minute practice period by reviewing these thoughts:

        神は私に幸せだけを与えます。
        God gives me only happiness.
        神は私に私の役目を与えてくれました。
        He has given my function to me. 
        したがって、私の役目は幸せであるに違いありません。
        Therefore my function must be happiness.

あなたにはこの結論をまだ受け容れられないとしても、この一連の流れの中に論理を見るように努めてください。
Try to see the logic in this sequence, even if you do not yet accept the conclusion.
最初の二つの思いが誤っていてはじめて、結論が間違っている可能性があります。
It is only if the first two thoughts are wrong that the conclusion could be false.
そういうわけですから、練習をしながら、前提についてしばらくの間考えてみることにしましょう。 
Let us, then, think about the premises for a while, as we are practicing.

第一の前提は、「神」はあなたに幸せだけを与えるということです。
The first premise is that God gives you only happiness.

もちろん、これは間違っている可能性はあります。
しかし、それが間違っているためには、「神」を「神」でない何かとして定義することが必要です。
This could be false, of course, but in order to be false it is necessary to define God as something He is not.
愛そのものには悪を与えることはできません。そして、幸せでないものは邪悪です。
Love cannot give evil, and what is not happiness is evil.
「神」は「自分」が持ってないものを与えることはできず、「自分でないもの」を持つことはできません。
God cannot give what He does not have, and He cannot have what He is not.
「神」があなたに幸せだけを与えられるのでなければ、「神」は邪悪であるに違いありません。
Unless God gives you only happiness, He must be evil.
あなたが第一の前提を受け容れないとすれば、あなたは「神」についてのこの定義を信じていることになります。
And it is this definition of Him you are believing if you do not accept the first premise.

第二の前提は、「神」はあなたにあなたの役目を与えたということです。
The second premise is that God has given you your function.
私たちは、あなたのマインドには二つの部分しかないことを見てきました。
We have seen that there are only two parts of your mind.
一つの部分はエゴによって支配され、幻想によって構成されています。
One is ruled by the ego, and is made up of illusions.
もう一つの部分は「聖霊」の家であり、そこには真実が住んでいます。
The other is the home of the Holy Spirit, where truth abides.
これらのガイド以外に選ぶことはできず、あなたの選択の結果は、エゴが常に生み出す怖れか、「聖霊」が怖れと取り換えるために常に差し出す愛以外にはあり得ません。
There are no other guides but these to choose between, and no other outcomes possible as a result of your choice but the fear that the ego always engenders, and the love that the Holy Spirit always offers to replace it.

かくして、あなたの役目は「神の声」を通して「神」によって確立されているか、それとも、あなたが「神」と取り換えるために作ったエゴによって作られているかのどちらかということになります。
Thus, it must be that your function is established by God through His Voice, or is made by the ego which you have made to replace Him.
どちらが真実でしょうか。
Which is true?
「神」があなたにあなたの機能を与えてくださったのでなければ、あなたの機能はエゴの贈り物であるに違いありません。
Unless God gave your function to you, it must be the gift of the ego.
それ自体が幻想であり、贈り物についての幻想だけを差し出しているエゴが、実際に与えるべき贈り物をもっているでしょうか。
Does the ego really have gifts to give, being itself an illusion and offering only the illusion of gifts?

今日の長めの練習の中でこれについて考えてみてください。
Think about this during the longer practice period today.
また、あなたの役目についての幻想が、あなたのマインドの中でとった数多くの形についても考えてください。そして、エゴの導きの下であなたが救いを求めようとして試みた、数多くの方法について考えてください。
Think also about the many forms the illusion of your function has taken in your mind, and the many ways in which you tried to find salvation under the ego's guidance.
あなたはそれを発見しましたか。
Did you find it?
あなたは幸せでしたか。
Were you happy?
それらの方法はあなたに安らぎをもたらしましたか。
Did they bring you peace?
今日、私たちにはかなりの正直さが必要です。
We need great honesty today.
それらの結果を公正に思い出してください。そして、エゴがこれまでに提案したことから幸せを期待することが妥当であることが、一度でもあったかどうかについても考察してみてください。
Remember the outcomes fairly, and consider also whether it was ever reasonable to expect happiness from anything the ego ever proposed.
しかし、エゴは「聖霊の声」以外の唯一の選択肢なのです。
Yet the ego is the only alternative to the Holy Spirit's Voice.

