Lesson99について
☆翻訳者より☆
レッスン99は、いつにも増して、
レッスンの文章を繰り返し読み返さないと、その意味がわからない内容です。
「神の使者」ゲイリー・レナード著を読んでいると、レッスン99の意味がより深くわかりやすいかもしれません。
もしまだ「神の使者」を読んでいない場合は、なかなか理解しにくいかもしれないので、レッスンの文章を何度も何度も繰り返し読み返していただけたらと思います。
レッスンの実際においては、5分毎に《救いがここでの私の唯一の役割です。救いとゆるしは同じです。》を思い出すという、ハードなものです。
要は1日を通して、四六時中、このことを思い出すというトレーニングです。
ただ、この言葉を思い出すだけでなく、この言葉の意味を理解した上で思い出すという事が大切です。
逆に言えば、自我は四六時中、私たちの心を乗っ取っているので、その自我から見て考えてしまう私たちの思考と感情の癖を、レッスンの言葉を通して、自我を解体するというトレーニングです。
レッスン99を迎えて、私たちを本当の意味で引き上げるための、大きな意味を持つトレーニングです。
自我は、出来ない理由を探すと思います。
「忙しいから」「仕事でそれどころではない」「いくらなんでも無理」「もし休日だったらできるのに」「もし仕事がなかったらできるのに」など。
自我はそれをもっともな理由だとして、今日のレッスンをあまりできない方向に持っていかせようとするでしょう。
しかし、もしも、1日、全く暇で何もする事がない1日だったとしても、自我はしない方向を5分毎に選択させるか、忘れさせようとさせる・・・それが誰の自我であっても、自我のすることとはそんかものです。
しかし、一方で自我は会社や仕事や上司や同僚や部下や自分自身に対して、経済的な問題や体調や家族などに対して、そしてあるいは人生そのものに対して、5分に一度くらい、自我的に都合よいことを妄想したり、自我的に不平不満を抱いたりムカつく感情や考えが起こることを「実践して」いたりします。
1日1日の5分に一度は考える無意識の思いの癖が、人生や運命を創ります。
自我の思考・感情パターンに人生を好き放題させるのか、それとも、別の人生を生きるのか、今日のレッスンはそれを自分自身に問う内容かもしれません。
レッスン中にもある通り、レッスン99は「特別」なメッセージです。
どうか、できる範囲で、けれども、レッスンをやれない理由を探す自我の誘惑には好き放題させないように、どうか今日のチャンスを逃さないように、頑張っていただけたらと思います。