☆翻訳者より☆
レッスン72は何度も読み返さないとなかなかわかりにくい
文章です。
何度か私のコメントに出てきている「神の使者(ゲイリー・レナード著)」を読んでいると、レッスン72の中身は多少わかり易いかもしれません。
まだ読んでない方はかなり受け入れる事が難しい内容かもしれません。
レッスン72では、私たちの自我は「肉体」を自分自身や他人だと見なしていることに対して、真実は肉体という制限を越えたスピリットという制限のない存在が本来のものであるということがまず前提条件として伝えられています。
ここで、それが「不満とどう関係しているのか」とまたさらに混乱した方もいるかもしれません。
あまり長々と書くことをしませんが、私たちの肉体が死を迎えても、私たちのスピリット(魂)は終わるということはなく、またあの世を経て、生まれ変わって別の人生が続いていきます。
肉体という私たちのスピリットの着物は私たち自身ではなく、たまたま今回の今世を生きるための乗り物でしかなく、前世や来世では別の肉体という着物を来ていますが、肉体はスピリットとしての私たちがいろんな体験をするための道具でしかありません。
つまり、私たちの本質は肉体という着物に制限された存在ではなく、広大なスピリットという存在です。
しかし、自我的に考えるとそれは毎日の生活で、自分や他人に対してスピリットとして認識しにくく、肉体として認識することに慣れて、いつしか肉体そのものが自分や他人なんだと自我は思い込んでいます。
レッスン72は、それを越えていくというものです。