あなたは狂気に耳を傾けるか、真実を聞くかのどちらかです。
You will listen to madness or hear the truth.
私たちの結論が依拠する前提について考えるとき、この選択をするようにしてみてください。
Try to make this choice as you think about the premises on which our conclusion rests.
私たちはこの結論を共有できますが、それ以外の結論は共有できません。
We can share in this conclusion, but in no other.
というのは、「神自身」がこの結論を共有しているからです。
For God Himself shares it with us.
今日の見方は、同じものを同じものとして知覚し、異なるものを異なるものとして知覚することに向かうさらなる大きな一歩です。
Today's idea is another giant stride in the perception of the same as the same, and the different as different.
一方の側に幻想のすべてがあります。
On one side stand all illusions.
もう一方の側にすべての真実があります。
All truth stands on the other.
今日は、真実だけが真実であるということを実感するように努めることにしましょう。
Let us try today to realize that only the truth is true.

短めの練習の中で、今日は一時間に2回行うともっとも役に立ちますが、以下の適用の形を提案します。
In the shorter practice periods, which would be most helpful today if undertaken twice an hour, this form of the application is suggested:

        私の幸せと役目は一つのものです。なぜなら、どちらとも「神」が私に与えたからです。
        My happiness and function are one, because God has given me both.

これらの言葉をゆっくりと繰り返します。繰り返しながらそれらの言葉について少し考えますが、それに1分以上かかることはなく、おそらくは、それよりも少ない時間でできるでしょう。
It will not take more than a minute, and probably less, to repeat these words slowly and think about them a little while as you say them.

2013年10月5日土曜日

神にあわせる

師の言葉より・・・。

レッスンそのものはたった1分~15分程度のもので、1日の中の時間にすればさほど多くの時間ではありません。

しかし、わたしたちは、仕事や家事、子育て、人との付き合いなどなど、日常の多くのことで頭がいっぱいで、レッスンが面倒くさいとかその時間をなかなか捻出できないと感じるかもしれません。

さらに、毎日決まった時間や時間指定のレッスンというのは、無理だと思うことも多々あるかもしれません。

しかし、他のことを押しのけてもレッスンの時間を捻出するということは、Jのために、神のために時間を空けることになります。

時間をつくりだせるかは、どれだけ強くなにをおいても観たいと思っているかというあなたの意志次第なのです。

これまでの人生において、あなたは自我の考えること、自我でやりたいこと、自我からやらなければならないと思っていることを優先させてきましたが、うまくいったでしょうか。

奇跡のコースに出逢った今、これまでやってきてうまくいかなかったパターンをまずは手放してみて、レッスンを通して神のために時間を空けること、やってみる価値はあるでしょう。

「神の都合に合わせる」こと。

これは奇跡のコースだけでなく、たとえば、神道の例大祭などでも同じことが言えます。

一般的な人々の都合に合わせれば、仕事のことを考えてみても、土日に執り行うのが合理的だと考えられます。

しかし、実際には、多くの場合、予め決められた日時で、平日も休日も関係なく行われます。

自我からすれば合理的でないと考えられますが、神の視点から見ればここでも、あなたはなにをおいても神に合わせる(自我を放棄する)覚悟がありますか・・・、と問いかけられているのではないでしょうか。

あなたは自我を保ち続けたいですか、それとも、なにをおいても観たいでしょうか。

なにをおいても観たいのなら、なによりもJの言葉を最優先させるのが最短なのです。